神様がくれたチャンス
高校生の時に、彼女がそんなプレッシャーを感じていたとは知らなかった。
今でこそ、こうやってお互いに職を得た生活をしているけれど、あの頃の僕たちは何もかもが決まっていない先の不安に、ともすれば押しつぶされそうになっていたことを思い出した。
夢がある。だから努力する。
でも、それが叶うのかはわからない……
そんな中に弾いていた『月の光』だったんだ……
それなのに僕は……
悪いのは自分だと彩李ちゃんは言うけれど、僕が彼女を傷つけたのもまた事実だ。
だけど……
僕が彩李ちゃんのピアノを聴いて、嫌いだったピアノを好きになって。
そして、彩李ちゃんへの思いを込めて弾いた『月の光』が、彼女の進むべき道に一石を投じることが出来たのなら……
僕たちはあの頃、二人でピアノや音楽の話はできなかったけれど、お互いに影響し合ってたってことで……
泣いている彩李ちゃんを前に、申し訳ないけれど心の中に嬉しさが込み上げてきた。
「いいんだよ、僕が彩李ちゃんを傷つけてしまったのは間違いないことだから。
でもね、泣いている奏ちゃんを前に不謹慎なんだけど……」
一旦言葉を切り、口に出そうかためらう。
でも、伝えたかった。
お互い、後悔だけであの出来事を終わらせたくなかったから。
「僕は今、嬉しいとも思ってるんだ。
だって……話さなくてもお互いのピアノが影響し合ってたってこと……だよね」
お互いに苦しい思いをしたけれど、今日話せて良かったと心から思った。
彩李ちゃんは泣いたことを恥ずかしがっていたけれど。
僕にはそれさえも――家族以外にここまで泣いたのは見せたことがないという彼女の姿を見れたことさえも――嬉しいと思えた。
これから、もし。
もし、ずっと一緒に居れるのだったら、泣かせたくはないけれど…
謝罪した後に会話が続くだろうかと心配していたが、それは杞憂に終わった。
彼女から聞く仕事の話、音楽の話、ドイツでのこと……こんなに話したのは初めてだったし、ずっと話していたいほど楽しかった。
ドイツに行って、いろんな国の人と出会い「自分を理解してもらうためには主張しないとダメだったの。話さなければ伝わらない、わかってもらえない、それは自分にとっても相手にとっても何一つ良いことがないって気づいたの」と話す彼女は生き生きとしていた。
そこには、緊張からよそよそしかった高校生の頃の彩李ちゃんの姿は感じられなかった。
10年以上も経っているから変化は当たり前なのだろうけれど。
それでも、彼女がドイツで努力したからこその変化だと思えた。
「なるほどね……。頑張ったんだね」
「ええ。頑張りを認めてもらえるって嬉しいものね。ありがとう」
高校の頃の彼女も好きだったけれど、今の彼女はもっと輝いていて。
そんな彼女をこれからも僕だけが見ていたいという衝動に駆られ、僕は少しだけ自分の気持ちを伝えてみることにした。
「そうだったんだ。
高校の時の高嶺の花って雰囲気もよかったけれど、今は今で親しみやすくていいね」
「…!?」
彩李ちゃんはびっくりして固まってしまったけれど、更に言葉を重ねる。
「ねえ彩李ちゃん……
今日みたいに、また会ってもらえないかな」
「………」
本当は僕の彩李ちゃんに対する思いも伝えてしまいたい。
だけど、今日だけじゃなくて、次もその次も彩李ちゃんと病院外で会いたいから。
また、彩李ちゃんに何も伝えられないまま、手の届かないところに行ってしまうのは嫌だから。
今日はお互いの誤解が解けたことに満足しようと、心にブレーキをかける。
「今日、彩李ちゃんと話してとっても楽しかったんだ。
家族以外でこんなにピアノや音楽の話できたのも久しぶりでさ。また話したいなと思うんだけど、来院してきてもらった時は時間もないし、こんな話するわけにはいかないし」
彩李ちゃんからの返事はない。
もしかして……将来を約束した人が居るのだろうか……
僕たちはもういい歳だし、同級生で結婚している人も多い。
彼女にそういう人が居てもおかしくないはずで……
そう思い始めると、平静を装っている僕の心臓の音がうるさいくらいに高鳴ってきた。
「彩李ちゃんに特別な人が居て、他の男と会うわけにはいかないっていうのなら無理は言わないから。僕は今日、昔のことを謝れたことで充分なんだよ」
本当は、謝れただけで充分じゃないし、心の中では『お願いだから、特定の人なんていないでくれ』と叫んでいる。でも僕は最大限の努力をして、柔らかい表情を保ったまま彼女に微笑みかける。
「残念ながら……
ドイツに居た時も帰国してからもピアノのことばかりだったから。
碧くんは、私と会っても大丈夫なの?」
「もちろん」
僕は即座に肯定した。
再び『だって、僕はずっと彩李ちゃんのことが好きだから』と言いたくて心が暴走しかけたけれど、何とか踏み止まることができた。
ようやくスタートラインに立てたんだ。
彼女と過ごす時間を大切にしたい。でも、いずれは……
僕は彩李ちゃんの瞳から目を離さないまま言葉を続ける。
「じゃあ、また会ってもらえる?」
その問いに頷いた彩李ちゃんを見て、僕は心の中でガッツポーズを決める。
嬉しすぎて、取り繕っていた柔らかい表情が崩れ去り破顔してしまう。
やっぱり、神様がくれたチャンスだった。
彩李ちゃんも笑顔になっている。
僕は幸せをかみしめながら「ありがとう」と伝えたのだった。
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