13. 前世と深まる疑念
しんみりとした沈黙が幾ばくか流れた後、リエットはテオフィルとちらと目を合わせ、膝の上に下ろした手を握りしめると、切り出すことにした。
「あのね、お父さま。もうひとつ、大事な話があるの――――――」
「前世」の記憶。
フェリクの問いかけ。
王太子の態度。
時折テオフィルが補足をしつつ、これまでのことを語っていく。
全てを語り終えたときに辺りを包んだのは、今度は重苦しい沈黙だった。
「…………」
信じて、もらえるだろうか。気が違ったと、思われないだろうか。視界の隅に映る指先が、強張っている。
暫く思考を巡らせていたらしい公爵は伏せていた眼差しをふと上げ、リエットの緊張した様子に今更ながら気づいたのだろう。小さく首を振るうと、慌てて口を開いた。
「リエット。まずは、話してくれてありがとう。これは、その、話しづらかっただろう」
「……はい」
「勿論私はお前を信じる。殿下やフェリシアンのことも、考えなければならないだろう。しかし、」
そこで公爵は一度言葉を切ると、父ではなく、仕事の――公爵の顔で切り出した。
「はじめに、もう少し確認させてほしい。全体的な話は理解したつもりだ。…だがしかし、正直なところ、その『前世』というものをしっかり理解できていないように思う。其処はより便利な世界であるが、しかしその技術を我々が真似するのは難しい、というのは、たとえば女神が王族に授けたとされる『魔法』のような、『前世』にしかない特殊な能力のようなものがあるのだろうか」
公爵家は、領地、ひいては国の発展に貢献する義務がある。何らかの新たな可能性があるのなら、それがもたらす利や損害、実現可能性を見極めなければならないし、また実現可能であるならば、それを秘匿するための体制作りも必要になってくる。
問いは想定内だった。リエットは用意していたそれを返す。
「『前世』特有の特殊能力のようなものは、おそらく無いと思います。しかし第一に、この『リサ』は様々な技術を扱いながら、その詳細を理解していません。私たちが、日頃利用するガスランプを、職人に頼ることなく自らの手で作ることはできないようなものだと思います。もちろん完成図や部分的な知識を伝え、研究してもらうことは可能だと思いますが……」
一度、息を吐く。ここから先は、この数日「前世」の記憶を整理する中で、改めて見つけた課題だった。
「第二として、そうした研究をしてもらう上での基本的な条件が、『前世』と同一かが分からないとも思っていまして……故に研究は長期になるでしょうし、実現するかもわからないと考えています」
「条件?」
公爵が不思議そうに片眉を上げたので、リエットは食事が終わり端に寄せていたナフキンを持ち上げた。そのまま、はらりとテーブルの上に落とす。
「たとえば、こうして物が落ちる速度には重力が関係していて、速度は次第に加速していくと言います。仮にこの速度が『前世』と異なるのなら、様々な物事における計算式、たとえばどれくらいの人数までこの建物の床は耐えられるかであるとか、瓶を密閉するにはどうしたらいいとか――が異なってきます。その時、単に『前世』の知識をそのまま当てても、使い物にならないと思うのです」
この世界には既に重力の概念はあるが、その正確な加速度は、少なくともリエットの知るところではない。まだ測定がされていないか、されたところで研究者達、あるいは特定の国で秘匿されているかだ。
同様に、空気中の酸素濃度や、人体の内部構造なども詳細は分からない。つまり、この世界と「前世」で同一なのかが分からないのだ。その中で、曖昧な知識で電気だの磁石だの、あるいはまだない料理だのをよく検討もしないままに研究させるのは、あまりに危険であると思われた。
極端な例で言えば、「前世」も、この世界でも、人間はブドウを好んで食べるが、猫にとっては害となる。同様に、「前世」の人間は好むがこの世界の人間には害になる食べ物があるかもしれないのだ。
「確かに、領や国の発展に寄与できる可能性はあります。ですが、慎重に条件を調べたうえで、研究すべき技術も厳選したほうが良いと思います」
「なるほど……話の腰を折ってすまなかった」
「いえ、領主として当然のことですから」
リエットが頷くと、父は憂いを顔に浮かべて続けた。
「それで……フェリシアンとシャルル殿下、か」
「……はい」
ふう、と父の口から疲れたような溜息がこぼれた。
「殿下に対して不敬だとは思うが……年長者から見て、二人とも良い青年だと思う。特に私はフェリシアンのお前への気持ちを疑ったことは無いし、考え過ぎだと片づけてしまいたい気持ちがある……が、そうはいかないのだな」
「……はい」
父との会話で、余計に疑わしい点が増えてしまった。
王宮で突然、血も流さずに失血死で亡くなった母。
王家の代償として交わされた王太子との婚約。
故人の遺言を理由に挿げ替えられたフェリクとの婚約。
妻の死因を調べる公爵に差し伸べられた取引という名の停止命令。
謎の問いを繰り返す婚約者。
リエットにのみ態度の厳しい王太子。
おそらく王太子は、真実「前世」の記憶を持つリエットを婚約者に据えるつもりだったのだ。
しかしリエットは一向に「前世」を思い出さない。王族の婚姻が政における重要なカードであることは事実だ。しびれを切らし、思い出すまでフェリクに監視させることにしたのだろう。
いや、それよりも。
「王家か、フェリクさまがお母さまを殺し、私に『前世』を植え付けたということ……?」
「リエット、落ち着きなさい」
「でも……!」
状況からして、そうとしか思えない。そうであれば、彼らがリエットの「前世」を知っていて、それを求めて謎の問いを繰り返したことも納得がいってしまう。
「確かに状況から見るとその可能性はある。しかし、肝心の動機や証拠が無い」
「それどころか、どうやったのかが皆目見当もつきませんね……」
母体に触れることなく血を奪い殺す。
娘に「前世」の記憶を植え付ける。
そんなこと、いったい誰が出来ると言うのか。
――それこそまるで、物語の「魔法」のような―――
「まさか、『魔法』……?」
思わずつぶやいて、リエットは乾いた笑いを漏らした。
「リサ」の記憶がある分、余計に思えてしまう。
そんな馬鹿な、と。
しかし、父の反応は違うようだった。
「魔法、か……。確かに調べてみる価値があるかもしれない」
「魔法をですか?」
リエットと同じく信じられないのだろう。怪訝な顔をしてテオフィルが問いかけた。
建国神話では、初代国王が、女神エクリエルより魔法を操る力を授かっている。
建国神話に関係する以上、表立って馬鹿にするようなものはいないが、多くの若者にとっての魔法への認識は「あくまで物語」あるいはせいぜいが、「大昔にあったとされるがとうに絶えたもの」だ。
「確かに、私は今の王家が魔法を扱えるかどうかは定かではない。しかしそういった……説明の出来ない力を見たことは、ある」
「説明の、できない力?」
「隣国の、そのまた向こうの小国、魔石の国で、かつて魔石という動力源があったことは知っているだろう」
「はい」
教師から教えられた記憶がある。長年民に圧政を強いていたが故に、五十年程前に革命が起き、王制が廃された国だ。
魔石の精製技術は王家の滅亡とともに失われ、今は過去に作られた僅かなそれが残るばかりだと。
「一度だけ、魔石で動く道具――魔道具を見たことがある。確かに、あれは今の技術では代用が効かないものだ」
「まぁ……」
そんな、非現実的なものがあるのか―――と思ったが、自身の境遇の方が既に余程非現実的かもしれなかった。
「魔石も、かの国の王家が独占していた技術であり、またかの国の建国神話には、同じく女神から魔石を作る力を初代国王が与えられたという記述があるらしい」
「それは……我が国と似ていますね……」
違うのは、魔石という、目に見える物証があるかどうかだけだ。
そうすると、もしかすると、もしかしてしまうのかもしれない。それは王太子とフェリクが母殺しに関わっているという、悲しい結論でしかないのだけれど。
「私の方でも、王家の魔法に関して情報が無いか、調べてみよう。幸い、当家には幾度か王族が降嫁している。先代の手記などが残っているかもしれない」
「ありがとうございます、お父さま」
それから父は少しばかり考えるように宙を見ると、眉を下げてリエットに言った。
「それから、リエット。現状瑕疵の無いフェリシアンとの婚約を一方的に解消することはできないし、私自身、彼をもう一人の息子のようにも思っているから、信じたい気持ちがある。しかし、今は彼の執拗な催促をかわしたいというのも事実だ。かといってこれ以上仮病で引き延ばすのは難しいだろう。病が治った感謝の祈りを捧げるという目的で、しばらく静修に行きなさい。次の王宮舞踏会には出なければならないだろうが、それまではフェリシアンをかわすことができるだろう」
「……ありがとうございます!」
静修とは、一時的に修道院に身を寄せ、神の前で自省したり、祈りを捧げたりする行為のことだ。
実際に病から生還できたのだから、女神エクリエルに感謝の祈りを捧げたい気持ちは確かにあるし、それは貴族令嬢としてなんら違和感のない行為だ。
問題は、その間の調査が父と義弟に任せきりになることくらいだろうか。いや、もしかすると修道院の書庫にしかない書物があるかもしれない。
「分かりました。明日から舞踏会の前日まで、修道院に身を寄せたいと思います。お手数をおかけしますがお父さま、テオフィル、よろしくお願いします」




