04. 「前世」と疑い
――リエットは、何か良い案があるかな。
柔らかなあの声に、今ならば、幾らでも「革新的な」答えを返せるだろう。
この世界ではまだないワークショップ――たとえば王宮庭園の草花を使ったサシェづくりのような、体験型イベントをやっても良い。
「前世」の「ガチャ」よろしく、中身が見えない均一な袋を安価で販売し、ほとんどに安価な菓子を入れつつ、一握りに王女殿下による刺繍といった特別な品を入れたなら、圧倒的な売り上げをあげることができるはずだ。
フェリクが求めていたのは、こうした答えだろうか。
だとしたら、「どうして」という疑問が浮かぶ。
「リサ」の記憶のないリエットは、別段、発想豊かな人間では無かったと思う。好奇心は人よりは旺盛だし、時折渋い顔のテオフィルやヴィオレットに恋物語を元にした話を聞かせてはいたけれど、恐らく、多くの貴族令嬢が侍女に語って聞かせる内容と大差はなかったはずだ。
だからこそ、幼少期から共に育ち、リエットの性質を熟知しているはずのフェリクが、その先にいる王太子が、求めているものが分からなくて、リエットは不安だった。
「関係ない、はずだわ」
それこそ、突飛な妄想だ。
――これまでの問いかけは、フェリクさまが単に困っていて、少女や、若い女性の意見を聞きたかっただけかもしれないわ。
――会う度に……それこそ数十回、数百回も困っていたと言うの? 優秀なフェリクさまと王太子殿下が?
理性と、感情がお互いを否定し合っている。どちらが感情なのか、どちらが理性なのか。それすらも最早曖昧だった。
――関係など無いはずだ。それでも。
それでも万が一、フェリクの「問い」が、「前世」の記憶と関係があるのなら。
なぜフェリクはその存在を知っていたのか、という、新たな疑問が生じる。
この「記憶」で何をしたいのか。それはリエットに、ヴェルディエ公爵家に、ひいては国に、どんな影響を与えるのか。
身の振り方、この事態が生じた理由、フェリクの「問い」の真意。
課題ばかりの現状に、リエットはひとり、深いため息を吐いた。
***
病み上がりのためと理由を付けて、自室で夕食を摂らせてもらった。スープ中心の病人食だ。
食後、侍女に身を清めてもらい、寝支度を整える。やがて侍女が部屋を辞するのを待ちわびるように、テオフィルが転がり込んできた。
「義姉上、」
「ノックを忘れているわよ、テオ」
「あ、ごめんなさい。昼間の話がどうしても気になって……」
言いながらベッド横に椅子を引き摺って来たテオフィルは、それに腰かけると、寝台に教本をばさりと広げ、うち一冊を開いた。
誰かが来たら、こちらの話に切り替えるのだろう。もう待ちきれないとばかり、落ち着かない様子で急かしてくる。
「で、『前世の記憶』ってどういうことなの」
「実はね――――――」
リエットは「リサ」の記憶を不意に思い出したことを告げた。電車や飛行機など、この世界に無い技術を羅列したところで混乱させるだけであるので、「この世界よりもずっと便利な仕組みが沢山ある世界」という表現にとどめつつ説明する。
「じゃあ義姉上は半分くらい前世の……『リサ』嬢になったってことなのかな」
「そう言われると違和感があるわ。確かに『リサ』が何をして、どういう感情を得たか、ということは分かるのだけど……。テオが国王陛下の回顧録を読んでも自分を国王陛下だなんて思わないでしょう? そんな感じかしら」
「なるほど」
僅かに、指先に力が入る。テオフィルへ説明する声色は、どこか自分に言い聞かせているようにも思えた。
ふうん、と返事をしてテオフィルはリエットの目をじっと見つめると、やがて目を伏せて、そうか、と納得したように呟いた。
幾ら仲の良い姉弟と言えど、突飛な――それこそ「妄想」だと受け取られても仕方のない話を、あまりにすんなりと受け入れてしまうから、リエットの方が却って慌てて聞き返してしまう。
「テオ、その……あまり驚かないというか……有り得ないとか、冗談は辞めろ、とか言わないの?」
「うーん、驚いてはいるんだけど、少し納得したところもあってさ。もしかしたら義姉上の中にはずっとその、『前世の記憶』があったのかなって」
「えっ?」
思わぬことを言われてリエットは目を丸くした。「リサ」の記憶はリエットにとってまさに青天の霹靂で、全く思い当たる節が無いのだが。
「舞踏会やパーティで令嬢と話すときに知識は必要でしょう。だから適当にその、恋物語? とやらを読んだことがあるんだけど」
「適当にって、作者や関わった方に失礼だわ」
「ごめんって。まあ幾つか読んで、やっぱり不思議だなあと思ったわけ」
不思議とは何だろうか。物語特有の運命的な出会いや、理不尽な試練の事だろうか。
言えば、テオフィルは首を横に振る。違うらしい。
「どの本にも欠片も出てこないんだよ。――――『前世』ってやつがさ」
「あ……」
言われて初めて気付く。
前世。
なるほど、「リサ」の記憶では違和感なく受け入れられるその概念は、確かに「リエット」の世界に照らし合わせてみると明らかに異質だ。
この国、レトリアーヌの国教は女神エクリエルを信仰する一神教で、人が生を全うした後に赴くのはエクリエルの御許か煉獄とされている。
生前の行いによって、永遠の安息か、永遠の苦しみを味わう――ということになっているため、つまりは一度死んだ人間が再びこの世に生まれ直すという概念自体が存在しない。
言われてみれば、他者の口から「前世」の話を聞いたことは一度も無かった。
「僕たちは当たり前にこの体と自我――霊魂って言ったらいいのかな――が一体のものだと思っていて、たとえば霊魂だけが他者や別世界、別の時代の肉体に宿る、なんてことは義姉上から『前世』を教わるまで考えたこと無かったよ。宗教的に考えても異端中の異端だしね」
その意味でも、義姉上がいつもの創作話をする相手が僕とモンレーヴ嬢だけで良かったよ。
テオフィルは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「『前世』には勿論『前世』の概念があるんだよね?」
「ええ……一部の宗教でそのような概念があるわ。民にも信じるかはともかく、一般的な概念として浸透していて、それこそ『前世』を題材にした小説や漫画も沢山あるの」
「…? ふうん」
一瞬首を傾げたテオフィルは、けれど話を進めることを優先したようだった。膝の上で広げた教本をそのままに指を組み、やや前のめりになって問うてくる。
「念のため確認するけど……義姉上の言ってた物語みたいなことは無かったんだよね。リサ嬢? の恋人がフェリク様の『前世』だったとかさ」
「無いわ。あれは勿論冗談だったけれど……。そもそも、リサには配偶者も恋人もいなかったわ」
「え、婚約者も? 未亡人ってこと? 僕たちより年上だったんだよね」
「話すと長くなるのだけれど、『リサ』の世界は『家』の概念が薄くて……たとえば『ヴェルディエ家を盛り立てるため、遺すために結婚しなければ』みたいなことがほとんど無いのよ」
しっくりと来ないらしく、首どころか体ごと傾げたテオフィルに少し笑えてしまう。
貴族制の消えた世界。封建社会は廃され民主主義と資本主義が手をつなぎ跋扈している。女性の社会進出率は上がり、同時に国民の初婚は高齢化、未婚率は増加し、少子化の一途を辿っている。
リエットは出来るだけかみ砕いて、「前世」の世界観を説明した。
「――というわけだから、もちろん人や考え方にもよるけれど、この世界ほど結婚の必要性が無いのよ」
「……多くの女性が職業婦人で、血を遺すことが義務ではない……想像できないな……」
それはそうだと思う。この世界と「前世」は余りにも違う。
唸るテオフィルに、そういえば、と悪戯心が沸いたリエットは声を潜め、重大なことを漏らすように囁いた。
「実は……『前世』では、足を出すことはそうはしたないことではないの。膝よりも上の丈のスカートだってありふれているわ」
「はえぇっ!?」
思わず想像したのだろう。頬を染めてのけ反り、すっとんきょうな声を上げたテオフィルに、リエットはころころと笑う。
すぐに立ち直ったらしいテオフィルは姿勢を正すと、恨めし気にリエットを見た。
「はあ。『前世』がまるで違う世界なのは分かったよ。でも義姉上、頼むから、そういったところを外で出さないでよね」
「ええ、それは勿論よ、公爵家の品位に関わるもの」
何を当たり前のことを、と義弟を見ると、彼は半目でこちらを見返してきた。先の冗談は、そこまで怒ることだろうか。
「……『前世』『漫画』『スカート』」
「え?」
「姉上がこの数分の間に言った、『この世界には無い』言葉だよ。『前世』以外は無意識だったでしょう」
「え? え?」




