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二つの不誠実 ――前世の記憶に目覚めた公爵令嬢は、愛する人の秘密と隠された真実を解き明かす  作者: 水月 絃


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05. 疑いと決意


「……『前世』『漫画』『スカート』」

「え?」

「姉上がこの数分の間に言った、『この世界には無い』言葉だよ。『前世』以外は無意識だったでしょう」

「え? え?」


 テオフィルの指摘に、リエットは思わず間抜けな声を漏らした。

 確かに、よくよく考えてみると、「漫画」――コマ割りされた中に人物や背景が描かれ、吹き出しで台詞を記載する作品は、リエットの知る限り、この世界にはまだ存在しない。せいぜいが連続性のある絵画を並べ、説明書きで物語性を示す程度だ。


 同じく「スカート」も、リエットの記憶には無いものだった。そもそも女性の衣服は基本的に上下繋がった形のドレスローブであり、上下が分かれている、ということはない。前が開いたデザインのドレスの下に履く衣服――「前世」におけるアンダースカートが一番それに近いだろうが、これにはジュップという別の名前が与えられている。

 思った以上に、知っている知識を伏せるというのは、難しいことなのかもしれない。


「難しいわ……」

「そんなに?」


 「前世」にはリエットの世界では考えられないような機器が沢山あった。スマホ、テレビ、コンピュータ。

 これらは余りにリエットの世界と縁遠く、故に話に出さないようにすることは簡単だろう。


 けれど漫画やスカートといったものは半端に距離が近い。絵画やジュップといった似た概念があり、また実現にあたり「前世」的な――、この世界から見て「未知の」基幹技術を必要としない。故に、あたかもこの世界にあるように、脳が混同してしまいそうだった。いや、実際してしまっていたのだろう。


「貴方、『この一年で習ったことだけ全て無かったこととして生活しろ』と言われて、それができる?」

「……」


 リエットはそれが自分の人生よりも長い、三十余年分である。少しだけ気持ちが分かったのだろう。テオフィルは腕を組んで小さく唸った。


「でも、やらなければいけないわね」


 公爵家の令嬢として、勿論品位は保つべきものだ。教会に異端視されるなんて以ての外である。けれどそれよりも。


――何故、リエットに「前世」の記憶が蘇ったのか。これは本当にリエットの「前世」なのか。

――そして、フェリクの「問い」の真意は何なのか。「前世」と無関係と言えるのか。


 まずは真実を知らなければならない。過程でもし、この「前世」が偶発的なものではなく――たとえばこの事態を引き起こした人物が現れ敵対行動を取るならば、其れから公爵家を守らねばならない。そのためには、「前世」のカードは隠すのが最善だろう。

 そして今、「事態を引き起こした容疑者」に最も近いのは。


 思考が追い付いたらしいテオフィルが顔を曇らせた。幼き日に引き取られ、ある意味フェリク以上に共にいる時間の長い義弟は、あの「問い」の存在も、リエットの考えも、よく理解している。


「やっぱり、フェリクさまは頼れないんだよね」

「ええ。頼れないどころか、ことを明らかにするまではそうね、政敵だと思ったほうが良いくらいだわ」


 一度目を閉じると、穏やかに笑い、こちらに手を差し伸べる、恋しい人の姿が思い浮かぶ。

 フェリシアン=ジョゼフ・ド・コルベール。リエットの、大切な婚約者。


 人格、能力、容姿、家格と、全てを備えた、リエットに誠実な青年は――けれどただふたつだけ、「不誠実」な点を持っている。

 ひとつは、共に成人した今も婚約者止まりで、結婚に踏み切ってくれないこと。そしてもうひとつは。

 

『今日も、リエットに聞きたいことがあったんだ』

『なるほど、良いアイデアだ、参考にさせてもらうよ』

『どうして――――!』


 繰り返される不思議な問いかけ。解に対する、顔色の読めない柔和な反応。

 けれどただ一度だけ、今よりも大分幼い彼に、期待外れだと態度であらわされたことがある。自分の荒げた声に自分で驚いたように、言葉を切って、喉元を抑えた姿をよく覚えている。

 きっとあれが、彼の隠した真意なのだ。


『フェリクさまはきっと、私が前世の記憶を思い出すのを待っているのよ』


 数日前の妄言が、こんな形で帰ってくるなど、思いもしなかった。


「フェリクさまは、いいえ、フェリクさまと王太子殿下は――私の『前世』の記憶を求めているのかもしれないわ」


***


 言葉は予想していただろうに、テオフィルは裏切られたと言うような、沈鬱な顔でぐっと黙り込んだ。無理もない。彼もフェリクとの付き合いは長く、それこそ実の兄のように慕っていたのだから。

 けれど、おそらく彼も理解しているであろう言葉を、敢えて続けなければならない。リエットの味方は今、テオフィルしか居ないのだ。


「確定したわけじゃないわ。普通に考えて、『前世』なんて有り得ないもの。でもね、」


 リエットに蘇った「前世」も、フェリクの「問いかけ」も、たまたまだった。そう考えたほうが、余程現実的だ。

 けれど、こう仮定すると、辻褄が合ってしまうのもまた、事実だった。


「フェリクさまと王太子殿下は何らかの方法で、私の中に『前世』の記憶があることを知っていて、蘇るのを待っていたのよ」

「……」

「きっと『前世』の存在は幼少期から分かっていたのでしょうね。だから監視の意味も兼ねて、フェリクさまを私の婚約者にしたのだわ」

「……あねうえ、」

「記憶を蘇らせた私はいつもの『問い』できっと特別な意見を言うはず――お二人にはその確信があったのだと思うわ。だから毎度聞いてきたのでしょう」

「義姉上、」

「まだ小さい頃にいつも通り答えたら、一度だけフェリクさまがお怒りになったことがあったの。いいえ、ひどいことを言われたわけでは無いわ。声を荒げただけ。子供のちょっとした癇癪のようだったかしら。フェリクさまはそれきりだったけれど、思えば王太子殿下はいつも私のことを睨むように見ていたわね。いつまでも思い出さない呑気な私に、苛立ちが募っていたのでしょ――」

「義姉上!」


 急に肩を揺さぶられてびくりとする。見れば、テオフィルが必死な、どこか泣きそうな顔でこちらを見ている。


「義姉上、もういい、もういいから……」


 そう言って俯いたテオフィルが、あっという間にぼやけてしまった。視界はゆらゆらと波打ち、いつの間にかシーツを握りしめていた手の甲に、幾らかの雨が降ってくる。

 そうしてようやく、泣きそうなのは――泣いていたのは、テオフィルではなく自身だと思い当たった。

 ひくり、と喉が震える。


「大丈夫よ、テオ」

「でも、」

「だいじょうぶだから、ね?」


 リエットの想いなど、しくしくと痛む心など些末な話なのだ。

 それよりも、公爵家の「これから」の方が、リエットにとっては余程大事なことなのだから。

 リエットは、涙を拭って顔を上げた。

 泣いている暇など無かった。


「知らなければいけないことが沢山あるわ」


 ひとつ。なぜリエットに「前世」の記憶が蘇ったのか。エクリエル教と真っ向から対立する「前世」の概念は、真に存在し得るのか。

 ひとつ。フェリクと、そしておそらくの王太子殿下は、リエットに宿る前世――その事実を知っていたのか。知っていたなら、何故知ることができたのか。

 ひとつ。フェリクと王太子の狙いは何なのか。


 フェリクと王太子殿下の国を思う気持ちを疑ったことはない。

 仮にこの「前世」が植え付けられたもので、その犯人が彼らであろうとも、十数年、リエットへ偽りの姿を見せ続けていたとしても。そこに私利私欲があってのことでは無いと思う。

 けれど――「国のため」という行動理念は、リエットの生家、「ヴェルディエ公爵家への悪影響が無い」とは等価ではないのだ。


「国に尽くし民を守るのが貴族の務め。それでも、もし国が――、殿下やフェリクさまが、我がヴェルディエ公爵家の犠牲の上で、国を盛り立てようとしているのなら。私は戦わなければならないの」


 リエットにとって、公爵家が一番大事だ。

 それは生まれた時から、そして成人した今も決して変わらないことであり、きっとテオフィルも同じことだろう。

 だからたとえ愛した人であっても、此方へ牙を剥くのなら。リエットは剣を執らねばならなかった。


 自分の抱いたそれが、まるで先日読んだドラマティックな悲恋のようで。リエットは涙に濡れた顔で小さく笑った。


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