【審査②:無双系令嬢】血華舞踏 ―令嬢は微笑んで拳を振るう―
本作はフィクションです。
日本法は内部査定の物差しです。
肩の力を抜いてお楽しみください。
「先輩ぃ……」
審査室の扉が、いつになく静かに開いた。
大量の書類を抱えたリリアが入ってくる。金色の髪は少し乱れ、いつもなら眩しいほどの笑顔も、今日はすっかり消えていた。
机の向こうで、テミスが端末から顔を上げる。
「……何。今度はどうしたの?」
「もう駄目です。今回の転生者の方、絶対に能力を悪用します……」
「まだ審査も始めてないんだけど」
リリアは机まで歩いてくると、抱えていた書類をそっと置いた。
「戦闘系のスキルと《先読み》を希望されたんです。しかも、すっごく態度が悪くて……」
「それだけで決めつけてる?」
「違います! 前回の反省を生かして、私、ちゃんと誓約書まで作ったんです。能力の使用条件も禁止事項も、全部まとめて!」
「おお。頑張ったじゃん」
「なのに、署名を拒否されたんですぅ……!」
テミスの視線が、机に置かれた書類へ落ちた。
「拒否?」
「かなり長いこと読んでました。何度も前のページへ戻って、最後まで確認してから、『こんなものに署名するわけない』って。理由を聞いても、何も教えてくれなくて……」
「それで、転生は?」
「誓約書への署名が転生の要件とは決まっていなかったので、私の判断だけで止めるわけにもいきませんでした。だから、そのまま送り出したんですけど……」
そこまで話したところで、リリアは机へ突っ伏した。
「絶対、悪いことするつもりだったんですよ。私、今度こそちゃんとしようと思ったのに……」
テミスは書類と、机に伏せたリリアをしばらく見比べてから、端末を手に取った。
「署名しなかっただけで悪人扱いするのも早いでしょ。先に見てみようか」
「……はい」
リリアが隣の椅子へ腰を下ろすと、正面のモニターに光が入った。
王宮の大広間には、幾百もの燭台が灯されていた。
水晶のシャンデリアが磨き上げられた大理石の床へ光を落とし、楽団の奏でる優雅な旋律に合わせて、着飾った貴族たちが談笑している。
その華やかな広間の中央に、一人の令嬢が立っていた。
黒いレースを幾重にも重ねたドレスの腰には大きな深紅のリボンが結ばれ、左右で結い上げた髪には黒薔薇の髪飾りが添えられている。白い肌と濃い目元の化粧も相まって、周囲の令嬢たちとは明らかに異なる雰囲気をまとっていた。
マリア・ヴァレンシュタイン。
この国の侯爵令嬢であり、第一王子の婚約者。そして数日前から、その身体には別の世界で生きていた少女の意識が宿っている。
「マリア・ヴァレンシュタイン!」
楽団の演奏が止まった。
広間の奥から現れた第一王子が、取り巻きの貴族たちを従えて彼女の前へ進み出る。その隣には、可憐な桃色のドレスをまとった少女が寄り添っていた。
「私は本日をもって、貴様との婚約を破棄する!」
広間がどよめく中、王子はさらに声を張り上げる。
「貴様が彼女へ働いた数々の嫌がらせ、もはや看過することはできん!」
「……はぁ?」
マリアは手にしていたグラスを傾け、残っていた果実酒を飲み干した。
「わざわざ人を呼びつけて、何の茶番だよ」
「なっ……!」
「婚約破棄? どうぞご自由に。こっちも願い下げだわ」
空になったグラスを給仕へ渡し、そのまま踵を返す。
「待て! 話は終わっていない!」
「終わったんじゃねぇの? 婚約破棄したんだろ?」
「貴様には、自らの罪を認めてもらう!」
「証拠は?」
王子の表情が強張った。
「何?」
「嫌がらせしたって証拠。あるんだろ?」
「貴様……どこまで私を愚弄するつもりだ!」
「質問に答えろよ」
取り巻きの一人が、腰の剣に手を掛けた。
「は? 何、お前まで振られたいわけ?」
広間のあちこちから、小さな笑いが漏れた。
次に映像が切り替わったとき、白い大理石は鮮血に染まっていた。
鎧が砕け、衛兵が床へ転がる。悲鳴と怒号が飛び交う広間の中央では、黒いドレスだけが軽やかに翻っていた。
その中で、マリアだけが笑っている。
振り上げた拳が、目の前でぴたりと止まった。
衛兵は剣を捨て、両手を上げていた。
「……チッ。つまんね」
興味を失ったように背を向けた直後、右手から別の剣が迫る。
マリアの重心がわずかに沈み、次の瞬間には、その衛兵が床へ叩きつけられていた。
やがて広間に静けさが戻る。
倒れた騎士たちの間には、最初から剣を抜かなかった衛兵隊長だけが呆然と立ち尽くしていた。マリアは隊長へ視線を向けただけで、その横を通り過ぎていく。
そのとき、広間の端から悲鳴が上がった。
マリアを狙って放たれた炎が壁際の幕へ燃え移り、逃げ遅れた貴族たちが閉ざされた大扉へ殺到している。
「……ったく」
マリアは庭園に面した大きな窓へ歩み寄った。
ガラス越しに庭園を見渡し、人影がないことを確かめると、近くにいた貴族たちを手で追い払い、そのままステンドグラスを蹴り破る。
色とりどりの破片が、夜の庭へ散った。
「ほら、そこから出ろ。焼け死にたいなら別だけど?」
貴族たちは競うように庭園へ逃げ出していく。
その姿を見届けたマリアは、広間の中央に残された王子へ向き直った。
「ああ、そうそう。あの契約も取り消すから」
「な、何を勝手な!」
「騙して署名させたくせに、よく言うわ」
王子の顔から血の気が引いた。
マリアは深紅のリボンを揺らしながら割れた窓へ向かい、振り返ることもなく言い捨てる。
「じゃあね。二度とその面見せんなよ」
「うわぁ……」
二人の声が重なった。
リリアは指の隙間からモニターを覗いていたが、隣のテミスはいつの間にか画面へ視線を寄せている。
「……すっご」
「ですよね!? ひどいですよね!?」
「いや、そこじゃなくて。この子、ちょっと面白い」
テミスは映像を巻き戻し、最初に取り巻きが剣を抜いた場面から再生速度を落とした。
男が剣を構えても、マリアは動かない。
刃が振り下ろされた瞬間に身をかわし、剣を持つ手首を打って武器を落とすと、そのまま足を払って床へ倒した。男が戦意を失ったところで追撃せず、すぐに距離を取っている。
「ここは正当防衛を検討する場面だね。少なくとも、相手から攻撃されるまで自分から手を出してないし、危険が止まったあとも追ってない」
「でも、このあと衛兵まで殴ってますよ?」
「そこも同じかどうか見ればいいでしょ」
映像が進み、取り巻きたちが一斉に襲いかかると、マリアの瞳に赤い光が灯った。
《先読み》。
剣の軌道を外し、懐へ踏み込んで相手を投げ飛ばす。次の攻撃をかわして拳を叩き込む一方、剣を構えたまま動かない男には近づかない。
王子の命令で衛兵たちが加わってからも、攻撃してきた者だけを倒し、剣を捨てた者の前では振り上げた拳を止めている。最初から剣を抜かなかった衛兵隊長にも、最後まで手を出さなかった。
一連の映像を追っていたテミスの目が、わずかに細くなる。
「かなり冷静だなぁ。《先読み》で危険の有無を見ながら、必要なところだけ反撃してる」
「でも、あんなに血が出てます!」
「相手は剣を持って襲ってきてるからね。反撃の程度は個別に見る必要があるけど、少なくとも今の映像じゃ、倒れた相手を追い回したり、降参したあとに殴ったりはしてない」
リリアはもう一度モニターを見直した。
「……口はすっごく悪いですよ?」
「そこは最悪。でも、それと正当防衛かどうかは別」
テミスは端末へ何かを書き込み、そのまま次の記録を開いた。
◇ ◇ ◇
今度は、炎が広間へ燃え広がった場面だった。
閉ざされた大扉の前では貴族たちが押し合い、天井付近には煙が溜まり始めている。その脇を抜けたマリアは、庭園に面したステンドグラスへ向かって歩いていった。
「先輩、このあと窓を壊してます!」
「見てた。かなり立派なやつ」
「絶対高いです!」
「高そうだねえ」
テミスは映像を止め、広間全体を確認した。
大扉は人で塞がれ、火は壁際から天井へ回り始めている。別の出口は見当たらず、割られた窓の向こうには誰もいない庭園が広がっていた。
「この状況なら、緊急避難を考えるところかな。火事から人を逃がすために、ほかに使える出口がない状態で窓を壊してる」
「でも、王宮のステンドグラスですよ……?」
「人命より高い?」
リリアの視線が、燃える広間と砕けた窓の間を行き来した。
「……安いです」
「じゃ、この点も今のところ問題なさそうだね」
テミスが次の項目へ進む一方で、リリアはモニターを恨めしそうに見つめている。
「……先輩、楽しそうですね」
「うん。こういうの面白い」
「私は全然面白くありません……」
◇ ◇ ◇
「最後は契約か」
モニターが切り替わり、数か月前の王宮の一室が映し出された。
今よりずっとおとなしい服装のマリアが、第一王子から差し出された書類を前にしている。
「この人、随分雰囲気が違いますね」
「憑依前の本人みたいだね」
画面の中では、王子が穏やかな笑みを浮かべていた。
亡き母からマリアが相続した鉱山について、王家が管理を手伝うための書類だという。婚約が解消されても彼女の権利に影響はないから、安心して署名してほしいと説明している。
マリアは少しためらったあと、書類へ署名した。
場面が変わり、王子と側近だけが残る。
『あの女、信じたのか?』
『はい。婚約解消時の条項には気づいておりません』
『ならばいい。婚約を破棄すれば、鉱山は私のものだ』
そこで、テミスの視線が契約書へ留まった。
「……あーあ」
「何ですか?」
「騙して署名させてる」
契約書を拡大すると、婚約解消時には、マリアが所有する鉱山の権利を無償で王子へ移転する旨が記載されていた。
「説明した内容と、契約の重要なところが違うね。これなら詐欺による取消しを検討することになる」
「でも、署名したのは憑依前の人格ですよ?」
「この世界では、憑依しても法律上の本人は変わらないんでしょ?」
「それは同じです」
「なら、その点は問題にならない。鉱山の権利は、もう第三者に渡ってる?」
リリアは記録へ目を落とした。
「まだ王子のところです。ほかの方には移ってません」
「じゃあ今回は、取消し後の第三者との関係まで考えなくてよさそうだね」
テミスは端末へ最後の入力を済ませ、審査結果を表示した。
「今回確認した事情なら、契約の取消しも含めて問題なし」
「ええええっ!?」
リリアの視線が、モニターに並んだ判定を何度も往復する。
「王宮で大暴れして、騎士を投げ飛ばして、窓を壊して、そのうえ契約まで取り消したんですよ!?」
「一個ずつ見たら、こうなった」
表示された文字を前に、リリアはしばらく黙っていた。
「……全部セーフ」
「今回見た行動についてはね。いやぁ、この子、見た目よりずっと慎重だな。頭脳派ってのは、こういう子を言うんだよ」
その言葉に、リリアの目がわずかに見開かれた。
「……じゃあ、私の査定も?」
「今回の転生者については問題なかったよ」
その返事を聞いた瞬間、リリアの目にじわりと涙が浮かんだ。
「やりましたぁ!! 先輩、私、初めて減点されませんでした!!」
「おお。おめでとー」
「ありがとうございます!!」
何度も頭を下げるリリアを眺めていたテミスの視線が、やがて机の上に積まれた書類へ移った。
「あ、そういえば。例の誓約書、見せてよ」
「もちろんです!!」
◇ ◇ ◇
テミスは渡された誓約書の一枚目に目を通し、そのまま二枚目をめくった。
途中で読む速度が止まり、しばらく紙面を追ったあと、一枚目へ戻って最初から読み直す。
やがて、堪えきれなくなったように笑い声が漏れた。
「……あははっ!」
「せ、先輩?」
「いや、こりゃ署名しないよ」
「なんでですかぁ!?」
「まず誤字がある。そこは置いとくとして、この制約事項がすごい」
テミスは紙面を指で追いながら読み上げた。
「能力の不具合についても女神側は一切責任を負わない。異議申立ては禁止。条件は女神側がいつでも変更できる……って、これ全部あんたが作ったの?」
「前回の反省を生かして、一生懸命……」
「転生者の方がちゃんと読んでるじゃん。こんな条件を並べられたら、そりゃ署名したくなくなるでしょ」
リリアの視線が、誓約書の文字を追うようにゆっくりと下がった。
「…………」
「拒否して正解だよ、これ」
「そんなぁ……」
テミスはまだ笑いを残したまま書類を机へ戻したが、今度は表紙のあたりへ視線を戻した。
「……ところでさ」
「はい?」
「これの稟議書、見てないんだけど」
リリアの目が止まった。
「…………」
「新しい誓約書の様式を作ったんだよね。決裁は?」
返事はない。
テミスはしばらく待ったあと、リリアへ視線を上げた。
「取った?」
「……せんぱい」
「ん?」
「私、一生懸命作ったんです……」
「そこは聞いてないんだけど」
しばらくの沈黙のあと、テミスは端末を開き直した。
「未決裁の誓約書様式を実際の転生業務で使用。手続不備でマイナス1」
「うわああああん!!」
今度こそ、リリアは両手で顔を覆って机へ突っ伏した。
「せっかく今回は全部問題なかったのにぃ!!」
「転生者はね」
「もう書類なんて嫌いですぅ!!」
「次からは決裁取ってねー」
【第2回 女神業務査定】
今回、転生者マリアの行動と《先読み》の使用については、減点対象となる問題はありませんでした。
一方、リリアが作成した誓約書は、正式な決裁を受けないまま転生業務で使用したため、手続不備となります。
その結果、今回の査定は△1。累計査定は△3.5です。
第2回は、正当防衛・緊急避難・詐欺による取消しでした。
本編ではテンポを優先して、法律の話はかなり省略しています。
今回の審査をもう少し詳しく見たい方向けに、
『女神テミスの異世界補講室――その判定、もう少し詳しく説明します――』
で【補講②】を公開しています。
そちらでは、審査の裏側にあった法律上の論点を、もう少し細かく扱っています。




