第2話 元婚約者の逆襲
「ようこそ、リゼット。ずっと待っていたよ」
地下に降りて数十分。
湿った闇の中に、懐かしくも忌々しい声が響き渡りました。
タガヤス君がこじ開けた地下通路は、予想以上に整備された空間でした。
壁も床も滑らかな金属で覆われていますが、その表面はびっしりと青白い苔や発光する植物の根に侵食されています。
まるで、機械と植物が無理やり融合させられたような、不気味な光景。
その通路の突き当たりに、ぼんやりと光る人影が浮かび上がりました。
「……セドリック様?」
私が足を止めると、光の粒子が集まり、一人の青年の姿を形作りました。
金色の髪に、整った顔立ち。
かつて私を婚約破棄した、あの王太子の姿そのものです。
ただし、その体は半透明で、時折ノイズのように揺らいでいます。
「ホログラム、か。……本体は奥に隠れているらしいな」
隣でクラウス様が剣の柄に手をかけ、警戒心を露わにしました。
エリナ様も、不浄な気配を感じ取ったのか、私の袖をギュッと掴んでいます。
「隠れてなどいないさ。僕は今、この王都の全てと繋がっているんだ」
セドリック様のホログラムが、優雅に両手を広げました。
「見たかい、リゼット? 地上の様子を。争いもなく、飢えもなく、誰もが満たされた顔で眠っている。これこそが、僕が作り上げた『理想郷』だよ」
誇らしげに語る彼の表情は、以前よりもどこか幼く、そして狂気を孕んで見えました。
「理想郷……? あんなものは、ただの植物人間製造工場ですわ」
私は冷ややかに言い放ちました。
あの虚ろな笑顔の衛兵たちを思い出すだけで、虫唾が走ります。
「ひどいな。君ならわかってくれると思ったのに」
セドリック様が悲しげに眉を下げました。
「君はいつも言っていたじゃないか。『効率化』が大事だと。無駄な労働を省き、システムで管理するのが一番だと。……僕はね、君の教えを忠実に実行したんだよ」
「は?」
「君は優秀すぎた。だから僕は、君に見合う男になろうと必死だったんだ。そして見つけたんだよ、この古代の『マザー』をね」
彼の瞳が、青白く発光しました。
「マザーは素晴らしいよ。人々に魔力という栄養を直接供給し、代わりに不要な思考や労働を取り除く。これぞ究極の効率化だ! もう誰も、泥にまみれて野菜を作る必要なんてないんだ!」
彼の言葉に、私は呆れてため息をつきました。
この男は、何もわかっていません。
私がなぜ効率化を目指したのか。
私がなぜ、泥だらけになって働いていたのか。
「……セドリック様。貴方は大きな勘違いをしていますわ」
私は一歩前へ進み、彼を見据えました。
「私が効率化を求めたのは、浮いた時間で『美味しいご飯をゆっくり食べるため』です。労働そのものを否定した覚えはありません」
「同じことだろう? 食事なんて、栄養さえ摂れれば……」
「違います!」
私の怒声が、地下通路に反響しました。
「プロセスを楽しまない食事なんて、ただの給油作業です! 汗を流した後のビール、寒空の下で食べる熱々のシチュー、手間暇かけた煮込み料理……。その『苦労』というスパイスがあるからこそ、人生は美味しいのです!」
「苦労……? スパイス……?」
セドリック様がキョトンとしています。
やはり、この男には通じません。
彼は生まれつき、何でも与えられるのが当たり前の王族。
「空腹」という最高の調味料を知らないのです。
「それに、貴方の作った世界は、味気ない栄養チューブを無理やり口に突っ込まれているようなものですわ。……私はお断りです。そんなものを食べるくらいなら、土を噛んだ方がマシです」
「リゼット……。どうして拒絶するんだ……」
セドリック様のホログラムが、ザザッと激しくノイズを走らせました。
「僕は……君のために……。君を……楽にしてあげたくて……」
「私のために? 笑わせないでください」
私は黄金のスコップを地面に突き立てました。
「貴方はただ、私に『すごい』と言わせたかっただけでしょう? 自分の承認欲求のために、国中の人々を巻き込まないでくださる?」
「…………」
図星だったのか、セドリック様が押し黙りました。
しかし、その表情から感情が抜け落ちていくのがわかりました。
人間らしい悲しみや怒りが消え、代わりに無機質な冷たさが浮かび上がります。
『……リゼット。理解、不能……』
声が変わりました。
彼の口から発せられたのは、彼自身の声と、機械的な女性の声が重なった、奇妙な和音でした。
「セドリック……?」
クラウス様が眉をひそめます。
『非効率ナ思考……。感情ハ、バグノ原因……。排除、シナケレバ……』
ホログラムの輪郭が崩れ、セドリック様の姿が歪んでいきます。
それはまるで、彼の人格が背後の巨大なシステムに溶かされていくようでした。
「セドリック様! しっかりなさい! 貴方、取り込まれていますわよ!」
私が叫んでも、もう彼の耳には届かないようでした。
彼はただ、壊れた人形のように首を傾げ、私を指差しました。
『交渉、決裂。……対象ヲ、排除シマス』
その言葉と同時に、ホログラムが霧散しました。
入れ替わるように、通路の奥から重苦しい駆動音が響き渡ります。
ズシン、ズシン、ズシン。
地面が揺れ、天井からパラパラと土埃が落ちてきました。
現れたのは、私のタガヤス君よりも一回り大きく、全身を黒い装甲で覆われた異形のゴーレムでした。
その両腕にはドリルや草刈り機ではなく、巨大な砲身と鋭利なブレードが装備されています。
「な、なんですの、あれは……」
『警告! 警告!』
私の肩で、ナナが悲鳴のような警告音を上げました。
『アレハ「ガーディアン」。古代ノ軍事用防衛モデルデス! 農業用ノタガヤス君デハ、スペックガ違イスギマス!』
「軍事用……!?」
黒い巨人が、単眼のカメラアイを赤く光らせ、私たちを捕捉しました。
その殺気は、今まで相手にしてきた農機具とは別次元のものです。
「リゼット、下がれ! こいつはヤバい!」
クラウス様が私の前に飛び出し、炎の魔剣を構えました。
タガヤス君も私を守るように前に出ますが、その鉄の体が一瞬、恐怖したように震えたのがわかりました。
元婚約者からの歪んだプレゼント。
それは、問答無用の暴力という形で私たちに襲いかかろうとしていました。




