26. 二十年前 (下)
「初代国王陛下はね、異世界から、素晴らしい知識を持った姫を魔法で招いたの」
私は今からそれをするのよ、と王妃殿下は誇らしげに言った。
曰く、異世界から丸ごと人間を招く――召喚する、というのは、魔力が薄まった現代では難しいと王妃も考えたらしい。故に、まだ生まれていないヴェルディエ公爵家の令嬢に、異世界の人間の知識だけを植えるつもりであるそうだ。
荒唐無稽過ぎてとても信じられない一方で、では先ほど燃え上がった布と、首元に走った不快さ、合わせてふらついた王妃のそれは何なのだろうとも思う。
長い布を持った王妃の瞳は爛々と輝いており、真偽はさておき、このまま本当に実行してよいのだろうか、と思ったフェリクは慌てて口を開いた。
「その、殿下、陛下には」
「勿論魔法の存在についてはご存じだわ」
ということは、国王陛下も公認の試みなのだろうか。
「けれど、これから実行しようとしていることはまだ伝えていないの。すべてが終わった後に私から、お伝えするわ」
「そんな、何故」
たった八歳のフェリクの視界から見ても、国王夫妻の仲は良好に見えたし、王妃は常に国王を立てているように思えた。後継の都合第二王妃を娶り、彼女にも礼節を以て接しているようだが、国王の愛は変わらず王妃に向かっているように、フェリクの目には映っている。
「陛下は素晴らしい方よ。けれど時に為政者として――優しすぎる」
「は……」
役目の終わった私など捨て置けば良いものを、と彼女は小さく眉を歪めて言った。確かに、王妃が傷つくかもしれない魔法の行使を知ったならば、国王陛下は止めるだろう。しかし役目が終わった、とは。
フェリクはふと、王宮の無数の「声」を思い出した。
――シャルル殿下は本当に国王陛下の御子なのだろうか。
――王家の色を持つ第二王子殿下こそ、王太子の器なのではないか。
――真の王と王妃の間にこそ、王家の色を持つ子が生まれるのではないか。
妃殿下から見た、「声」に歪められた世界では、王の寵愛は第二王妃に移り、子を産む能力すらなく体も弱い第一王妃はもはや用済み、ということなのかもしれなかった。
それは客観視が出来ていないとも言えるが、一方で、日常的に吹き込まれる「声」を否定するものが周囲に居ないのであれば、次第に思い込んでしまう気持ちも分からないでも無かった。
「それは、母上を大事に思っているからでは」
「ふふ、優しいのねシャルルは。でも、このままではダメなの」
王妃曰く。此処に最早役立たない、直系の血を継ぐ王妃と、その息子である優秀な第一王子がいる。王家の血を繋ぐのは絶対で、だからいかに国王陛下が第二王妃やその息子を愛していたとしても、第一王子が継がなければならない。
「第一王子が力を付けるには、本人が功を立てるのは勿論、貴方を支える優秀な人材が周りにいることも重要だわ。側近はフェリシアンや……私のできる限りで優秀な者を揃えているけれど、一方でまだ妻の座が空いているでしょう」
もしも、妻に極めて優秀な、特異な知識を持ったものを据えられるなら、それはまさに建国神話の再来となるのではないか。ちょうど、そのために必要な魔力を自分は持っている。これこそ、女神エクリエルから遣わされた自分の役目なのではないか――――――
夢中で語る王妃の様子にフェリクは、ひょっとすると彼女はこれによって短期間臥せるどころか、そのまま儚くなることすら考えているのではと思った。言葉も思いつかないままに、フェリクは何とか彼女を止めようとする。
「妃殿下、お気持ちは分かります。しかし」
「貴方はシャルルをしっかり支えてあげてね」
止める気配を察知したのだろうか。王妃は歩み寄った二人をとん、と軽く押して一歩下がらせると、話を切り上げた。
再び、ふらつきながらも立ち上がった王妃は、二枚目の布を手に何かを呟き始める。先のものよりも長いそれを垂らし、書いてある文字を目で追う王妃の元に、ぶわり、と風が舞い上がった。もはやフェリクとシャルルは近付くことすらできなくなる。
「――――――!」
か細いようで、芯の通った声が反響する。
呼応するかの如く吹き荒れる風に王妃の体が打たれ、痙攣のように震えている。長い布は赤黒く輝き、蛇がとぐろを巻くかの如く、王妃を支える、あるいは絞め殺すように包み込んだ。彼女の唇がおそらくの最後の単語を紡いだ時、暴風と共に二人の視界は赤く染まり、一切が見えなくなった。
「でんか―――」
「母上!!」
視界が戻った瞬間、フェリクよりも早く駆けだしたシャルルは、床に伏した王妃に飛びついた。既に布は燃え尽き、床には先ほどの風でだろう、ちぎれた「三枚目」と古書が飛び散るばかりだ。
シャルルが繰り返し呼ぶ声にも、王妃はぴくりともしない。その生気の無い、蝋のように真っ白な顔に、嗚呼、これは死んでいるな、と、フェリクはどこか冷静な頭で思った。
瞬間、王妃が弱弱しくも瞼を持ち上げる。文字通り死の淵から舞い戻ったようで、フェリクはぞくりとした。彼女は震える手を必死に持ち上げ、覗き込むシャルルの頬に触れる。
「どうか、あの娘と一緒に、立派な王になってね」
「母上、母上!」
か細い声で告げ、再度瞼を閉じた王妃は、いよいよこと切れたようだった。
シャルルを落ち着けた後、「三枚目」も破れ発動できないため、二人は先の道を辿り国王陛下に経緯を知らせた。
急ぎ指示を飛ばし、見たことも無い速さで階段を駆け下りていく国王陛下の代わりに、シャルルとフェリクはヴェルディエ公爵夫人が居たはずの部屋に駆けつけ、王妃と同じく真っ白な顔で絶命している夫人と、崩れ落ちる公爵、そして生まれたばかりのリエットと対面することになるのだった。




