やはり彼も……
前半2曲の演奏が終わり、休憩に入った。
僕たちはロビーでコーヒーを片手に、プログラム前半の演奏の余韻を味わっている。
「彼の音楽に引き込まれて、あっという間だったよ。
素晴らしいヴァイオリニストだね」
「ふふっ。そうね。
レオンは私がドイツに居た頃よりも上手になってるわ。
楽器も変わったのかしら?以前聴いたことが無いような音色だったし。
日本でのリサイタルで、どんな演奏ができるか楽しみになってきたわ」
僕は彩李ちゃんに素直な感想を伝える。
今は、彩李ちゃんも喜色を浮かべているが……。
「私、頑張らないとレオンに置いて行かれそう…」
演奏が終わった直後、そう呟く彩李ちゃんを見てしまったからだろうか。
僕と会話しているけれど、気持ちは別のところにあるようで……僕は胸が締め付けられるのを感じながらも、悟られないように平静を装い続ける。
「レオンに今日来ることを連絡したら、コンサート終わった後に握手サイン会をするから、ロビーで待っていてって言われたんだけど……碧くんどうする?」
「もちろん、一緒に行く」
彩李ちゃんからの問いに即答する。
勝負にならない戦いかもしれないけれど、僕が知らないところで彩李ちゃんと彼が会うのは耐えられそうになかった。一緒にリサイタルをする二人だから、いずれは二人きりで会うことにはなるのだろうけれど。
……完全に僕の足掻きだ。
「じゃあ、伶もレオンに会いたいって言ってるから、一緒に行きましょう。
碧くんにもレオンを紹介するわね」
笑顔でそう言っているけれど、彩李ちゃんは僕のこと、彼にどう紹介するつもりなの?
同級生?
それともただの主治医?
演奏会後半、シューマンの交響曲第3番〈ライン〉の演奏を聴き終えロビーに出ると、たくさんの人が彼のCDを手に、握手サイン会の列に並んでいる。販売されていたCDは全て売り切れてしまっていたが、一目近くで見たいと思う人たちが帰らずに待機していたため、ロビーは人でごった返していた。
ざっと見渡しても、圧倒的に若い女性が多い。
僕たちは少し離れたところで、その様子を見守る。
ロビーに彼が現れた途端、黄色い声援が湧き上がる。
まるでアイドルスターのようだ。
確かに、あの容姿に確かな技量と音楽性、今日の演奏でファンが増えない方がおかしいとは思うけれど……そう思いつつ、彼を目で追う。
声援を受けてニッコリと微笑んだヴァイオリニスト・レオンハルトは、ロビーを見渡して僕の近くで目を止めた後、ひときわ嬉しそうに顔をほころばせた。
周囲からため息が漏れるが、今、彼は間違いなく彩李ちゃんを見つけたのだろう。
そして次の瞬間、隣に立つ僕は彼と目が合って鋭い視線を向けられた。
ハッとしたが、それは一瞬のことだった。
周囲が気づかないほどの早さで、彼はすぐに笑顔を取り戻して、用意された椅子に座り握手とサインをはじめた。
その後も時折、彼が僕たちに視線を向けているのを感じる。
やっぱり彼も彩李ちゃんを……
予想通りの反応に驚きはなかったものの、やはり心は穏やかではない。
今日、何度目かになる心の動揺を彩李ちゃんに気づかせたくはなかった。
その後、一緒に彼に挨拶をしたいという春田夫妻が来たこともあり、心の動揺は彩李ちゃんに悟られることなく落ち着きを取り戻すことができたと思う。
伶さんに病院コンサートのお礼を言って、彩李ちゃんの恩師である雅樹さんを紹介してもらった後は、今日のコンサートの感想などを話して楽しく時間を過ごすことができた。
ようやく握手サイン会が終ったのを見て、彩李ちゃんがレオンハルトに近づく。
いよいよだ。
緊張する気持ちを抑えつつ、僕も春田夫妻と一緒に彼に近づいた。
彼は僕を一瞥した後、彩李ちゃんに向かって両手を広げて抱きしめ頬に口づけた。
日本と挨拶のマナーが違うことは頭で解かってはいるが、彼と彩李ちゃんとの距離感の近さに頭に血が上りそうだった。
冷静に、冷静に……と心の中で呪文のように繰り返す。
しばらくドイツ語で話していた二人だったが、ようやく一区切りがついたらしい。
彼はもう一度、彩李ちゃんの頬にキスした後、僕に鋭い視線を投げてきた。
『で……彼は誰?』
『あ、紹介するわね。彼は私の高校の同級生でもあり主治医の矢那井碧さん。
そして、彼女は私の大学の同僚で友人でもある春田伶さん。レオンと同じヴァイオリニストよ。
隣は怜の夫でピアニストの春田雅樹さん。私の中学からのピアノの師匠でもあるわ』
彩李ちゃんが僕たちを紹介しはじめたようだ。
ドイツ語がわかる伶さんが日本語に通訳してくれるのを聞きながら、僕は彼と握手を交わした。
紹介が終わると、伶さんがドイツ語で彼に話しかけ、彩李ちゃんと伶さんと彼の3人で話はじめた。
「碧くん。なんだかドイツ語で盛り上がってるみたいだから、ちょっと離れていようか。
僕もドイツ語はわからないんだよねー」
「あ…はい」
伶さんの夫で、彩李ちゃんの恩師でもある春田雅樹さんは、そういって僕を3人から少し離れたところへと僕を誘ったのだった。
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