第1話:寒さは敵です
今すぐ、お家に帰りたいです。
心底そう思いました。
目の前に広がるのは、視界を埋め尽くす白い壁。
猛吹雪です。
上も下もわからなくなるほどの暴風雪が、私たちの魔導馬車を激しく揺さぶっています。
「……リゼット。大丈夫か」
隣に座るクラウス様が、私を強く抱きしめてくれました。
彼の体温だけが、この白い地獄における唯一の救いです。
「大丈夫ではありませんわ。……まつげが凍って、目が開きません」
私はガチガチと歯を鳴らしながら答えました。
最高級の羊毛コートを三枚重ね着し、その上から魔獣の毛皮を羽織っていますが、それでも寒さが骨の髄まで染みてきます。
ここは北の果て、ノースガルドの国境付近。
手紙には「寒い」と書いてありましたが、これは寒さというレベルではありません。
生命活動を拒絶する、死の世界です。
「リゼットさん、くっついてくださいぃ! 私、出力を上げますからぁ!」
向かいの席のエリナ様が、両手を広げて飛びついてきました。
彼女は今、全身から金色の光と熱を放っています。
まさに人間暖房器具。
聖女の尊厳などかなぐり捨て、私たちはエリナ様を中心に団子状態になっていました。
『警告。外気温、マイナス四〇度。魔導エンジンの出力低下。コノママデハ、三十分後ニ凍結シマス』
私の肩に乗ったナナ(ドローン)が、無慈悲な数値を告げました。
「マイナス四〇度……!? 冷凍マグロになる温度ですわよ!」
「リゼット。引き返そう。これ以上の前進は自殺行為だ」
クラウス様が深刻な顔で提案しました。
本来なら、その通りです。
ですが、ここで引き返せば、あの手紙をくれた少年や、幻の食材「雪解けカブ」はどうなるのでしょう。
何より、この異常気象を放置すれば、いずれ私の農園も凍りついてしまいます。
「……いいえ。進みますわ」
「しかし、道がないぞ。雪に埋もれて何も見えん」
「道がないなら、作ればいいのです。……雪の下にね」
私は震える手で、懐から「黄金のスコップ」を取り出しました。
そして、馬車の窓を少しだけ開けます。
ヒュオオオオ!
殺人的な冷気が吹き込んできましたが、私は構わずスコップを外へ突き出しました。
そして、馬車の後部に連結していた「荷物」に向かって叫びました。
「タガヤス君! 出番ですわよ!」
ズズズ……ン!
吹雪の向こうから、巨大な影が現れました。
私の愛機、古代の農業用ゴーレム「タガヤス君」です。
彼は寒冷地仕様のオイルを差してあるため、この寒さでも平気で動けます。
『ガガ……タガヤス……命令ヲ……』
「全面、掘削! 地下へ潜りますわよ!」
私がスコップで地面を指すと、タガヤス君の目が赤く光りました。
巨大な右腕のドリル(本来は深耕用ロータリー)が唸りを上げます。
ギュイイイイイン!!
凍りついた大地が、豆腐のように砕かれました。
タガヤス君は猛烈な勢いで地面を掘り進み、あっという間に人が通れるほどの大きな穴を開けました。
「よし、全員馬車から降りて! 地下へ避難します!」
私たちは荷物を担ぎ、転がり込むように穴の中へと滑り込みました。
タガヤス君が入り口を塞ぐと、嘘のように風の音が止みました。
地下はひんやりとしていますが、地上の殺人的な冷気に比べれば天国です。
「ふぅ……。生き返りましたわ」
私はカンテラの明かりをつけ、ほっと息を吐きました。
地下トンネルは、タガヤス君が開けたばかりの土の匂いがします。
「とんでもない力技だな。国境を地下から越えるとは」
クラウス様が呆れつつも、私の背中についた雪を払ってくれました。
「正規ルートの雪山越えなんてやってられませんもの。さあ、タガヤス君。このまま王都までトンネルを掘り続けるのです!」
私たちはタガヤス君を先頭に、暗い地下道を進み始めました。
これなら風も雪も関係ありません。
地中を進むモグラ作戦です。
一時間ほど進んだ頃でしょうか。
先頭を行くタガヤス君が、不意に停止しました。
『ピピ……障害物……金属反応……』
「金属?」
私が駆け寄ると、掘削された土壁の中から、太いパイプのようなものが露出していました。
錆びついていますが、明らかに人工物です。
「……これは、古代の地熱パイプ?」
私はスコップの柄でパイプを叩いてみました。
カン、と鈍い音がします。
そして、微かですが、パイプ自体が温かいのです。
「やはり。この国には地下に熱源があるようですわ。……ナナ、解析を」
『了解。……コノ配管ハ、第9プラント(氷の塔)カラ伸ビテイル「排熱ダクト」ト推測シマス』
「排熱ダクト……。ということは、これを辿れば目的地に着くわけね」
私たちはパイプに沿って進むことにしました。
これはいわば、古代の暖房システムの裏道。
地上よりも遥かに快適なルートです。
しかし、快適な旅は長くは続きませんでした。
開けた空間に出た瞬間。
カシャン、カシャン、と無数の足音が響き、私たちは包囲されてしまいました。
「動くな! 何者だ!」
幼い、けれど必死な声。
ランタンの光に照らされたのは、ボロボロの服を着て、錆びた槍を構えた少年たちの集団でした。
彼らは痩せこけ、頬はこけ、目はぎらぎらと光っています。
その背後には、薄暗い地下空間に作られた、粗末なテント村が広がっていました。
「……地下都市?」
私は息を呑みました。
ノースガルドの人々は、寒さから逃れるために地下で暮らしていたのです。
「怪しい奴らめ! 塔からの刺客か!?」
リーダーらしき少年が、切っ先を私に向けました。
敵意剥き出しです。
ですが、私は彼の槍よりも、彼のお腹が「グゥ~」と鳴った音を聞き逃しませんでした。
どうやら、最初の交渉相手は、寒さではなく空腹のようです。
私はゆっくりと両手を挙げ、黄金のスコップではなく、魔法の鞄から「あるもの」を取り出しました。
「怪しい者ではありませんわ。……温かいスープはいかが?」
私の言葉に、少年たちの視線が槍から私の手元へと釘付けになりました。




