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彩李ちゃんにとって……



病院コンサートを終えてから、彩李ちゃんの様子がおかしい。

次の日に一緒に食事に行った際も、何か悩み事でもあるのか、どこか心ここにあらずといった様子。

また耳の調子が悪くなったのだろうかと心配するものの、違うと本人は言うけれど。

仕事が忙しいのだろうか。

それとも……もうすぐ日本に来るという彼―――彩李ちゃんがドイツでパートナーを務めていたヴァイオリニストのことを考えているのだろうか。

彼は彩李ちゃんにとって、どういう人なんだろう。

そして、彼にとっての彩李ちゃんは……



彩李ちゃんから彼とのリサイタルの話を聞き、僕は彼が協奏曲を弾く演奏会のチケットを取って彩李ちゃんを誘った。

彼の存在が気になって、どうしても会っておきたかった。

できれば来日してすぐ、彩李ちゃんと彼が二人だけで会う前に。

咲田からは「だから、付き合う前から独占欲丸出しだって…」と呆れられたが、形振(なりふ)りなんて構っていられない。



コンサートの前半は、メンデルスゾーン作曲の『夏の夜の夢』序曲から始まった。

初めの木管楽器の和音で夢の世界へ導かれた後、妖精たちが飛び跳ね、動物の住む幻想的な世界が繰り広げられる。

最後は穏やかなメロディーに包まれ、再び木管楽器が最初の和音を奏で、夢は覚めていった。


夢の世界の余韻に浸っていた客席だったが、次に演奏されるヴァイオリン協奏曲のソリスト、レオンハルト・フェンリッヒの登場に、再び夢か現かと目を(しばた)かせた。

ダークブロンドの髪に、透き通るようなエメラルド色の瞳、背は高く細身の彼は、まるでおとぎ話に出てくる王子様のような姿だった。


隣に座る彩李ちゃんを見ると、ニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。

彩李ちゃんも、こんな外見の男が好きなのだろうか……


彼の容姿に浮足立っていた客席だったが、演奏が始まると、今度は彼の音色に引き込まれてしまう。


1曲目と同じメンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲。

第1楽章の冒頭、有名な美しくも愁いを帯びた旋律が独奏ヴァイオリンによって高音で奏でられる。オーケストラはその旋律をさざ波のような分散和音で受け止めている。

その後、甘美な2つめの旋律を経て、曲は次第に力強さをたたえる。

カデンツァでのソリストの華やかな技巧に観客が魅入られた後は、再び最初のふたつの旋律が現れる。

再び華麗な技巧がソリストによって繰り広げられ、それをオーケストラがff (フォルティシモ) で受け継ぎ力強く第1楽章が終わった。……いや、終わっていない?


終わったかと思われた第1楽章だったが、ファゴットがH()の音を持続させている。

観客の耳と目がファゴットへと集まり、緊張感を維持したまま第2楽章へと入っていく。


ファゴットにより持続された音は、フルート、ヴィオラ、ヴァイオリンと音が重なるにつれ澄んだ和音へと移り変わっていく。

そこに登場した独奏ヴァイオリンは、美しさだけを集めたような旋律を奏で、聴く人たちを天上へと導く。

最後はpp (ピアニッシモ) で消えるように第2楽章が終わり、ようやく観客はほっと息をつく。

しかしその余韻は一瞬で別の世界へと連れて行かれたのだった。


第3楽章、哀愁ただよう旋律で独奏ヴァイオリンとオーケストラの会話がはじまる。その後、両者の間で次の旋律を探すかのようなやり取りが繰り広げられ、ついに独奏ヴァイオリンが軽快な旋律を弾き始める。

独奏ヴァイオリンとオーケストラとの息をのむような掛け合い、オーケストラが奏でる旋律の上で楽しそうに跳びはねる独奏ヴァイオリン。

颯爽と駆け抜ける演奏に、耳だけでなく目まで釘付けとなったまま、第3楽章は華々しい終わりを迎える。


会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

あちらこちらから「ブラヴォー!」の声も聞こえてくる。


圧巻だった。

彼の世界に引き込まれ、あっという間の30分間だった。

なんという集中力と音楽性。

僕も惜しみない拍手を送りながらも、素晴らしい演奏が聴けたことを幸せに思う。


その一方で、不安な気持ちが湧き上がってくるのを感じた。

音楽家は互いの演奏で高め合うと聞く。

彩李ちゃんにとって、自分を高めてくれる相手が傍にいる方が幸せなのではないかという思いが胸をかすめる。


彩李ちゃんの幸せを考えるなら……


僕の頭の中にあの時の優輝の言葉が甦る。

「彩李は俺のものじゃない。彩李は彩李自身のものなのに…な」

このままだと、僕は昔と同じように気持ちを伝えることができないままになってしまう。


それでいいのか?

僕は自分に問いかける。

あの後、優輝は……

「俺、譲る気はないけど、邪魔する気もないから……」

そう言ったんだった。


やっぱり、何も伝えないまま譲る気はない。

彼女の幸せを願っている。

だけど、その横には僕が居たいと思う。

それに、僕がどれだけ彼女を思っていたとしても、選ぶのは彩李ちゃんなのだから……


鳴りやまない拍手の中で、僕は自分の思いを嚙みしめたのだった。


この作品を見つけて読んでいただき、ありがとうございます。

興味惹かれる作品でしたら、評価いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

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