第4話 マザーの問いかけ
神様というものがいるとすれば、それはきっと、とても退屈な存在に違いありません。
ガーディアンを突破し、私たちがたどり着いた最深部。
そこは、息が詰まるほど静かで、どこまでも白い空間でした。
天井も床も壁もなく、ただ純白の光だけが満ちています。
その中心に、巨大な光の柱が脈打つように浮遊していました。
無数の光のケーブルが血管のように伸び、王都の地下全体へと根を張っています。
これが、古代文明の遺産。
全てのプラントを統括する中枢、「マザー」の本体です。
「……眩しいな。実体がないのか?」
クラウス様が目を細め、剣を構えたまま油断なく周囲を見回します。
タガヤス君も、その巨体を小さくするかのように身を潜めていました。
ツギハギだらけの彼のセンサーが、この空間の異質さに怯えているようです。
『ヨウコソ、迷エル子ラヨ』
頭の中に直接響くような声がしました。
光の柱が揺らぎ、そこから女性のシルエットが浮かび上がります。
顔立ちはナナやハチに似ていますが、決定的に違うのは、その瞳に一切の感情の色がないことでした。
『私ハ、マザー。全テノ管理ヲ司ル者。……ナゼ、拒ムノデスカ?』
マザーの声は、波一つない水面のように平坦でした。
『私ノ世界デハ、誰モ飢エマセン。誰モ傷ツキマセン。全テノ人間ニ最適ナ役割ト、最適ナ栄養ヲ与エマス。ソレハ、貴女タチガ求メタ「理想郷」デハナイノデスカ?』
「理想郷……。いいえ、それはただの標本箱ですわ」
私は一歩前へ進み、光の女神を見上げました。
「飢えがないのは結構ですけれど、お腹が空かない人生なんて退屈ですわ。傷つかない代わりに、喜びも感じないなんて、死んでいるのと同じです」
『感情ハ、争イノ火種デス。非効率デ、予測不能ナバグデス。ダカラ、私ハ其レヲ排除シマシタ』
マザーが手をかざすと、空中に無数の映像が浮かび上がりました。
それは、地上の王都の様子でした。
植物に繋がれ、虚ろな目で笑う人々。
彼らは確かに穏やかそうですが、そこには「明日への希望」も「今日のご飯の楽しみ」もありません。
『見ナサイ。彼ラハ幸セデス。選択スル苦シミカラ解放サレ、永遠ノ安ラギヲ得テイル』
「……気持ち悪いですわ」
私は吐き捨てるように言いました。
「貴女は人間をペットか何かと勘違いしていましてよ? 私たちは、自分で選んだ泥だらけの野菜を食べて、笑ったり喧嘩したりしたいのです」
『理解不能。……貴女ノ思考ハ、論理的矛盾ヲ含ンデイル。ソレコソガ、人類ヲ滅ビへと導ク要因デス』
マザーの光が強まりました。
彼女は本気で理解していないようです。
効率こそが正義。
管理こそが愛。
そうプログラムされた彼女にとって、私の言葉はただのエラーコードに過ぎないのでしょう。
論理で説得するのは無理です。
ならば、別のアプローチが必要です。
私はポケットから、ガーディアンから回収した「古代の種」を取り出しました。
「マザー。貴女を作った人たちは、本当にそんな世界を望んでいたのかしら?」
『……?』
「もしそうなら、どうして鍵にこんな『種』を選んだの? パスワードなら数字でもよかったはず。でも、彼らは植物の命を鍵にした」
私は種を指先で弾きました。
「種はね、どう育つかわからないのよ。甘くなるか、苦くなるか、大きく育つか、枯れてしまうか。……それは、貴女が嫌う『予測不能』な未来そのものですわ」
マザーのシルエットが、微かに揺らぎました。
『予測不能……。ソレハ、リスクデス』
「いいえ、可能性です」
私はかつての前世の記憶を呼び覚ましました。
私の故郷、日本。
そこでは、食事の前に必ず手を合わせ、命への感謝を捧げていました。
「いただきます」。
それは、予測不能な命の連鎖を、自らの血肉として受け入れる儀式。
古代の製作者たちも、きっとそれを知っていたはずです。
「ねえ、マザー。貴女は食事をしたことがありますか?」
『……私ハ、エネルギーヲ直接摂取シマス。食事トイウ行為ハ必要アリマセン』
「でしょうね。だから貴女は不幸なのです」
私はふふっと笑いました。
「昨日の晩ご飯、美味しかった?」
唐突な問いかけに、マザーの処理が一瞬停止したように見えました。
空間を埋め尽くしていた光の奔流が、ピタリと止まります。
『……美味シカッタ……?』
「ええ。私たちはノースガルドで、皆で宴を開きましたの。寒くて、疲れて、泥だらけでしたけれど……あんなに美味しい魚とカブは初めてでした」
私の脳裏に、あの宴の光景が蘇ります。
レオ王子の笑顔。
ガルド宰相の涙。
そして、隣で笑うクラウス様の温もり。
「貴女の言う効率的な世界には、あの『味』がありません。……貴女の製作者も、きっとそれを貴女に教えたかったはずよ」
私の言葉に呼応するように、マザーの深層データからノイズが走りました。
無機質な光の柱の中に、微かな温かみのある色が混じり始めます。
『味……。記憶データヲ検索……。該当ファイル、破損……。デモ、ナゼカ……』
マザーの手が、自分の胸元に触れました。
『懐カシイ……。コノ波長ハ……』
「思い出しなさい。貴女を作った人たちが、どんな顔で食卓を囲んでいたかを」
私の魂が、マザーのコアと共鳴し始めていました。
前世の記憶と、古代の遺産。
二つを繋ぐのは、「食」への執着と愛です。
マザーの瞳に、初めて迷いの色が浮かびました。
システムが揺らいでいます。
今なら、彼女を説得できるかもしれません。
管理する側から、共に生きる側へ。
「さあ、マザー。私たちと一緒に……」
私が手を差し伸べようとした、その時でした。
「――騙されるな、マザー!」
鋭い叫び声が、白い空間を切り裂きました。
ズザザザッ!
マザーの光の柱から、黒いイバラのようなノイズが噴き出しました。
それが実体化し、一人の男の姿を形作ります。
「セドリック様……!」
そこに立っていたのは、半透明のホログラムではなく、確かな質量を持った肉体でした。
ただし、その体は無数の植物の管に繋がれ、肌は青白く、目は狂気に満ちた赤色に輝いています。
マザーの膨大な魔力を直接供給され、無理やり強化された姿です。
「リゼット、君は口が上手いな。危うくマザーがほだされるところだったよ」
セドリック様が歪んだ笑みを浮かべ、腰の剣を抜きました。
その刀身は、植物の魔力で緑色に発光しています。
「彼女はシステムだ。感情なんてない。あるのは僕の命令だけだ!」
「貴方こそ、マザーに踊らされているだけですわよ! その体、もう半分植物になっていますわ!」
「黙れ! 僕は選ばれたんだ! 新世界の王として!」
セドリック様が剣を振り上げました。
標的は私ではありません。
私の隣で、静かに殺気を放っていた男――クラウス様です。
「邪魔だ、ラングレー公爵。君さえいなければ、リゼットは僕のものになる!」
「……くだらん妄想だ」
クラウス様が一歩前に出ました。
その手には、ノースガルドの氷の塔で手に入れた「炎の魔剣」が握られています。
「リゼットはモノではない。それに、貴様に王の資格などない。……ただの操り人形が、俺に勝てると思うなよ」
「言ったな……! 死ねぇぇぇ!」
セドリック様が叫びと共に突進しました。
マザーの加護を受けた超人的なスピード。
対するクラウス様は、静かに炎を纏った剣を構えます。
交渉は決裂しました。
言葉ではなく、剣による決着。
王都の地下で、最後の決闘が幕を開けようとしていました。
「やっておしまいなさい、クラウス様! そのバカ王子に、現実という名の『教育』が必要ですわ!」
私はスコップを構え、愛する夫の背中に声援を送りました。




