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糸満の光〜それぞれの道標〜  作者: 仲西謙太


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第四章 それぞれの夢

六月。

糸満の街は、いつもより少しだけ慌ただしかった。

糸満ハーリーが近づいていた。

糸満漁港では、朝早くから漁師たちの声が響き、舟を漕ぐ練習が毎日のように行われていた。

「せーの!」

「イーヤー!」

掛け声とともに、舟が海面を滑っていく。

何本もの櫂が、一斉に水を叩く。

力強い音が、港いっぱいに響いていた。

その様子を、七人は少し離れた場所から眺めていた。

「すごいな・・・・・」

真弘が呟いた。

「毎日練習してるんだろ?」

颯斗が答える。

「漁師さんたちって、仕事だけでも大変なのにな。」

美海が言った。

「だからこそ、こういうものを大切にしてるんじゃない?」

ひかりが笑った。

光希は、海の上を進んでいく舟をじっと見つめていた。

「沖縄って……本当に独特だね。」

 光希が驚きながらそう言った。

「糸満は特にだよ。」

ひかりが言う。

「ハーリーは昔から糸満の人にとって大切なものだから。」

「ひかり、詳しいね。」

光希が笑う。

「生まれたときから見てるからね。」

「そういうの、いいな。」

光希は少し羨ましそうに海を見た。

その横顔を、颯斗が見ていた。

「何?」

光希が気づいた。

「いや・・・」

颯斗は慌てて視線を海へ戻した。

「沖縄、気に入ったみたいだなって。」

「うん。」

光希は笑った。

「みんなといると楽しいから。」

その言葉を聞いたひかりも笑った。

「もう立派な仲間だね。」

「ありがとう。」

光希は嬉しそうに答えた。

七人。

少し前までは六人だった。

けれど今では、誰もそれを意識しないくらい自然に七人になっていた。

ただ、それぞれの心の中には、まだ誰にも見せていないものがあった。

それは、将来というものだった。

高校三年生。

卒業まで、あと一年もない。

「なあ。」

真弘が突然言った。

「みんな、卒業したら何するんだ?」

「急だね。」

美海が笑う。

「でも、気になる。」

克利が答えた。

「俺は・・・」

真弘が海を見る。

「野球を続けたい。」

「やっぱり?。」

颯斗が笑う。

「ああ。」

真弘は迷わず答えた。

「できれば県外でも続けたい。社会人になっても野球をやりたい。」

「真弘らしいな。」

淳二が言った。

真弘は笑った。

「でも・・・」

一瞬、表情が曇る。

「母さんを一人にしていいのかなって思う。」

誰も笑わなかった。

真弘の母・夏代子。

いつも明るく、息子の夢を応援してくれている。

だからこそ、真弘には分かっていた。

母親が自分を送り出すとき、どれだけ寂しい思いをするのか。

「行きたいんだけどな。」

真弘は海を見つめた。

「母さんを置いていくって考えると……」

言葉が止まった。

淳二が静かに言った。

「母さんなら、行けって言うんじゃないか?」

「・・・そうかな。」

「たぶん。」

真弘は小さく笑った。

「でも、それを決めるのは俺だからな。」

誰も答えられなかった。

それは真弘だけの問題ではなかった。

夢を選ぶということは、ときに誰かを置いていくことでもある。

七人は、まだその意味を知らなかった。

「じゃあ、次は颯斗。」

美海が言った。

「俺?」

「そう。」

「俺は・・・」

颯斗は少し考えた。

「家族を安心させられる仕事がしたい」

「またそれ?。」

美海が笑う。

「だって大事だろ。」

颯斗は笑った。

母親と弟。

決して裕福な家庭ではない。

それでも、家族三人で支え合って暮らしてきた。

「自分が働いて、母さんを楽にさせたい」

その言葉を聞いて、光希が颯斗を見つめた。

「優しいね。」

「普通だよ。」

「普通じゃないと思う。」

光希が笑う。

颯斗も笑った。

その二人を、ひかりは少し離れたところから見ていた。

胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。

けれど、

「光希、良かったね。」

ひかりは笑った。

「颯斗、家族思いだから。」

「うん。」

光希も笑った。

「私、そういうところ好きかも」

その言葉に、ひかりの笑顔が一瞬だけ止まった。

「・・・そっか。」

すぐに笑顔へ戻る。

「いいじゃん。」

誰にも気づかれなかった。

少なくとも、ひかりはそう思っていた。

「じゃあ、克利は?」

真弘が聞いた。

「俺?」

克利は苦笑した。

「俺は・・・。」

少し黙る。

「親父は、俺にも医者になってほしいって思っているらしい。」

「お前の親父さん、医者だもんなおまけに、お前んとこの家族医療関係一家だしな。」 

颯斗が言う。

「ああ」

克利は海を見る。

「小さい頃から、医者になるのが当たり前みたいに言われてきた。」

「なりたくないの?。」

美海が聞く。

「分からない。」

克利は正直に答えた。

「医者が嫌なわけじゃない。親父のことも尊敬してる。」

「じゃあ、いいじゃん。」

真弘が言う。

「そう簡単じゃないんだよ。」

克利は笑った。

「自分が本当にやりたいことなのか、親父に言われたからやりたいと思ってるだけなのか今はまだ、俺には分からない・・・。」

その言葉に、淳二は黙っていた。

自分には、そもそも『親に期待される夢』すらないのかもしれない。

そのことが、急に不安になった。

「美海は?」

今度はひかりが聞いた。

「私?」

美海は困ったように笑った。

「実は・・・まだ分からない。」

「意外。」

光希が言った。

「美海って、何でも決まってそうなのに。」

「そう見える?」

「うん。」

「実は全然。」

美海は笑った。

「みんなが夢を話してるのを聞いてたら、なんか私、焦ってきた。」

「焦る必要ないよ。」

ひかりが言う。

「でもさ。」

美海は海を見る。

「高校卒業したら、今みたいにみんなでいられなくなるんでしょ?」

その言葉に、七人は黙った。

今は当たり前のように一緒にいる。

学校へ行けば会える。

放課後になれば一緒に帰れる。

海へ行こうと思えば、すぐに集まれる。

でも、それは永遠ではない。

卒業すれば、それぞれの道へ進む。

七人は初めて、その現実を意識した。

「光希は?」

ひかりが聞いた。

光希は少し考えた。

「私も、まだ決めてない。」

「意外だな」

克利が言った。

「何でも分かってそうなのに。」

「よく言われる。」

光希が笑う。

「でも、勉強ができることと、自分の人生を決めることは別だから。」

「確かに。」

淳二が初めて口を開いた。

光希は淳二を見る。

その瞬間、まただった。

何かが胸の奥をかすめた。

この声。

この表情。

どこかで知っている。

そんな感覚。

けれど、思い出せない。

「……どうした?」

淳二が聞いた。

「ううん。」

光希は首を振った。

「何でもない。」

そして笑った。

「ただ・・・淳二って、昔どこかで会ったことない?」

「俺?」

淳二は驚いた。

「ないと思うけど。」

「そうだよね。」

光希も笑った。

「なんとなく、そう思っただけ。」

二人とも、それ以上は考えなかった。

しかし、確かに何かがあった。

まだ二人の記憶には戻っていない、幼い頃の記憶。

その記憶は、静かに眠っていた。

「じゃあ、最後はひかり。」

美海が言った。

「私?」

「うん。」

「私は・・・」

ひかりは少し考えた。

「子どもに関わる仕事がしたい。」

「保育士?」

光希が聞いた。

「うん。」

ひかりは笑った。

「子どもが笑ってるのを見るのが好きだから」

「ひかりらしい。」

美海が笑った。

「でも・・・。」

ひかりは一瞬だけ言葉を止めた。

「本当に私にできるのかなって思うこともあるんだよね。」

「できるよ」

淳二が言った。

ひかりは驚いて淳二を見る。

「……なんで?」

「ひかりならできると思う。」

それだけだった。

でも、その言葉はひかりの胸に深く残った。

「ありがとう。」

ひかりは笑った。

いつもの笑顔。

けれど、その笑顔の奥には、言葉にできない気持ちがあった。

――淳二にそう言ってもらえるだけで嬉しい。

そんなことは、言えなかった。

そして最後に、淳二へ視線が集まった。

「淳二は?」

「俺?」

「お前だけ答えてないぞ。」

真弘が笑う。

淳二は海を見る。

「・・・分からない」

正直な答えだった。

「夢がないの?」

光希が聞く。

「ないわけじゃない。」

淳二は少し考える。

「でも、何をしたいのか、まだちゃんと分からない。」

「焦らなくてもいいんじゃない?」

ひかりが言った。

「まだ十八歳なんだから。」

その言葉に、淳二はひかりを見る。

「・・・そうかな」

「うん。」

ひかりは笑った。

「まだこれからだよ。」

その笑顔を見ながら、淳二は少しだけ安心した。

しかし同時に、胸の奥にある何かを感じていた。

自分には夢がない。

みんなには、少しずつ未来が見え始めている。

このままでいいのか。

その答えは見つからなかった。

夕方。

七人は再び糸満漁港へ向かった。

ハーリーの練習は続いている。

「せーの!」

「イーヤー!」

舟が進む。

一人ではなく、何人もの漁師が力を合わせている。

誰か一人だけが強く漕いでも、舟はうまく進まない。

全員が同じタイミングで櫂を動かす。

それを見ていた淳二が言った。

「やっぱ、すごいな。」

「何が?」

ひかりが聞く。

「一人じゃ絶対できないよな。」

「うん。」

ひかりが答えた。

「みんなで漕ぐから、舟は進むんだよね。」

その少し離れたところに、今日も蒲生良介がいた。

七十二歳の老人。

決まった時間になると、この場所へ来る。

漁師を引退した今でも、海から離れることはできなかった。

蒲生は、舟を見つめていた。

そして、七人の方へ視線を向ける。

「舟はな・・・」

七人が振り向いた。

「一人じゃ漕げんよ。」

「え?」

美海が聞き返す。

蒲生は笑った。

「何でもない。年寄りの独り言だ。」

そう言って、再び海を見る。

淳二はその言葉を聞きながら、舟を見つめた。

一人では進めない。

それは、人生も同じなのかもしれない。

その夜。

七人はそれぞれの家へ帰っていった。

真弘は母・夏代子の待つ家へ。

颯斗は家族の待つ家へ。

克利は父親との将来について考えながら。

美海は自分の夢について考えながら。

光希は、沖縄で始まった新しい生活を思いながら。

ひかりは、淳二への想いを胸に隠しながら。

そして淳二は、自分の夢を探しながら。

同じ十八歳。

同じ高校三年生。

同じ仲間。

それでも、歩こうとしている道は、それぞれ違っていた。

窓の外から、糸満の海が見える。

ひかりはベランダから夜の海を眺めた。

「・・・私、ちゃんと笑えてるかな。」

誰にも聞こえない声だった。

一方、淳二も自分の部屋で窓の外を見ていた。

「俺は・・・何がしたいんだろう。」

まだ答えはない。

けれど、いつか答えを見つける日が来る。

七人には、まだ一年近くの時間が残されている。

その時間の中で、恋をする。

夢に悩む。

家族とぶつかる。

仲間と喧嘩する。

傷つけ合う。

そして、また支え合う。

誰も知らない。

この六月の夜が、七人にとって最後の『何も変わらない日々』の一つになることを。

糸満の街には、ハーリーを知らせる音が響いていた。

海の向こうには、まだ見えない未来が広がっている。

七人は、それぞれの場所から、その未来を見つめていた。

十八歳。

夢は、まだ始まったばかりだった。

第一部 十八歳の島人 完。


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