27. 本心と次なる対峙
「それからは、公爵が知っている通りです。シャルは王妃殿下の遺言を守り、リリを妻にしようとした。しかしリリは二歳になっても『この世界には無い知識』を披露はせず、まるで普通の幼子だった。しびれを切らしたシャルはリリの婚約者を私に挿げ替え、代わりに君を観察するように命じたんだ。――有用な知識を披露するようになったら、すぐさままた王太子妃候補として持ち上げるために」
成程、フェリクの期待に応えたいと、必死に頭を捻ってきたけれど、もしそこで及第点の答えを出していたなら、リエットはフェリクに褒められこそすれ、そのまま王太子妃としての道が開かれていたらしい。
そう思えば、あの悶々とした日々は、フェリクへの不信と恋心、自身の未熟さに思い悩む日々は、決して繰り返したくはないけれど、必要だったのかもしれないと思える気もした。
「では、どうして――――」
フェリクは長年、シャルル王太子殿下の側近として、日々の執務も、此度のことも支えてきたはずだ。何故今更ヴェルディエ公爵家に事情を明かすような――王太子を裏切るような真似をするのだろうか。
問えば、フェリクは困ったような笑みを浮かべた。まだ信じてくれていないんだね、と。
「この『魔法』の制約があったから、リリには言えないことが沢山あった。でも、だからと言って嘘を伝えたことは一度も無いよ」
シャルルに、隣国の王女との婚約が調いそうであること。
病で苦しむリエットに、フェリク自身もつらい思いであったこと。
リエットを、あらゆる困難から守りたいこと。
リエットを、心の底から愛していること。
「きみは生まれた頃からとても可愛かったけれど、勿論初めの頃は赤子であったし、何よりシャルの未来を支える切り札だった。だから大事に大事に見守ってきたんだ。そうして少し大きくなったきみは、やっぱり普通の女の子だった。早くシャルを助けて欲しい思いもあったけれど、一方で可愛い妹のように思っていた」
フェリクの手のひらがリエットのそれと重ねられる。物心ついたときには傍に在り、しばしばリエットを撫で、慈しんでくれた手だ。
リエットも、幼い頃はフェリクを兄のように慕っていた。会いに来てくれる度に、嬉しくて、思い切り抱きついていたことを覚えている。
「きみが女性らしくなっていった頃から、複雑な思いが沸き始めた。思い出してシャルを助けて欲しい、という気持ちは勿論あった。けれど、それで君が王太子妃になることに、嫌だ、と気付くまでそう時間はかからなかった」
気付けば兄から初恋の相手に変わっていた。妹以上に見られたくて、淑女教育に励んだ。年の差をもどかしく感じるようになった。
「いつの間にか、シャルのことは自分が支えるから。リリはずっと思い出さないで欲しい、と思うようになった」
進まない関係に、謎の問いかけに、酷く悩んだ。彼の期待に応え、愛されたいと、知識を増やすためにテオフィルの当主教育に割り込んだ。
「そうこうしているうちに、シャルの婚約の話が持ち上がった。シャルはまだ妃殿下の遺言を諦めきれないようだったけれど、それを他の側近に伝えることはできない。私は内心ひどく喜んで、早く婚約が調って欲しいと思っていた。そうすれば、私は大手を振ってリリと結婚することができる」
あの日のフェリクが、どこか浮かれた様子であったのは、「調いそう」といったのは、政策ではない、シャルルの婚約だったのだ、と、漸く理解した。
「けれどそんなタイミングで――きみは『知識』を思い出してしまった」
フェリクは苦く笑った。
「高熱で苦しむきみの見舞いに訪れたあの日、聞いたことも無い言葉を使うのを聞いた。無秩序な寝言と断じることもできたけれど――――私はきみがついに『知識』を思い出してしまったのだと、悟ったよ」
ぎゅう、と重ねた手に力を籠められる。
「その瞬間私が考えたのは、『シャルに伝えなければ』ではなく、『シャルに知られる前に婚姻を結ばねば』だった。シャルは素晴らしい国王になるだろうし、それを支えて行きたい想いに決して偽りはない。けれどあの瞬間、確かに私は、シャルよりも、リリを――いや、自分の欲望を取ったんだ」
フェリクはふたたび、いや、これまでのプロポーズを含めれば何度目だろうか。長話のために長椅子に移していた身体を浮かせ、リエットの前に跪いた。もう一度、その手を掬いとる。
「リリ、君が『何』を思い出したかなんて聞かなくて良い。だからどうか、私の傍に――妻として、私の傍に居てくれないか」
「フェリク、さま」
嬉しかった。今度こそ、彼のアンリエットへの想いは真実だと、公爵家に何ら危害を加える心づもりは無いのだと、信じることができた。
彼の手を取って、全てを終わりにしてしまいたい気もした。けれど。
――「私」は―――――――。
――いいえ。
「……お気持ちは、嬉しく思います」
硬い声に、思う其れが得られないと分かったのだろう、フェリクの握る手が強くなった。
「リリ、まだ私が信じられない? それとも、きみも私を想ってくれているというのは、私の自惚れだったのかな」
「いいえ、いいえ。フェリクさまのことをもう、疑ってなどおりません。けれどそれでも、」
一度言葉を切って、胸の内で暴れ出しそうな衝動を何とか飲み下す。
今言葉にすべきは、自分のつまらぬ感情等ではない。公爵家の、国のこれからのことだ。
「私は――私たちは、まだ果たさねばならないことがあるはずです」
言い募れば、フェリクは伝えたいことを理解したらしい、痛みをこらえるような表情を浮かべた。
「母の死の発端は、おそらく妃殿下の魔法にあるのでしょう。けれどお二人はとても仲が良かったと聞きますから、想定された事態では無かったのではないでしょうか。であるなら、どうしてこのようなことに至ってしまったのか、私たちは知らなければなりません」
実のところ、フェリクの話を聞いた時点で、「前世」の知識を持つリエットには薄らとした推測が立っている。けれど、それよりも。
「そして、王太子殿下はとても鋭い御方。私のこの『知識』を、他の方にであれば兎も角―――殿下に生涯隠し通すことはできないでしょう。幸い、と言って良いのか分かりませんが、この『知識』を政に活かすことは難しいと思いますから、それを伝えて、王家にはこの件から手を引いて欲しいと思います」
それはすなわち、ヴェルディエと王家の、場合によってはコルベールも交えた正面衝突になる。リエットの記憶を求めるシャルルの立場も理解するフェリクとしては、可能であれば避けたかった状況だろう。けれど、このまま――真実を隠したままリエットを娶ることが難しいのは、きっと彼が誰よりも理解していた。
「フェリクさま。お気持ちお察しします。私とて、敬愛する殿下に弓引くことはしたくありません。けれど王家の忠臣たる私たちが、このまま王家に一物抱えた状態で仕え続けることは、いずれ大きなほころびとなると思うのです」
たとえば今後、他家を経由してリエットの「知識」が王家に知れたなら。王家はヴェルディエとコルベールへの信頼を失うだろう。それは残る三大公爵家のひとつへの信が偏る事態も、新たな派閥の勃興と政治的混乱を招く可能性もある。
少しの間、ぐっと押し黙ったフェリクは、やがて顔を上げた。
「……そうだね、リリの言うとおりだ。このまま隣国の王女との婚姻が整ったとて、今のシャルだと、リリの『知識』が知れた瞬間に離縁の準備を始めかねない。もちろん隣国との確執が生じないように調整するのだろうけれど、僅かな波風だって無いに越したことは無いからね。それに、」
――シャルのこの件への執着は、異常だ。
最後は誰に聞かせるでもないように、落とすように呟くと、フェリクは公爵に視線を移した。
「公爵、何があっても、私がリリを守ります。ですからまずは、殿下と三人で話をさせていただけないでしょうか」
「それはできない」
「公爵はヴェルディエ公爵家そのものでもあります。貴方が同行するということは、その時点で公爵家による抗議の形になってしまう。我々は成人していますが、同時に現時点では無爵位で未婚の、幼少より関わりの深いものの集まりです。我々だけであれば、内々の話という体を取ることもできるでしょう」
「それは、シャルル王太子殿下の――王家の立場を守るために妥協しろ、ということか?」
妻を殺した王家を、と言外に含め、公爵は剣呑な目つきで問うた。
フェリクはその視線を真っ直ぐに受け止めて、続ける。
「いいえ。王家ではなく――私は国を守るためにはこれが最善だと思います。そしてこれが、我がコルベールも、ヴェルディエにとっても最も良い手であると信じています」
「……」
王家の、高位貴族の揺らぎは、そのまま外交における弱みにもなる。そして魔法の現存は、どう考えても最も秘匿しなければならない秘密だ。理解できない力は有らぬ推測を、他国の警戒を呼ぶ。警戒はそのまま軍備へと反映され、両国間の緊張に、開戦に繋がることだってある。
公爵にとって最も大事なものは家族と領、そして国である。フェリクの言に理があると思ったのだろう。公爵は溜息をつくと、睨むようにフェリクに視線を返し、低い声で告げた。
「三つ、条件がある」
「はい」
「まずは、その場にはヴェルディエの目――次代として、テオフィルも行かせること。故に絶対に、リエットと、テオフィルの二人を守りなさい。そして、一連の騒動の全てを明らかにし、一切を報告しなさい」
「……はい!」
フェリクは彼らしくも無く、勢いよく返事をした。
自身は公爵と結果を待つばかりだと思っていたらしい、突然役目を振られたテオフィルが「え?」と目を白黒させている。そのふたつがこの、張りつめていた空気にいやに場違いで、リエットは思わず笑ってしまった。皆もつられたように、綻んだ空気に小さな笑いを零す。冷え込んでいた部屋が温まった気がした。
けれど同時に、笑い声を零すと、飲み下した衝動が、腹の奥底でひきつるように痛んだ気もした。
――「私」は―――――――――。
これから戦いに行くのだから、そんなことを考えている暇は無い。僅かばかりの和やかさを味わったなら、再び気を引き締め、作戦会議をしなければならない。
笑みを浮かべたまま、長話ですっかりぬるくなった紅茶を口に運ぶ。丁寧な所作で、けれどやや多い量を嚥下して。衝動をより深くまで押し流そうとした。
――「私」は―――――――――。
『リリ。私は君を、愛している』
――「私」は、「リサ」の混ざった「私」は。今も尚本当に、貴方の大事な、アンリエットだと言えるのでしょうか。




