第2話:地下帝国は野菜の国
ヒンヤリとした冷気が、頬を撫でました。
巨人の胸部から続く階段は、どこまでも深く、暗い地下へと伸びています。
足音だけがカツン、カツンと反響する静寂の世界。
空気には土の匂いではなく、錆びた鉄とオイル、そして微かなカビの臭いが混じっていました。
「……リゼット。足元に気をつけろ。この階段、いつ崩れてもおかしくないぞ」
先頭を行くクラウス様が、ランタンを掲げながら注意を促しました。
その光に照らされた壁面には、地上では見たこともない金属のパイプが血管のように張り巡らされています。
「大丈夫ですわ。それより、この配管……。形状からして、液体肥料の循環システムに見えます」
私は壁に這うパイプを指でなぞりました。
もし私の推測が正しければ、この先に眠っているのは古代の財宝などではありません。
もっと実用的で、価値のあるものです。
「あのぉ、リゼットさん……。私、なんだかここを知っている気がしますぅ」
最後尾を歩いていたエリナ様が、おずおずと声を上げました。
彼女は不安そうに自身の肩を抱いていますが、その碧眼は暗闇を見通すように光っています。
「知っている? 夢で見たとか?」
「わかりません。でも、懐かしいような……。あ、見てください! あそこにスイッチみたいなものが!」
エリナ様が指差したのは、踊り場の壁に設置された一枚の黒いパネルでした。
彼女は何かに導かれるように手を伸ばし、そのパネルに触れました。
「おい、勝手に触るな!」
クラウス様が止める間もありませんでした。
エリナ様の指先から、金色の魔力がパネルへと吸い込まれていきます。
ブゥン……。
低い駆動音が響き渡りました。
次の瞬間。
パッ、パッ、パパパパッ!
天井に埋め込まれていた照明が、奥へ向かって次々と点灯していきました。
暗闇だった空間が一気に照らし出され、私たちはその全貌を目にしました。
「……これは」
クラウス様が息を呑みました。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りの広大なドーム空間でした。
しかし、そこに黄金の山はありません。
並んでいたのは、整然とした幾何学模様を描く、何千もの透明なガラスの筒と、銀色のレーン。
そして、その中には干からびた植物の残骸が無数に横たわっていました。
「間違いありませんわ……。ここは、超巨大な『水耕栽培プラント』です」
私は震える声で呟きました。
武器庫でも、居住区でもない。
ここは、古代文明が食料を生産するための工場だったのです。
「す、すごいですぅ……。これ全部、畑なのですかぁ?」
「ええ。土を使わず、養分を含んだ水だけで野菜を育てるシステム。前世……いえ、私の知識にある究極の効率化農法です」
私は階段を駆け下り、最前列にある巨大なタンクへと向かいました。
表面には『液肥タンク A-1』と読める古代文字が記されています。
もし、この中に古代の超高性能肥料が残っていれば、私の農園はさらに飛躍できるはず。
「お願い、残っていて!」
私は祈るような気持ちで、タンクの点検窓を覗き込みました。
そして、錆びついたバルブを黄金のスコップでこじ開けます。
プシュッ。
虚しい音がして、少量の茶色い粉が舞い散っただけでした。
中身は完全に空っぽ。
長年の放置により、蒸発してしまったようです。
「……嘘でしょう。私の『古代ミラクル肥料』の夢が……」
私はがっくりと膝をつきました。
宝の山に見えましたが、現状はただの巨大な産業廃棄物処理場です。
再稼働させるには、配管の修理から始めなければなりません。
考えただけで目眩がします。
「リゼット、落ち込んでいる場合ではないぞ。……何か、来る」
クラウス様が私を引き起こし、剣を構えました。
工場の奥、中央制御室らしきガラス張りの部屋から、青白い光が漏れ出しています。
『侵入者……検知……』
どこからともなく、無機質な少女の声が響きました。
先ほどの巨人のようなノイズ混じりではありません。
もっと澄んだ、しかし冷徹な響き。
『ID照合……該当ナシ。セキュリティレベル・オレンジ。排除シマス』
「排除って、またですか!? 少しは話し合いというものを覚えなさい!」
私が叫ぶと同時に、虚空に無数の光の粒子が集まり始めました。
それは次第に形を成し、半透明な青い髪を持つ、小さな少女の姿を形作っていきました。
その瞳は私たちを捉えているようで、どこも見ていないような虚ろさを湛えています。
「……幽霊?」
エリナ様が怯えて私の背中に隠れました。
いいえ、違います。
あれは、この巨大プラントを管理するシステムそのもの。
私の安眠を妨げる、新たな「仕事」の始まりでした。




