第8話:雪解けと芽吹き
ポチャン、と。
静かな水音が、どこからか聞こえてきました。
それは、塔の制御室だけではありません。
窓の外、見渡す限りの白い大地で、一斉に奏でられ始めた「春の足音」でした。
「……雨が止みましたわね」
私は湯気に濡れた髪をかき上げ、窓辺に立ちました。
先ほどまで降っていた温かい雨は上がり、雲の切れ間から眩しい陽光が差し込んでいます。
眼下の雪原を見て、私は息を呑みました。
分厚い氷のカーペットが割れ、その隙間から黒々とした土が顔を出していたのです。
「リゼット様! あれを見てください!」
エリナ様が指差した先、塔の麓にある地下都市の入り口から、人々が次々と這い出してくるのが見えました。
レオ王子、ガルド宰相、そして槍を持っていた少年兵たち。
彼らは空を見上げ、太陽の光を浴びて、涙を流しながら抱き合っています。
「……成功だな。少し手荒だったが」
クラウス様が隣に立ち、穏やかな笑みを浮かべました。
彼の鎧も、私のドレスも、温泉の蒸気ですっかり湿ってしまいましたが、不快ではありません。
『……キレイ。コレガ、太陽……?』
AIのハチが、モニターの中で瞬きをしました。
彼女はずっと、滅びの予言に怯え、世界を閉ざすことしか考えていませんでした。
ですが今、彼女の瞳に映っているのは、死の世界ではなく、再生しようとする力強い命の輝きです。
「そうよ、ハチ。これが貴女が守るべき本当の世界です」
私はモニター越しに彼女に語りかけました。
「凍らせて時を止める必要なんてありません。太陽を浴びて、雨を吸って、泥だらけになって生きる。……少し面倒くさいけれど、悪くないものでしょう?」
『温カイ……。ボクノ塔ガ、脈打ッテイルミタイ』
ハチは胸に手を当てました。
塔の内部を循環する地熱エネルギーが、彼女のシステムにも温もりを伝えているのです。
「さて、ハチ。貴女に新しい仕事をあげますわ」
『仕事……? 保存デハナク?』
「ええ。今日から貴女は、この『ノースガルド温泉リゾートタワー』の総支配人です」
私は高らかに宣言しました。
「地熱の管理、お湯の温度調整、そしてお客様への『おもてなし』。それが貴女の新しい使命です」
『オモテナシ……。誰カヲ、喜バセル仕事……』
ハチのホログラムが、柔らかいピンク色に輝きました。
彼女はスカートの裾をつまみ、ぎこちなく、けれど嬉しそうにカーテスをしました。
『了解、マスター・リゼット。……ボク、頑張ッテミマス』
これで塔の管理問題は解決です。
次は、私自身の報酬を回収しに行かねばなりません。
私たちは塔を降り、まだ湯気の立つ雪解けの大地へと足を踏み出しました。
足元の雪はシャーベット状になり、所々に緑色の芽が顔を出しています。
「あっ! リゼットさん、これ!」
エリナ様が足元の土を掘り返し、声を上げました。
そこにあったのは、握り拳ほどの大きさの白い根菜。
伝説の「雪解けカブ」です。
「まあ……! なんて立派な」
私はスコップで丁寧に掘り起こしました。
ずっしりとした重み。
表面は真珠のように滑らかで、泥を拭うと甘い香りが漂います。
古代の品種改良により、氷の下でも糖分を蓄えながら生き延びていた「奇跡の種」です。
「生でもいけそうですわね」
私はナイフで薄くスライスし、一切れ口に含みました。
カリッ。
「…………っ!」
衝撃が走りました。
梨のように瑞々(みずみず)しく、砂糖菓子のように甘い。
それでいて、後味には大地の力強い風味が残ります。
これは野菜ではありません。
大地が作ったデザートです。
「おいしい……。これなら、最高の煮込み料理が作れますわ」
私はカブを抱きしめ、うっとりと空を仰ぎました。
レオ王子たちも駆け寄ってきて、カブを見つけては大歓声を上げています。
食糧難も、これで一気に解決するでしょう。
「リゼット。川の方を見てみろ」
クラウス様が声をかけました。
氷が解けた川の水面が、キラキラと輝いています。
よく見ると、それは太陽の反射だけではありませんでした。
透き通った魚たちが、群れを成して上流へと戻ってきているのです。
「あれは……幻の『氷魚』!」
全身が氷のように透明で、極上の脂が乗っているとされる魚。
環境が戻ったことで、彼らもまた帰ってきたのです。
「決まりですわね」
私は黄金のスコップを高く掲げました。
「今夜は国を挙げての『大収穫祭』です! カブの煮込みと、氷魚の刺身! ノースガルドの復活を、胃袋から祝いましょう!」
少年たちの「おーっ!」という歓声が、春の空に響き渡りました。




