恋の話①
その日、碧くんとの待ち合わせ場所に向かいながらも、私はお昼に伶たちから言われたことが気にかかって仕方がなかった。
嫌な気持ちになったのは……
その気持ちを思い出すたびに浮かぶ看護師さんの姿が頭から離れなくて、せっかくの碧くんとの食事も会話もうわの空だった。
碧くんは私の体調が悪くなったのではないかと心配して、何度も「大丈夫?無理してない?診察に来る?」と尋ねてきたけれど、私は耳の調子は悪くないことを伝えるだけが精一杯だった。
碧くんはとりあえず納得したものの、別れ際にも「少しでもおかしいと思ったら、絶対に病院に来るんだよ!」と言って、帰って行ったのだった。
☆…♩♪♩. ♩♪|♪♪♪♩. …☆
それからしばらく経ったある日、私は次の病院コンサートの日程を決めるために伶の研究室へと向かった。
夏は大学の夏期講習があったり、私もレオンとのリサイタルがあったりして慌ただしくしているため、次は夏休み明けに行うことにした。
ついでに曲の候補も何曲か出して、近くなってから合わせることにする。
「彩李、この後レッスン入ってるの?紅茶でも飲んでいかない?
雅樹さんが新しいフレーバーティーを買って来てくれたのよ」
一通り話し終えた後、伶から誘われて、この後は帰るだけだった私は一息ついていくことにしようとソファーに座った。
「いい香り。レモンかしら?甘酸っぱくて美味しい!」
「でしょう!この季節にピッタリよね」
「雅樹先生の選んでくる紅茶っていつも季節にぴったりよね」
「ふふっ」
そう。私は時々こうやって怜の研究室に顔を出しては、雅樹先生が伶のために選んで買って来てくれる紅茶でティータイムを楽しんでいる。
私にとって、今でも怖いイメージが拭えない雅樹先生が、どんな顔をして伶のために紅茶を選んでいるのか想像もできないのだけれど。
「春田先生って、伶には本当に優しいわね。
私、先生に出会ったのが中学生の頃だったでしょう。
フランスから帰ってきたばかりのとっても厳しい先生だったのよ。特に大学受験前なんて駄目出しの連続で怖い印象しかなかったから、先生にこんなに優しいところがあったなんて嘘みたい」
「雅樹さんも、私に負けず劣らず手厳しいものね。若いころだったら尚更だったでしょうね。
あら?私が雅樹さんに負けず劣らずかしら??まあ、いいわ。
でも、彩李も教える立場になったらわかるでしょう。
期待している生徒には『この子の才能を伸ばさなければ』って必死になるから、ついつい厳しくなったりするわよね」
確かに。
才能を感じれば感じるほど、この子を伸ばさなければという使命感と責任感が大きくなるのは私も同じだった。
「それに、私に優しいのは、きっと歳が離れているせいよ」
そう言って幸せそうに微笑む伶だが、春田先生とは15歳の年の差がある。
教え子の私と同じ年の女性を妻として迎えた先生は「僕もまさか15歳年下の人と結婚するとは思ってもみなかったんだけどね」と言いつつ、伶が音楽に傾ける情熱と演奏も含めて包み込むように愛おしんでいる。
その姿を見ていると…
「羨ましいと思うこともあるわ」
するりと出た言葉に自分で驚いた。
私、こんなこと思っていたなんて。
ハッとして一瞬手が止まった私を、伶がチラリと見る。
「ありがとう。彩李には?そういう人いないの?」
「いない……かな」
そう答えた私を見て、伶が微笑んだ。
「彩李とこんな話するのはじめてね。いつも音楽のこととか、生徒のことばかりだったから新鮮よ」
そういえば、伶と恋愛の話をしたのは初めてだったことに気づく。
ヴァイオリニストとピアニストとして、伶とパートナーを組んで約3年。
出会った頃は既に結婚していた伶と、まずは音楽のパートナーとしての信頼を築き上げることを第一としていたから、話すことと言えば音楽のことがほとんど。後は教師としての悩みを話す程度だった。
いや……伶とだけではなく、恋愛の話を友人としたことなんてあっただろうか……
「ねえ、彩李。今までお付き合いした人くらいはいるんでしょ」
「高校生の時から留学するまで7年間付き合ってた人はいたわ」
「その人と、どうして別れたの?」
「お互いに自分の夢を叶えるために別々の国に留学したからよ」
「それって、別れなくても良かったんじゃないの?」
「そう言われれば、そうねぇ……」
「彩李が彼のことを嫌いになったとか、別の人が好きになったとかなかったの?」
「ないわよ」
「彼は?」
「それは、わからないけれど……。でも、別れてからもそんな話は聞かなかったけど」
「どうして知ってるの?」
「別れた後も連絡取りあってるから」
「え?今も?」
「うん。時々ね」
「彼の他には?お付き合いした人はいなかったの?」
「いない…わね」
「お付き合いとはいかなくても、恋は?」
「……ない……かな……」
言いよどむ私に、伶はこの後の予定を尋ねて、何もないとわかると研究室の内線電話を手に取った。
「雅樹さん、今日は彩李と一緒に夕食を食べてくるわ。
ええ、そう。あの事とも関係があるのよ。
ちょっと時間がかかりそうだから、場所を移してゆっくり話したいの。
急にごめんなさいね。帰ったら話すわね」
どうやら、私の意思は関係ないようだ。
彼女は「今日は個室」と言いながら、あっという間にレストランを予約し、詰め込まれるかのように彼女の車に乗せられ、大学を後にすることになったのだった。
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