コンサートの依頼
「相談があるんだけど…」
碧くんからそう切り出されたのは、5月の終わり。
私の耳も全く違和感がなくなり、また調子が悪くなったらすぐに来院するということで、一旦終了となったばかりの頃だった。
今日は私の希望で芍薬の花を見に来ていた。
「ドイツでも5月になると芍薬の花がたくさん咲くのよ。それを見ると、ようやく暖かくなって、いい季節がはじまるなって思っていたのよ」
「芍薬と聞くと、日本とか中国を思い浮かべるけど、ドイツでも芍薬の花が植えられてるんだね」
碧くんの反応に、私はクスリと笑う。
「チューリップだってオランダのイメージが強いけれど、トルコ原産だし、春になると日本のあちらこちらで咲いてるわ。それにドイツの人たちは薔薇がとっても好きでよく植えられているけれど、日本でも各地に薔薇園があったり、お庭にも植えてあるし」
「あ……そうだね。そういえば僕の家にも咲いてるな」
「碧くん、何でも知ってそうなのに、時々面白いのね」
そう言うと、碧くんは「花にはあまり興味が無くて…」と呟いた。
「あ、でも見るのは好きだよ。あまり知らないってだけだから」
私が気を使うと思ったのか、慌てた様子で言葉を重ねる。
思わず笑い声を出した私に、彼は照れた表情を見せたあと一緒になって笑った。
碧くんとこんな穏やかな時間を過ごせるようになるとは思ってもいなかった。
高校生の時のしこりが嘘のようだ。
「ドイツはね、冬の間は寒くて日照時間も短くて、太陽が恋しいの。4月は雨も多くて天気が安定しないことも多いし」
シャクヤクを眺めていると、ドイツでの生活が思い出されて懐かしい。
あの時出会った仲間たちは、そのままドイツに留まっていたり、近隣のヨーロッパ諸国で活動したり、私のように祖国へと帰っていたり……。
それぞれの顔を思い浮かべていると、隣から声をかけられた。
「彩李ちゃん、充分満足するまでいいよって言ってあげたいけれど、ずいぶん暑くなってきたからそろそろ移動しようか」
病院の外で会うようになって判ったのは、碧くんはものすごく過保護だということ。
しっかり睡眠はとれているか、食事はできているか、疲れがたまっていないか…
過保護だと思っていた母よりも心配して、細かく確認してくる。
主治医として心配してくれているのだとは思っても、少しくすぐったい感じは否めないのだけれど。
「ありがとう。もう1時間以上居るものね」
「この時期は体がまだ暑さに慣れていないからね。彩李ちゃんも良くなったばかりだし、用心しすぎるくらいでちょうどいいから」
私が頷くと、碧くんは満足そうに微笑んだ。
帰る前に、冷たい飲み物を飲もうとカフェに入る。
私はレモングラスのハーブティーを、碧くんは凍らせた葡萄が紅茶に入ったグレープアイスティーを注文する。
一口飲んで、ほうっと息をつく。
どうやら、思っていた以上に身体が火照っていたらしい。
すうっと体の熱が引いていく。
帰ろうと言ってもらったのは正解だった。
碧くんも美味しそうにグレープアイスティーに口を付けていたのだが、そこで「相談があるんだけど」と切り出された。
改まって何だろう?と思い問い返す。
「うちの病院のロビーにグランドピアノがあるの、知ってる?」
「もちろん。いつも自動演奏で音楽が流れてるわね」
病院のことだろうか、ピアノのことだろうかと考えを巡らせながら続きを待つ。
「そう、いつもは自動演奏なんだよね。そのピアノで今度ミニコンサートができないかって提案されて…」
「自動演奏と人が弾くのと全然違うものね。いいと思うわ」
個人的には自動演奏はどうしてもなじめない。
でもBGMとしてそれを心地よく感じる人がいるのだから、私は聴こえてはいたけれど敢えて聞き流していた。
でも、せっかくグランドピアノを置いてあるのだから、人が弾くのはすごくいいと思う。
「ホント?じゃあ、彩李ちゃん弾いてくれる?」
「え?私??」
「うん。僕の上司が、奏ちゃんが大学でピアノを教えていることを知って言い出したんだよ。そしたら、あっという間に院長に話をしちゃって……。
無理かもしれないけれど、とりあえず当たってみてくれって言われて……」
「碧くんは弾かないの?」
「いや、僕も彩李ちゃんのピアノが聴きたいから…」
「……」
相変わらず、さらりとそんな台詞を挟んでくるが、私は一向に慣れずに返答に迷ってしまう。でも、どうして上司の人は、私がピアノ弾くことを知ったのだろう。
「……ダメかな?
病院に長く入院している患者さんたちって楽しみがなくてさ。
特に小児科の子どもたちは、喜ぶと思うんだ……」
遠慮がちにお願いする碧くんに、思いついたことを提案してみる。
「ピアノだけ?」
「ん?ほかの楽器も?
僕はピアノしか弾けないけど、彩李ちゃん、他の楽器できるの?」
「私も人前で演奏できるのはピアノだけよ」
また可笑しなことを言い出す碧くんに、クスリと笑って答える。
「私の同僚で仲良くしているヴァイオリンの先生がいるのだけれど、その人に声かけてもいいかしら?もちろん、ピアノだけの曲も弾くわ」
「それ、大喜びするよ!
病院で相談はするけれど、ピアノだけじゃなくてヴァイオリンまで演奏してもらえるなんて。喜ぶ以外考えられない」
いい反応が返ってきて良かった。
ちょうど彼女とチャリティーコンサートをする予定があったので、そのプログラムを病院でしてはどうかと思っての提案だった。
「ちょうど彼女と一緒にチャリティーコンサートをする予定があったのよ。彼女にも尋ねてみないといけないけれど、予定さえ合えば受けてくれると思うわ」
「ホント?じゃあ、ぼくもそれで話をしてみるよ。ありがとう」
「どういたしまして」
私も、たった一日だけどはじめて入院をして、孤独な時間に不安を感じた。
長く入院して、自分の病と向き合っている人たちは、どれほど不安だろう。
そんな人たちが喜んでもらえるのなら、私も嬉しい。
「彩李ちゃんのピアノが久しぶりに聴けるなんて、僕も嬉しいよ」
まっすぐに見つめてきた碧くんと目があった。
彼の顔が嬉しそうにほころぶ。
碧くんの笑顔は今日も眩しくて、私の耳元でドクンと心臓が大きく鳴った。
☆…♩♪♩. ♩♪|♪♪♪♩. …☆
「み~ど~り~」
「何?」
「今度、彩李ちゃんが病院でミニコンサートするんだって?」
「誰から聞いた?」
「さあね~」
「で、何でおまえが彼女の名前を『ちゃん』付けで呼ぶんだ?」
「だめ?」
「だめ?って……それ聞く?」
「もう、まだ付き合ってもいないのにそんな独占欲出したら、重いって嫌われるぞ」
「ほっとけ!」
「でさ、話があるんだけど、今日付き合えよ」
「話次第だな。どんな話?」
「ここじゃできない話」
「ここじゃできない?」
「そう。彩李ちゃんにも関わるかもしれない話」
「だからー、『彩李ちゃん』って呼ぶな!」
「え~、いいじゃん。で行く?」
「………行く」
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