19. 社交と魔法と (上)
「国王陛下、第二王妃殿下、御入場!」
高らかに告げる声と共に、再び開かれた奥扉より、二人の荘厳な姿が現れる。王太子、第二王子殿下を含めた全員が頭を垂れる中、やがて衣擦れの音が止むと、王は厳かに「面を上げよ」と告げた。一同に合わせリエットも顔を上げる。
「今宵もまた皆の顔を見られたことを、嬉しく思う」
朗々と、国王陛下の声が響く。王家の金髪に、出身家の茶色の目。顔立ちでいえば優し気であるのに、堂々と威厳を放って思えるのは王族故か。同じく優しい顔立ちをして隣に並ぶ、茶色の髪に王家の緑の眼を持つ第二王妃殿下は、意図的なのか、反対に穏やかな空気を纏っている。
「では、今宵の宴を始めよう!」
国王の宣誓は、夜会の真の意味での幕開けである。王の登場と共に止んでいた音色が再び流れ始め、第二王妃の手を取った国王がファースト・ダンスを披露する。芸術品のように優雅なそれに、リエットは幾度見ても溜息を洩らしそうになってしまう。
美しくも短いそれが終わると、次は継承権第一位である王太子殿下の番だ。こちらを向いてのシャルルの会釈に、リエットは淑女の笑みで応えた。
共に中央に進み、国王陛下、第二王妃殿下に向かって礼をする。続いて、王太子殿下と向かい合って礼をする。そして手を取り合って、決められたステップを踏んでいく。先にはただ美しいと思って眺めていられたそれを、しかし自身がやるとなったなら、決して許されない失敗にひどく緊張するのはいつもの事だった。
笑みの下で血を吐くような数分間が終わり、礼をする。歩み寄ってきていたフェリクに王太子がリエットの手を引き渡せば、次は第二王子殿下の番だった。
しばらく褥の住人だった身としては、久々のダンスは体力を使う。ふう、と音に出さずに息を漏らしていると、傍らのフェリクが心配そうな目を向けた。
「大丈夫」
唇の形だけで答えを返し、息を整える。まだ、フェリクとのダンスが控えているのだ。
王太子殿下には、婚約者がいない。このような場合、通常は他の女性王族がパートナーを務めるが、現在女性王族は第二王妃殿下を除くと、十歳の第一王女殿下しかいない。王族とはいえデビュタント前の女性をパートナーにできるわけもないため、必然的に参加者の中で最も高位の貴族女性がその役を担うことになる。
故に、公爵家も幾つかあるから常にではないものの、リエットが王太子殿下のパートナーも兼ねるのが通例になってしまっていた。あるいは、彼の思惑を知った今、敢えてそのように仕組まれていたのかもしれない、とも思えるのだった。
第二王子殿下のダンスが終わると、フェリクとリエットの番が来る。同じように礼をして、手を伸ばせば、まるで二人でひとつになったように、思うがままに踊ることができた。
王太子のリードは完璧で、決して踊りにくいということは無かったはずであるのに、やはりフェリクとのダンスは大きく違う。運動量とは無関係に胸が温かくなるし、この時ばかりは、彼と完璧に通じ合えているような、形容しがたい幸せな気持ちを抱いてしまうのだった。
夢のようなひとときは瞬く間に終わる。フェリクにエスコートされて元の場所に戻ってからも、夢の余韻が残りリエットはほう、と溜息をついた。
続く高位貴族のダンスを何とはなしに眺めていると、やがて緩やかなメニュエットから、にぎやかな、コントルダンスへと音楽が切り替わり、それまで動くことを許されなかったやや低位の貴族たちが雪崩れ込んでくる。
それを合図に王族や高位貴族たちも動き出す。国王、第二王妃は遊戯室へ、王太子とフェリクもそれに続くようだ。リエットには彼らについていく道と、この場でダンスを見つめながら他の女性たちと歓談する道が残されていたが、今回は後者を選んだ。流石にこれ以上、王太子と共にいるのは息が詰まる。すぐさまやって来た女性たちを張り付けた笑顔で迎え、リエットはぱちり、と扇を閉じた。
***
「アンリエットさま、お身体は――――――」
「先日お話いただいた恋物語について――――――」
「コルベールさまもきっと―――――」
労わりの声に、純粋な趣味の会話、気遣いを装った小さな嫌味。令嬢たちのそれは、まるで様々な顔料を混ぜ合わせたようだといつも思う。絡まった毛糸のようだとも。それをひとつひとつ解きほぐして返す力が、高位貴族には求められる。ただ受け入れるのではない。安心させ、興味を惹きつけ、時に威厳で支配する力だ。
幼少より教育を受けたリエットには慣れたことだが、それは「疲れない」を意味しない。繰り返される応酬に、再び広げた扇の下でふぅ、と小さく息をついたその時、砂糖菓子のような、可愛らしい声がその場に投げ込まれた。
「ごきげんよう、ヴェルディエ公爵令嬢、みなさま」
優雅なカーテシーを見せた声の主が顔を上げる。ミルクティーのような柔らかな色の髪に、神秘的な薄紫の眼差し。小柄な身体は瞳と同じ淡い色合いのドレスに覆われていて、小動物のような愛らしさ漂う風貌だった。にもかかわらず、周りの幾人かが身を強張らせるのを感じて、リエットは内心吹き出しそうになるのを我慢しなければならなかった。
「ごきげんよう、ヴィオレット。どうかいつものようにリエットとお呼びになって」
「ええ、ではリエットと。みなさま何をお話しなっておられましたの?」
ヴィオレットが和やかに告げ、緩やかに会話が再開する。先ほどまでと違うのは、僅かな棘を見せていた令嬢たちのそれが急速に引っ込められたことだ。
今はその容貌のままに、穏やかに言葉を交わしている親友ヴィオレットは、その実、極めて苛烈な性格である。普段は猫を被っているが、一度牙を剥いたら容赦しない彼女は、大法官たる父の跡継ぎを望むほどに利発で、舌鋒も鋭い。大人しくなった彼女たちは既に「やり込められた」ことがあるのだろう。
やがて一度、話の区切りが付いたところでヴィオレットはリエットを連れ出した。道中で拾ったレモネードを片手に窓辺の、人が少ない一角に腰を落ち着けると、それまでの柔らかな様子を一変させる。本来の彼女は貴族の婉曲的な物言いをひどく嫌っているのだ。




