↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
糸満の光〜それぞれの道標〜  作者: 仲西謙太


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/7

第二部 それぞれの苦悩  第五章 何者でもない俺


 夏が近づいていた。

六月の糸満は、糸満ハーリーを終えても、まだその余韻が街のあちこちに残っていた。

学校へ向かう朝。

淳二はいつもの道を歩いていた。

見慣れた街。

見慣れた海。

見慣れた景色。

それなのに、なぜか今日は少し違って見えた。

「・・・高校三年生か。」

小さく呟く。

去年までは、卒業なんてまだ先のことだと思っていた。

けれど、気がつけばもう六月。

卒業まで一年もない。

学校へ着くと、教室ではすでに何人かが進路について話していた。

「俺、県外の大学受ける。」

「俺は専門学校かな。」

「家の仕事継ぐかもしれない。」

そんな会話が聞こえてくる。

淳二は自分の席に座った。

鞄から教科書を取り出す。

けれど、耳は自然と周囲の会話を拾ってしまう。

みんな、未来がある。

そう思った。

自分だけが、その未来をまだ見つけられていない。

放課後。

大城先生が教室に入ってきた。

「仲村、ちょっといいか?」

「はい。」

淳二は先生について職員室へ向かった。

「進路のことなんだが・・・。」

やっぱり、その話だった。

「・・・・・はい」

「何か考えているか?」

淳二は黙った。

「まだ……決まってません。」

大城先生は責めるような顔をしなかった。

「そうか。」

「先生・・・」

「ん?」

「ほかのみんな、ちゃんと進路は決めてるんですか?」

「そうだなぁ・・・全員がちゃんと決めてるかと言われたら、そうとは限らない。」

先生は椅子に座った。

「ただ、決めたように見せている奴もいる。」

「・・・。」

「淳二。夢が決まっていないことは、悪いことじゃない。」

淳二は驚く表情をしながら、顔を上げた。

「でも・・・。」

「でも?」

「俺だけ、何もない気がするんです。」

大城先生は少し黙った。

「何もない?」

「・・・はい。」

「本当にそう思うか?」

淳二は答えられなかった。

「焦って決めた道を歩くより、自分で見つけた道を歩くほうがいいと先生は思うんだ、仲村はどうだ?」

「・・・俺・・・見つかりますかね?」

「それは、お前が探すしかない」

先生は笑った。

「先生が答えを渡したら、それはお前の夢じゃないからな。」

淳二は小さく頷いた。

帰宅すると、母・由美子が台所にいた。

「おかえり。」

「ただいま。」

「今日は遅かったね。」

「大城先生と進路の話してた。」

その言葉を聞いた母親が振り返る。

「そう・・・」

夕食の準備をしながら、母は何も聞かなかった。

しばらくして、父・和也が帰宅した。

「ただいま。」

「おかえりなさい。」

「淳二、ちょっといいか。」

まただ。

淳二は父を見る。

「進路のことか?」

「・・・ああ」

「まだ決まってない。」

父親は少し黙った。

以前なら、もっと厳しい言葉が飛んできたかもしれない。

しかし今日は違った。

「そうか。」

それだけだった。

「父さん。」

「ん?」

「俺って……何が向いてると思う?」

父親は少し驚いた。

そして、椅子に座った。

「それを父さんに聞くのか?」

「分からないから。」

和也はしばらく考えた。

「父さんだって、十八歳のときに自分の人生が全部分かっていたわけじゃない。」

淳二は黙って聞いていた。

「大人になったからって、何でも分かるわけじゃない。」

「・・・そうなの?」

「ああ」

父親は笑った。

「お前が何者になるかを、父さんが決める必要はない。」

その言葉に、淳二は少し驚いた。

「自分で決めろ。」

「……うん。」

「ただし、自分で決めたなら、自分で責任を持て。」

「分かった。」

その夜、淳二は自分の部屋に戻った。

机に向かった。

紙に『将来やりたいこと』と書いてみる。

その下には、何も書けなかった。

翌日。

学校では、いつものように七人が集まっていた。

「淳二、元気ない?」

美海が聞いた。

「そう?」

「うん。」

「寝不足なだけ。」

淳二は笑った。

「嘘っぽい。」

美海が言う。

「何だよ、それ。」

「顔に出てる。」

ひかりが淳二を見る。

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。」

「そう?」

「うん。」

ひかりはそれ以上聞かなかった。

でも、心配そうな顔をしていた。

その様子を見ていた光希が、少しだけ二人を見る。

何か言いたそうだったが、何も言わなかった。

昼休み。

淳二は一人で校舎の外に出た。

海が見える場所まで歩く。

「・・・何者でもない、か。」

昨日、父親に言われたわけではない。

先生に言われたわけでもない。

それなのに、その言葉が頭から離れなかった。

自分には夢がない。

特別な才能があるわけでもない。

何かを極めたわけでもない。

友達はいる。

家族もいる。

それなのに――。

「俺には何があるんだ?」

答えは返ってこない。

「淳二。」

振り返ると、ひかりがいた。

「ここにいたんだ。」

「ひかりか。」

「ここで一人で何してるの?」

「別に」

「またそれ。」

ひかりは隣に座った。

「最近、ずっと『別に』って言ってるよ。」

淳二は笑った。

「そうかな。」

「うん。」

しばらく二人で海を見た。

「ひかり。」

「ん?」

「俺さ・・・」

淳二は言葉を探した。

「俺・・・何者でもないんだよ。」

ひかりは黙っていた。

「みんな夢があるだろ。」

「うん。」

「真弘は野球。克利も自分のことで悩んでるけど、進む道は見えてる。颯斗も家族のために何かしたいって言ってる。」

「・・・うん。」

「光希も、美海も、これから何か見つけるんだろうな。」

「淳二も見つけるよ。」

「でも、今はない。」

「だから?」

淳二はひかりを見る。

ひかりは少し笑った。

「何者でもないんじゃなくて・・・」

一度言葉を止める。

「まだ、何者にもなってないだけじゃない?」

「・・・・・」

「私たち、まだ、十八歳だよ?」

「そうだけど」

「十八歳で人生全部決まってたら、逆につまらないじゃん。」

淳二は少し笑った。

「ひかりって、たまにすごいこと言うよな。」

「たまにって何よ。」

二人で笑った。

けれど、ひかりの胸の中には別の言葉があった。

――本当は、私だって怖い。

自分の夢も。

淳二への気持ちも。

でも、それはまだ言えなかった。

その日の夕方。

淳二は糸満漁港へ向かった。

理由はなかった。

ただ、海を見たかった。

そしてそこには、いつもの老人がいた。

蒲生良介。七十二歳。

毎日のように、決まった時間にここへ来る。

「こんばんは。」

淳二が声をかける。

「ああ。」

蒲生は海を見たまま答えた。

「今日も来てるんですね。」

「お前もな。」

「俺?」

「最近よく見る。」

淳二は少し驚いた。

「そうですか?」

「ああ。」

蒲生は笑った。

「何か悩みでもある顔だ。」

「・・・分かります?」

「海を見てる奴の顔くらい分かる。」

「変な人ですね。」

「よく言われる。」

二人は少し笑った。

淳二は海を見た。

「俺・・・夢がないんです」

蒲生は黙って聞いていた。

「周りはみんな、何かを見つけてる。」

「そうか・・・。」

「俺だけ何もない・・・。」

「何もない?」

「はい。」

蒲生は海の向こうを見た。

「舟はな。」

突然、蒲生が言った。

「え?」

「舟は、最初から全部の道が見えてるわけじゃない。」

淳二は黙って聞いた。

「海に出たら、波もある。風もある。霧も出る。」

「・・・」

「それでも漕ぐ。」

蒲生は少し笑った。

「進んでみなきゃ、どこへ行くかなんて分からん。」

淳二はその言葉を聞きながら、海を見た。

「蒲生さんは・・・夢、あったんですか?」

一瞬。

蒲生の表情が変わった。

「昔・・・はな」

「今は?」

「今は海を見るのが仕事みたいなもんだ。」

それ以上、蒲生は話さなかった。

数日後。

淳二は学校帰りに父親の仕事場を訪ねた。

「父さん。」

「おお、どうした?。」

「ちょっと聞きたいことがある。」

「何だ?」

「父さんは、十八歳のとき何になりたかった?」

和也は笑った。

「それ、今さら聞くか?」

「聞きたい。」

父親は少し遠くを見る。

「正直に言えば、分からなかった。」

「え?」

「周りが決めていく中で、自分だけ分からなかった。」

淳二は驚いた。

「父さんも?」

「ああ。」

「じゃあ、どうしたの?」

「その時その時で、一生懸命やった。」

父親は淳二を見る。

「気づいたら今の仕事をしていた。」

「・・・・・」

「人生なんて、そんなもんだ。」

「じゃあ、俺も・・・」

「急ぐな・」

父親は静かに言った。

「夢は探してもいい。でも、夢が見つからない自分を責めるな、あの時の俺はそう決めた。それは、お父さんにはお父さんのその瞬間があったから、だから決められた、だが、淳二は、淳二の決まる瞬間はいつか訪れる、それがいつになるかは分からんが今は急ぐ必要はないんじゃないか?」

淳二の目に、少しだけ光が戻った。

その頃、六人はいつもの場所に集まっていた。

真弘は話を聞きながら野球の素振り練習。

颯斗と光希は並んで話している。

美海と克利は何かで笑っている。

ひかりは、その輪を見ながら笑っていた。

淳二がやって来る。

「遅いぞ。」

真弘が声をかける。

「ごめん。」

「何してたの?」

「父さんと話してた。」

「珍しいな。」

美海が笑う。

淳二も笑った。

以前より少しだけ、自然な笑顔だった。

ひかりはそれに気づいた。

「少し元気になった?」

「うん。」

「良かった。」

ひかりは笑う。

淳二も笑った。

二人の距離は、まだ変わらない。

けれど、互いを気にかける気持ちは少しずつ深くなっていた。

帰り道。

光希と颯斗は二人で歩いていた。

「淳二、少し元気になったね。」

光希が言う。

「ひかりのおかげじゃない?」

「そうかもね。」

光希は笑った。

颯斗も笑う。

二人の距離は少しずつ近づいている。

しかし、光希はふと振り返った。

そこには淳二がいた。

胸の奥が、またざわつく。

――どうして?

自分でも分からない。

淳二という名前を聞くと、何かが引っかかる。

遠い昔の記憶。

小さな手。海。

そして誰かの声。

「・・・淳二。」

光希は小さく呟いた。

「どうした?」

颯斗が聞く。

「ううん。何でもない。」

光希は笑った。

その夜。

淳二は自分の部屋で机に向かっていた。

「何者にもなってないだけ・・・か。」

ひかりの言葉を思い出す。

大城先生の言葉。

父親の言葉。

蒲生の言葉。

それぞれ違う言葉だった。

でも、伝えてくれていることは同じだった。

焦らなくていい。

淳二は紙を取り出した。

今度は『将来やりたいこと』と書いた下に、一つだけ言葉を書いた。

「探す。」

まだ夢ではない。

でも、昨日までとは違った。

何もないと思っていた自分が、

「探してみよう」

と思えた。

夕方。

淳二は再び糸満漁港へ来ていた。

蒲生が海を見ている。

「また来たか。」

「はい。」

「夢は見つかったか?」

「まだです。」

蒲生は笑った。

「そうか・・・」

「でも・・・探してみようと思います」

蒲生は何も言わなかった。

ただ、少しだけ嬉しそうだった。

「それでいい。」

「蒲生さん。」

「ん?」

「ありがとうございます。」

蒲生は海へ視線を戻した。

「礼なんかいらん。」

「でも。」

「海に礼を言え。」

「え?」

「お前が悩んだ場所だからな。」

淳二は笑った。

「変な人ですね。」

「二回目だぞ、それ。」

二人は笑った。

しかし蒲生は、淳二が帰った後、一人で海を見つめていた。

「……あの頃の俺も、そうだったな。」

その目には、一瞬だけ遠い過去が映っていた。

五十年前。

まだ若かった自分。

そして、忘れることのできない出来事。

蒲生は目を閉じる。

「・・・もしかしたら、俺はまだ、終わってないのかもしれんな。」

夜の糸満。

それぞれの家で、七人はそれぞれの未来を考えていた。

夢を追おうとする者。

夢を迷う者。

家族を思う者。

恋に悩む者。

まだ何も見えない者。

同じ十八歳でも、抱えているものは違う。

淳二は窓から夜の海を眺めていた。

「俺は・・・何になるんだろう」

まだ答えはない。

でも、もう『何もない』とは思わなかった。

答えを探す時間も、自分の人生なのだと思えた。

遠くで波の音がする。

その音を聞きながら、淳二は静かに目を閉じた。

まだ何者でもない。この先どうなるかもわからない

だからこそ、これから何者にでもなれる。

そんな小さな希望を胸に、十八歳の夜は静かに過ぎていった。

そして――

七人それぞれの苦悩が、少しずつ始まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。