第9話 凱旋と請求書
眩しさに目を細め、私はとっさに手をかざして陽光を遮りました。
地下の薄暗い人工灯に慣れた目には、地上の太陽はあまりにも刺激的です。
新鮮な風が頬を撫で、地下特有の湿った土の匂いを吹き飛ばしていきます。
「……おお! 出てこられたぞ!」
「見ろ! 救世主様だ!」
「リゼット様万歳! ラングレー公爵万歳!」
視界が戻ると同時に、地鳴りのような歓声が鼓膜を打ちました。
王城の前庭、そして崩れた城門の向こうまで、黒山の人だかりができています。
つい先ほどまで虚ろな目で夢を見ていた人々が、今は正気を取り戻し、私たちに向かって手を振り、涙を流して叫んでいました。
「人気者だな、リゼット」
隣でクラウス様が苦笑しながら、私の腰を支えてくれました。
タガヤス君の手のひらから降り立つ私たちの姿は、どうやら民衆の目には「天から降りてきた英雄」のように映っているようです。
泥だらけのドレスも、ボサボサの髪も、彼らのフィルターを通せば「激戦の勲章」になるのでしょう。
ですが、私の目は感動的な群衆よりも、その周囲の光景に釘付けでした。
「まあ……。壮観ですわね」
王都の景色は一変していました。
石造りの冷たい街並みは消え、至る所から巨大なキャベツが生え、街路樹の代わりにトウモロコシが揺れ、噴水からはトマトが溢れ出しています。
マザーの再起動により、暴走植物が一斉に食用作物へ書き換えられた結果です。
「これなら、当分食糧難にはなりませんわね。……ただ、収穫の手間が大変そうですけれど」
「そこを心配するのが貴様らしいな」
私たちが地面に足を着けると、人波が割れ、豪奢なマントを羽織った初老の男性が進み出てきました。
現国王陛下です。
その背後には、青ざめた顔の大臣や騎士団長たちが控えています。
陛下は私たちの前に歩み寄ると、威厳ある態度で、しかし深く頭を下げました。
「リゼット殿、そしてクラウス公爵。……よくぞ、この国を救ってくれた。礼を言う」
「顔をお上げください、陛下。私はただ、自分の農園を守るために害虫駆除をしただけですわ」
私が淡々と答えると、周囲の貴族たちがヒッと息を呑みました。
国王相手に「害虫駆除」と言い放つ令嬢など、前代未聞でしょう。
ですが、陛下は苦笑交じりに頷きました。
「害虫、か。……確かに、愚息は国を食い荒らす虫そのものであったな」
陛下の視線が、タガヤス君の足元に転がされているセドリック様に向けられました。
元王太子は今、縄で縛られ、完全に気絶しています。
王族としての威厳など欠片もありません。
「陛下。この男の処遇についてですが」
私は懐から、地下で作成した請求書(という名の借用書)を取り出しました。
「本来なら国家反逆罪で極刑に処されるべきでしょう。ですが、死んで詫びるというのは、あまりに生産性がありません」
「……ほう。では、どうしろと?」
「彼には働いていただきます。私の農園で、一生かけて」
私は請求書を陛下の従者に渡しました。
そこに書かれた「金貨八億枚」という数字を見た瞬間、従者の目が飛び出しそうになりました。
「こ、これは……!?」
「彼が破壊した私の農機具、精神的苦痛、そしてこれからの王都復興にかかる費用の一部です。……陛下、この借金と、彼の身柄の譲渡を認めていただけますか?」
陛下は書類に目を通し、深くため息をつきました。
そして、どこか憑き物が落ちたような顔で私を見ました。
「……よかろう。セドリックは本日をもって王籍を剥奪し、平民とする。その身柄は、債権者であるリゼット・フォン・ベルモンドに委ねるものとする」
「ありがとうございます。では、彼は今日から私の農園の『期間工』ですわ」
これで法的にもクリアです。
私は満足して頷きました。
「それと、リゼット殿。其の方には、救国の英雄として相応しい褒美を与えねばならん。王城での要職、あるいは新たな爵位……望むものはあるか?」
陛下の言葉に、周囲の貴族たちが色めき立ちました。
救国の聖女として祭り上げられれば、富も権力も思いのままです。
ですが、私は即座に首を横に振りました。
「不要です。そんな面倒なもの、肩が凝るだけですわ」
「……無欲だな」
「いいえ、強欲なだけです。私が欲しいのは、誰にも邪魔されない自由な時間と、美味しいご飯だけですから」
私は黄金のスコップを杖代わりにして、陛下に宣言しました。
「褒美をくださるなら、私の農園『ドクロヶ原』および関連する地下施設の永代所有権をください。そして、そこでの生産活動に対する完全な免税特権も」
「……それだけでよいのか?」
「それ『が』よいのです。……ああ、それと」
私は周囲の野菜だらけの街を見渡しました。
広場には、祝勝会のために用意されたと思われる豪華なテーブルがありますが、上の料理は冷え切っています。
「せっかくの祝宴ですもの。もっと美味しいものを食べましょう」
私は魔法の鞄から、ノースガルドから持ち帰った「雪解けカブ」と「氷魚の燻製」を取り出しました。
そして、広場の中央に向かって歩き出します。
「エリナ様、ナナ、ハチ! 手伝ってくださいな! 王都の皆さんに、本物の『勝利の味』を教えてあげますわよ!」
「はいっ! 任せてくださいぃ!」
『了解。調理モード、起動』
私たちは即席の青空キッチンを開設しました。
街に生えた新鮮なキャベツを刻み、カブと一緒に大鍋で煮込みます。
香ばしい燻製の香りが漂うと、緊張していた兵士や市民たちの顔がほころび始めました。
「なんだ、この匂いは……」
「腹が……減ってきたぞ」
マザーの支配下で「満腹感」だけを与えられていた彼らにとって、この「食欲をそそる香り」こそが、人間性を取り戻すための特効薬でした。
「さあ、並んで! 熱いうちに召し上がれ!」
私がスープを配り始めると、国王陛下までもが列に並び始めました。
堅苦しい儀式も、政治的な駆け引きも、湯気の前では無力です。
「……うまい。これが、生きる味か」
陛下がスープを飲み干し、涙ぐむのを見て、私は確信しました。
この国はもう大丈夫だと。
宴は夜遅くまで続きました。
私は多くの人々に感謝され、握手を求められましたが、心はもうここにはありませんでした。
華やかな王都よりも、静かな農園の夜空が恋しいのです。
「……帰ろうか、リゼット」
宴の喧騒から少し離れた場所で、クラウス様が声をかけてくれました。
彼は私の心を、誰よりも理解してくれています。
「ええ。もう十分ですわ」
私はタガヤス君の方へ向かいました。
荷台には、縛られたままのセドリック様(労働力)も積まれています。
「皆様、お世話になりました! 続きはまた、リゼット屋の野菜でお会いしましょう!」
私は人々に手を振り、タガヤス君に乗り込みました。
人々が名残惜しそうに手を振り返す中、私たちは王都を後にしました。
背後で輝く王城の灯りよりも、前方に見える闇夜の星の方が、私にはずっと美しく見えました。
さあ、帰りましょう。
私たちの愛する、泥と緑の楽園へ。




