21. 愛称と微かな信頼
「リエット」
訪れる女性たちとの、時に微笑ましい、時に和やかな皮を被った面倒な、応酬を繰り返していると、取り込み中に詫びるそれと共に、聞き覚えのある声音が響いた。淑女たちの輪が開かれれば、穏やかに笑うフェリクが居る。
「まだ無理しないほうが良い、公爵とテオフィルももう用事は済んだようだから、リエットも問題なければそろそろ失礼しよう。馬車まで送るよ」
「まあ。お忙しいのに。ありがとうございます」
みなさん、ごめんなさいね。と笑顔で詫びて、リエットはフェリクの手を取った。
女性の暇にはパートナーか付添人の迎えを要するのは常であるが、フェリクは側近であるので、公爵やテオフィルの迎えで何ら問題ない。にもかかわらず、帰り際もこうしてこちらに心を砕いてくれるのだから、リエットがどこかフェリクに警戒心を抱ききれないのも、決して無理ないのではないかと思う。
「ご婦人方に会うのは少し久しぶりだったよね。楽しい話は出来た?」
「楽しさ半分と、もう半分は……駆け引きね」
何とはなしに小さく笑えば、フェリクは少しだけ苦み走った笑みを返した。駆け引きとは真実ご婦人方とのやり取りを差したことなのだけれど、自分の事だと思ったのかもしれない。
気付かぬふりをして言葉を交わしながら道を行けば、公爵家故、良い位置に陣取った馬車が瞬く間に見えてくる。馬車前で待つ公爵とテオフィルの表情が読めるくらいになったころ、フェリクが小さく囁いた。
「リリ、私のことはどうしても信じられない?」
――リリ。
驚いて隣を見上げれば、眉を下げたフェリクがじっとこちらを見詰めている。一瞬訴えるように瞳を覗き込まれた後、彼はやがて振り切るように目を閉じ、再び開いた。やや速度を上げて公爵に近付くと、リエットの手をそのまま引き渡す。
「殿下が待っておられますので、ではこちらで失礼します。公爵、テオ、また。リエットもゆっくりお休み」
一礼して去っていくフェリクを、どのように見送ったかはよく覚えていない。気づけば家族と共に馬車に乗り、気づけば家に着き、気づけば己が部屋のベッドに横たわっていた。
――リリ、なんて、久しぶりに呼ばれたわ……。
舌ったらずな娘の自称として、父からの愛情の籠った呼称として。そして家族以外では婚約者だけに許された愛称として。幼い頃はしばしばそう呼ばれていた筈だ。
淑女に近付くにつれ、何かを言い聞かせる時だけになり、やがて全く使われなくなった、久々に紡がれたその音は、甘く切なくリエットの胸に沁み込んでくる。
趣味の良い、フェリク色のドレスとアクセサリー。
体調を真に慮る様子。
忙しい合間を縫って迎えに来てくれたこと。
何ら合わせていない口裏を添わせてくれたこと。
リリ。
ランプの灯を落としたはずの部屋は、カーテンの僅かな隙間から差し込んだ月光で薄らと明るい。
怪しいことはある。公爵家への不利益は看過できないし、真実も明らかにしなければならない。それでも。
――フェリクさまを、信じてみたい。
その想いを最後に、リエットの意識は夢に溶けていった。




