第8話 新たなる契約
まばゆい光が収束し、地下空間に静寂が戻ってきました。
私が目を開けると、そこには先ほどまでの崩壊寸前の地獄とは全く違う光景が広がっていました。
赤黒く明滅していたマザーの光の柱は、穏やかな黄金色に輝いています。
そして何より驚くべきは、壁や天井を覆い尽くしていた不気味な蔦や根の変化です。
「……これ、キャベツですわね?」
私は目の前の壁から生えている、丸々とした緑色の物体を指で突っつきました。
先ほどまでは鋼鉄のように硬く、人間を絞め殺そうとしていた殺人植物。
それが今や、瑞々(みずみず)しくて美味しそうな巨大キャベツに変わっています。
見渡せば、床には真っ赤なトマトが実り、天井からは立派なカボチャがぶら下がっていました。
殺風景だった地下中枢が、一瞬にして豊穣な野菜倉庫へとリフォームされたのです。
『システム再起動、完了。……おはようございます、マスター・リゼット』
黄金色の柱から、マザーの声が響きました。
以前のような機械的な冷たさは消え、どこか母親のような温かみを感じさせます。
『全テノ攻撃性植物ヲ、食用作物へと遺伝子書キ換エマシタ。コレデ、人類ハ飢エルコトナク、幸セニ暮ラセルデショウ』
「極端ですわね。まあ、人食い植物よりはずっとマシですけれど」
私は苦笑しながら、へたり込んでいるクラウス様の元へ歩み寄りました。
彼は剣を杖にして立ち上がり、呆然と周囲を見回しています。
「……終わったのか、リゼット?」
「ええ。マザーとは和解しましたわ。これからは、私の農園の『第1管理サーバー』として働いてもらいます」
「サーバー……? お前は本当に、転んでもただでは起きないな」
クラウス様が呆れたように、けれど安堵した表情で私の頭を撫でてくれました。
その手が泥だらけなのも気にならないくらい、私は疲れ切っていました。
でも、まだ一つだけ、片付けなければならない粗大ゴミが残っています。
「う……うぅ……」
足元で、弱々しい呻き声がしました。
タガヤス君が抱えていたセドリック様です。
マザーからの魔力供給を断たれ、さらに憑依していたシステムが抜けたことで、彼は糸の切れた操り人形のようになっていました。
私は彼を見下ろし、冷ややかに声をかけました。
「お目覚めですか、セドリック様。それとも、まだ夢の続きをご覧になりたくて?」
「……リゼット? 僕は、何を……」
セドリック様が焦点の合わない目で私を見上げました。
顔色は青白く、かつての傲慢な覇気は微塵もありません。
マザーに取り込まれていた間の記憶は曖昧なようですが、自分が何か取り返しのつかないことをしたという自覚はあるようです。
「マザーは……? 僕の、理想郷は……?」
「なくなりましたわ。貴方が作ろうとした『飼育小屋』は、私が『農園』に改装しました」
私は黄金のスコップを杖代わりにして、彼に宣告しました。
「貴方は王都を人質に取り、多くの人々を植物人間に変えようとしました。そして何より、私のタガヤス君を壊し、私の安眠を妨害しました」
「……う、あ……」
「王族としての権限は、既に剥奪されています。今の貴方はただの罪人です」
セドリック様がガタガタと震え出しました。
殺されると思ったのでしょう。
クラウス様も、無言で剣の柄に手をかけています。
国家反逆罪。その場で処刑されても文句は言えない立場です。
ですが、私は首を横に振りました。
死んで楽になろうなんて、虫が良すぎます。
「安心なさい。命までは取りませんわ」
私は懐から、手帳とペンを取り出しました。
そして、サラサラと計算式を書き込んでいきます。
「タガヤス君の修理費、特別仕様パーツ代。ノースガルドからの出張経費。精神的苦痛への慰謝料。そして、これから王都の復旧にかかる費用……」
私は書き上がったメモを、ビリリと破いて彼の目の前に突きつけました。
「合計で、金貨八億枚になります」
「は……はちおく……?」
セドリック様の目が点になりました。
国家予算並みの金額です。
「払えませんとは言わせませんわよ。貴方には健康な体がありますもの。私の農園の地下プラントで、一生かけて働いて返していただきます」
「そ、そんな……僕は王族だぞ……!」
「元、ですわ。これからは『期間工のセドリックさん』とお呼びしますね」
私がニッコリと微笑むと、セドリック様は白目を剥いて気絶しました。
これにて、私の婚約者問題は、法的にも経済的にも完全に解決しました。
『マスター。地上へノ出口ヲ確保シマシタ。……皆サンガ、待ッテイマス』
マザーが光の道を示してくれました。
天井の一部が開き、そこから新鮮な外気が流れ込んできます。
「行きましょう、クラウス様。地上はきっと、大騒ぎになっていますわ」
「ああ。野菜まみれの王都なんて、前代未聞だからな」
クラウス様が私の腰を抱き寄せ、エスコートしてくれました。
タガヤス君が気絶したセドリック様(新しい労働力)を丁寧に抱え上げます。
エリナ様も、ナナとハチを連れて駆け寄ってきました。
「リゼットさん! やりましたねぇ! すごいですぅ!」
「ええ。エリナ様も、よく頑張りました」
私たちは光の射す方へと歩き出しました。
戦いは終わりました。
あとは、この野菜だらけになった街の後始末と、私の新しい日常が待っています。
お腹が空きました。
地上に戻ったら、まずはこの壁に生えたキャベツで、温かいスープを作ることにしましょう。
それが、私の勝利の味です。
さあ、凱旋ですわ!




