18. 王太子と探る視線 (下)
「そういえばアンリエット嬢は恋物語を好んでいると聞いたように思うが」
「はい」
「アデルが最近そういったものに興味を示していてな、欲しい欲しいとせがむのだ。だが王女教育で読む時間は限られるし、市井のものを自由に与えるにはまだ年齢が心もとない。彼女に相応しいものがあれば、二、三見繕ってもらえると助かる」
シャルル殿下が笑みを形作る。アデルとは、御年十歳の、アデルライード第一王女殿下のことだ。彼にとっては異母妹にあたる。
「まあ、承知いたしました」
王女殿下の書物、という課題は事実であろうが、これは「側近の婚約者とも関係は良好ですよ」「王太子はコルベールとヴェルディエ二つの後ろ盾を持っていますよ」というアピールに過ぎない。
恋物語というと気になるところであるし、良いものを選ぶためには王女殿下の為人なども知りたいところだが、一刻も早く会話を終えたいリエットは淑女らしい笑みに乗せた了承に留めた。
王太子の視線の前では、猫どころか、獅子を前にした鼠のような気分になる。これであるなら、後で父や、そうでなくともフェリクに聞く方がまだましというものだった。
早く会話を終わらせてくれ、というリエットの内心の願いもむなしく、王太子は一度満足げに頷くと、ふと、今思いつきました、といった様子で視線を再び合わせてくる。
「そうだ、アンリエット嬢、先日は教会主催の慈善販売会への提案感謝する。アデルも民のためと聞いて張り切っている。それに際し、もう一点、良ければ意見を聞かせてくれないか」
「……はい」
リエットは、戸惑いながら頷いた。
例の「問い」だ。こうした問いかけは長らくフェリクからされてきたが、フェリクから伝え聞いた旨王太子から言われることはあれど、王太子に直接、問い自体を投げられたのは初めてだった。
思えば臥せって以降、フェリクがリエットに問答を投げかけたことは無かったが、それはフェリクがリエットの寝言により「前世」を思い出したことを確信しているからだと、勝手に考えてしまっていた。そしてそれは王太子にも筒抜けであると。
王太子は、改めて「前世」の知識を確認したいのだろうか。それとも、フェリクが王太子への共有を行っていないのだろうか。あるいは、フェリクは真実リエットを愛し、心配していただけで、そもそも「前世」になど気付いていないのだろうか。
「民に雇用を生むことも国の責務だ。それを鑑み、決して華美にならない範囲で、平民にとっても親しみやすい催しを何かできたらと考えている。良い案はあるだろうか」
「そうですね……」
正直「何も思いつかない」と断ってしまいたいところだ。それは一時的に「前世」の疑いを回避できるかもしれないが、しかし父公爵の顔に泥を塗る行為である。何せ、周囲の貴族たちは、我々のやり取りに常に聞き耳を立てているのだ。
たとえば人であるとか金であるとかを早期に多量に拠出しろというような、それこそ公爵本人の承認も要する無茶な依頼でも無いにも関わらず、なにひとつ回答しない、というのは、公爵令嬢としての無能さの露呈と公爵の教育の失敗を意味するものだった。
――紙芝居……いやだめよ、この世界には無いわ。なるべく平凡な案――……。
かつては、彼らが求めるものが平凡な案では無いと薄々分かっていて、しかしそれでいながら妙案を思いつくことはできず、無難なそれを返していた。それが悩みだった。
今や逆転し、平凡な案を渇望している。にもかかわらず頭に浮かぶアイデアはこの世界の価値観で吟味するとどうにも突飛なものが多く、リエットは前世の知識を一時的にでも追い出そうと頭をフル回転させた。王太子の強い視線による緊張が、余計に脳の性能を低下させていく。何とか絞り出したそれが「一般的」であると幾度も確認し、リエットは唇を開いた。
「月並みではございますが、市井の劇団を招くのはいかがでしょうか」
「劇団?」
「はい。大規模な設備のいらない、人形劇か、大道芸、あるいは簡易なもの――移動劇団などだと良いかもしれません。販売会にいらっしゃる方は子連れの方もいるでしょうから、子どもが楽しめる作品であると良いのではと思います」
ふむ、と頷いた王太子は幾つか続けて質問を投げてくる。
「劇団に声をかけるとして、具体的にどのようなところが良いだろうか」
「劇団でしたら、多少は話題性のある役者が所属するところが良いのではと思います。ですが巷で最も有名な方を選ぶと、招待費用は跳ね上がりますし、また役者目当ての方が増えてしまうかもしれません。完全に花開いた方ではなく、芽が出つつある役者を育てる気持ちで選ぶと良いのではないでしょうか」
小気味よく会話が跳ねていくので、リエットの脳が次第に火を噴き始める。平凡に、平凡に―――。
「なるほど、しかしそうした花形、といったものを意識すると、どうしても成人向けになってしまうな」
「たとえば人形劇と劇団ひとつずつを呼び、交代で演じさせる、ということであれば、人形劇は子供向けのもの、劇は紳士淑女向け――といっても昼の演目に相応しいような――を選んでも良いと思います。役者の絵姿といったものの販売を許可させてもいいかと。間に合えば、教会の子供たちに劇を想起させる色合い、柄のリボンなどを編ませても良いかもしれません」
平凡に―――
「劇、人形劇に加えて、何かを投影するのはどうか? 回数が減ればそれぞれの負担も減るだろう」
「そうですね、映像などがあれば人数もいらず手軽だと思います。あとは大道芸とか―――」
「――エイゾウとはなんだ?」
「っ、」
聞き返されて、口を滑らせたことに気付いた。
王太子が言った「投影」とは壁や幕に幻灯機で動かない亡霊等の絵を写し、幕を揺らしたり複数の投影機やスモークによって疑似的に動いているように見せる技術のことだろう。この世界にいわゆるドラマ、ドキュメンタリー、アニメーションのような「映像」はまだ存在しないのだ。
「ええと、」
「――申し訳ありません殿下、私とリエットの間での造語です」
慌ててリエットが言い訳を連ねようとすると、すっとそれを引き継ぐものがあった。フェリクだ。
「造語?」
「はい、大衆に人気な投影…というとファンタスマゴリーが挙がりますが、投影物は骸骨や悪霊で、恐怖を楽しむ意味合いが強く、王宮での催し物には相応しくないと考えます。子どもたちにも怖がるものが多くいるでしょう」
「それはそうだな」
「こうした問題は領地の催し物でも生ずるので、より子供も楽しめる演目は無いかと考えておりまして。こちらの結論は出ていないのですが、演目が変わる以上、異なる名前を付けるべきでしょう。ファンタスマゴリーは子供たちには恐怖のイメージが定着しているかもしれませんから。それで仮に…エイゾウ、と名付けました」
成程、と相槌を打った王太子殿下は顎に手を当てて考えているようだ。その姿にこちらを訝しむ色は無い。王太子の傍らに佇むフェリクと目が合うと、彼は小さく笑みを浮かべて頷いて見せる。リエットは淑女らしい笑みを返しつつ、助かった安堵と、フェリクの行動の不可解さに、いよいよ混乱していた。
――フェリクさまが助けてくれた? どういうこと? 彼は王太子殿下の味方では無かったの?
当然、リエットはフェリクと「エイゾウ」について話し合ったことなど無い。すべてフェリクのもっともらしい創作である。「映像」は「絵」「犬」のような大枠を差す名詞であり、フェリクが語ったような固有名詞に近いものではないから、彼は「映像」が何か知らずにでっち上げたのだろう。
しかし、そうする理由が見つからない。かといって、王太子がリエットの「前世」を既に知りつつ、フェリクとこんな即興劇を行う必要も無いだろう。
「感謝する、アンリエット嬢、大変参考になった、良ければその『エイゾウ』についてもう少し聞きたいのだが」
「――殿下、残念ながら時間切れのようです、また私の方で機会を設けます」
王太子の言葉に、柔らかく、けれど確かにフェリクは否を突きつける。一瞬眉を寄せた王太子は、けれど再び響いた取次役の低い杖の音に、仕方ないとばかり頷いた。




