02. 二つの不誠実
「そうなの、それでヴィオレットったら我慢できなくなったみたいで、『まあ、貴方、婦女略取を禁じる国王令をご存じでないの?』なんて言うのよ。言われた殿方も、困っていた令嬢も真っ青になってしまうし、私どうしようかと思ったんだから」
「はは、モンレーヴ嬢は相変わらずだね。その舌鋒で諍いを収めたのだから、見事ともいうべきだろうけれど」
庭の木々が、涼やかな葉擦れの音を響かせる。暖かな日差しが降り注いでいる。
リエットは優雅な所作でカップを置くと、向かいに座る婚約者を見つめた。そよ風に小さく揺れる白金の髪と、吸い込まれるようなペリドットは、新緑の季節にとても合う。なんて、いつの季節でも同じ結論になることをまた考えてしまったものだから、つい笑みがこぼれてしまった。
「リエット?」
「いいえ、フェリクさまは今日もお美しいなと思って」
「うーん、ありがとう?」
眉を下げたフェリクに、またやってしまったとリエットは内心反省する。淑女然として振る舞うことは慣れているはずなのに、幼い頃から共に育ったからだろうか。彼を前にすると、どうにも素の――やや落ち着きない振る舞いが増えてしまう。
八歳という年の差もあり、ただでさえ妹のように見られているのだから、少しでも大人びた様子を見せたいのに、なかなか上手くいかないものだ。
婚約者となったのは、リエットが二歳、フェリクが十歳の頃。交流のあった第一王妃と母――故ヴェルディエ夫人が生前話していたことを、彼女たち亡き後に王太子――当時の第一王子が実現させたらしい。
以来、八つ上の婚約者は、幼少期は妹のように、そしてデビュタントを迎えてからは一人の淑女として。リエットを慈しみ、尊重してくれている。
「私はリエットのほうがずっと綺麗だと思うけれど」
「えっ」
唐突に振られた睦言に驚いて、リエットは行儀悪くもカトラリーの物音を立ててしまった。喜びと羞恥の両方で頬が染まり、淑女がどんどん遠のいていく。
フェリクはよく気が付いて、優しく、口下手でもない。だから舞踏会のために着飾ったリエットを見た時であるとか、「必要な」称賛は完璧であるし、日常でも基本的には褒め上手だ。
一方で自身の社会的立場を熟知している彼は誤解されるような、過剰なリップサービスは行わないし、故にこうした、「必要のない」場で、言い方が違えば軽薄にも取られる言葉をぽろりと零すのは珍しかった。
嬉しさと恥ずかしさもありつつ、驚きが勝ってしまったリエットは、淑女を忘れてまじまじとフェリクの顔を覗き込んだ。
改めて見てみれば、今日の彼は常の柔らかさに加えて、どこか喜びと言うべきか、浮かれていると言うべきか。異なる雰囲気を纏っているように思えてくる。
「……何か良いことがおありでしたの?」
疑問そのままに問いかけると、フェリクは一瞬目を丸くして、けれどすぐに再び笑みを浮かべ、首肯した。心なしか、その笑みも常よりも華やいだものに感じられる。
「そうだね、長らく願っていたことが、ようやく調いそうなんだ」
王太子の執務は多岐に渡り、そしてその多くは法案なり、不正の調査なりと、決着するまで非公開の事柄だ。長い期間を要することも少なくない。
当然リエットにも知らされていない「それ」が、けれどフェリクが長年取り組んできたことであるなら、実を結ぶことに大層喜ぶのにも頷けた。
「まあ。そうなんですのね。おめでとうございます。公開できる頃合いになったら、ぜひ教えてくださいな」
「完全に決定するのはもう少し先だけれども、勿論だよ。その時はリエットにも喜んでもらえると嬉しいな」
フェリクが嬉しいことであれば、リエットにとっても喜びだ。
リエットが微笑んで伝えれば、フェリクもいつもより嬉しそうに笑う。
和やかな空気が流れる中、不意にフェリクは「ああ、」と思い出したように零した。
「そうだった、毎度で申し訳ないのだけれど、今日もリエットに相談したいことがあったんだ」
穏やかに吹いていた風が止まった気がする。
来た、とリエットは思った。
「――はい。私のような小娘の浅知恵でよければ」
「謙遜は要らないのに」
紅茶で一度喉を潤したフェリクは視線を上げ、先ほどよりも幾分真面目な様子で問いかける。
「毎年――今年は大体半年後だね。王宮の庭園開放日に教会主催の慈善販売会をやるだろう。王宮で行う以上、ただ場所を貸すだけではなく、何らかの方法で王族が民を支援する姿勢を示す必要がある。かといって、多大な費用をかけて豪勢なパフォーマンスでもしようものなら、その費用を寄付に当てろと却って反感を産んでしまうだろう。リエットは、何か良い案があるかな」
「そうですね……」
加えて、昨年、一昨年と同じことをやるわけにもいかない。しばらく頭を悩ませたリエットだったが、結局何とかひねり出せたのは王女や貴族令嬢による刺繍作品を販売会の商品として寄付するというものだった。決して問題のある案では無いと思うが、かといって特段斬新さがあるわけでもなく、無難な案と言えるだろう。
「成程、特に王女殿下からの寄付があれば、民は喜ぶだろうね。そして令嬢たちの友人や婚約者が教会で作られた菓子と一緒に作品をこぞって買い上げることにもなる。―――ありがとう、参考にさせてもらうよ」
そう言ってフェリクは穏やかに微笑んだ。リエットも微笑み返し、けれど内心は溜息を零す。――――今回も「駄目」だったと。
これが完璧な婚約者、フェリクの「不誠実」の一つ目だ。
フェリクは来訪時、しばしばリエットにこうした問いかけをする。公開して問題ない事柄の範疇で、何か良いアイデアは無いか、あるいはこれについてどう考えるか、といったことを聞いてくるのだ。
実際、全く役に立っていない、というわけでは無いのだろう。採用された案もあったし、それについて国王陛下や王太子殿下からお褒めの言葉をいただいたこともある。
けれどフェリクが真に求めている回答ではないのだ、と知ってしまってからは、リエットにとってこの問いかけは悩みの種だった。
それとなく真意を尋ねたところで純粋な相談であるとの一点張りで、毎度期待に応えられないことへの申し訳なさと、彼の真意が知れない不信感とが拭えずにいる。
そしてそれを、二つ目の「不誠実」、「未だ婚約関係を続けている」という事実が後押ししていた。
この国の成人は十六歳。アンリエットは今年二十歳で、とっくにデビュタントを済ませている。つまりは成人だ。決して嫁ぎ遅れという年齢ではないものの、幼少期からの婚約者がいる家々は既に婚約者から正式な夫婦になっていることがほとんどである。
フェリク曰く、「未だ婚約者も居ない、主たる同い年の王太子殿下へ配慮して」とのことだが、リエットにはそうは思えない。
何ら根拠のない、突飛な発想であると理解しながらも、「彼の満足する答えを出せていないこと」が未だ婚姻に至らぬ原因ではないかと悩んでしまうのだった。
――そう、たとえばそれが王太子殿下が出した条件なのかもしれないわ。
厳しさを含んだ、赤い瞳を思い出す。
理由は分からないが、リエットは王太子にあまり好かれていない自覚がある。勿論、王族が嫌がらせや武力行使等をするわけもなく、恐らくそんな底意地の悪い人間でもないだろう。
フェリクの婚約者、そして三大公爵家の令嬢という立場上、他の貴族子女よりは王太子と接する機会が多いが、そのたび丁重に、礼節を持って扱われているのは事実だ。けれど彼の眼差しはフェリクやテオフィルを含む他者を相手にする時と、リエットの前に立った時では明らかに違い、常に厳しい、こちらを責めるような色をしているのだ。
彼らの求める回答が出せないようでは、王太子の側近であり親友でもあるフェリクの相手として不足である、と思われているのかも知れなかった。
「それじゃあ、四日後に、また」
「ええ、また。どうかあまりご無理をなさらないでくださいませ」
わずかなしこりを残しながらも楽しい時間は瞬く間に過ぎ、次の来訪を約束するとフェリクは去っていった。
侍女の声も聞かずに彼の去った後をいつまでも見つめていたリエットは―――――その晩、発熱した。




