12. 養子と母の死 (下)
一瞬、頭が真っ白になったようだった。
――私が、シャルル殿下の婚約者――王太子妃に?
「そ、そんな無理です」
「安心しろ、その話はとうに流れている」
思わず素で嫌がってしまった。不敬も良いところであるのに、父はふ、とわずかに笑みを零した。どうやら、結果的に父の肩の力を抜くことができたようだ。
「まだお前が幼いこともあり、正式ではなく内定、という形になった。それが変わったのは、お前が二歳の頃だな。その頃、ほんの少しだけ、隣国との間に摩擦が生じたことがあった。結果としては外交官の行き違いが原因で、大したことなく和解できたのだが。その際に王太子殿下が言ったのだ」
『国の安定のためには、私という王族の婚姻は大事な手札になりうる。今回のようなことに備え、私が成人するか、あるいは有事となるまで、この手札は切らずにいたい。そしてまた、私はひとつ、新たな提案をしたい』
弱冠十歳のシャルル王太子は、堂々と宣ったという。
『ヴェルディエ公爵家、アンリエット嬢と、将来我が側近となるだろう、コルベール公爵家、フェリシアンの婚約を整えたい。先日辞した、王妃殿下に仕えた侍女曰く、元々母とヴェルディエ公爵夫人は、生まれた子が女子であったなら、フェリシアンとの婚約を考えていたらしいのだ』
今更ながら、おかしい、と思う。母――ヴェルディエ公爵夫人がまだ見ぬ我が子の縁談を考えるのは分かる。しかし王妃殿下が自分の子でもないフェリクを唐突に勧めるのはやや違和感がある。
「何故王妃殿下がフェリクさまを?」
「私もそう聞いた。すると王太子はこう言ったよ。『情けない話だが、母は私の夫としての甲斐性が不十分だと考えたようだ。その点、フェリシアンは柔和で皆に好かれるから』、と」
正直なところ、今の王太子殿下とフェリクの様子を見ても頷ける話ではある。あるが、おそらくそれは真実ではないな、とリエットは思った。
関係者の一人である侍女がちょうど辞している点といい、都合が良すぎる。作り話とするのが妥当だろう。
とはいえ、王太子がそう言い、そして国王も否定しないということは、それが「真実」になったということだった。
「お父様はそれを受け入れたのですね」
「ああ。お前はその頃には跳ねっ返りの素養を見せ始めていたし、正直なところ、王太子妃という、常に窮屈で、針の筵に立たされる道は、幸せではないかもしれないと悩み始めていたところだった。公爵夫人とて矢面に立たねばならないことはあるが、きっと王太子妃よりも向いているように思えた。それに、まだ幼いお前に根気よく付き合っていたのは、王太子殿下よりもフェリシアンだったからな」
確かに、齢二歳というと、半端に自我が育ち、中々相手取るのに疲れる年頃だ。フェリクは、婚約者を放りだした王太子の尻拭いをさせられていたのかもしれなかった。
「まあ、そんな形でお前とフェリシアンの婚約が調った。フェリシアンは当時から立派な少年で、故に私は婚約自体には不満は無かった。しかし、王太子殿下の不審な態度は、私の中の疑問を再び呼び起こした。『妻は本当に、出産のショックで亡くなったのか?』と」
「えっ?」
思わぬ疑問を投げかけられ、リエットは目を丸くした。
「言っただろう、リエット。私は、妻を亡くしたショックでただただ言われるままに事実を受け入れるしかなかった。葬式も終わり、落ち着いたときにふと気が付いたのだ。――私は、死した妻の、顔しか見ていない、と」
室内は当然風も無い。にもかかわらず突然シャンデリアが揺らめき、父に深い影が差したように見えた。
「私が駆けつけた時、妻は全身に布が被せられ、隣のベッドに生まれたばかりのリエットが寝かされていた。私は妻の顔部分の布を捲り、確かにそれが妻であることを知って呆然とした。おそらく医師や、侍女らが居たのだろうが、彼らと何を話したかは余り覚えていない。しかし布を引き下ろそうとして、彼らに首を振られたことだけは覚えている。そうこうしているうちに、幼いシャルル殿下がフェリシアンと共に飛び込んできたのだ」
「殿下方が?」
そこは仲が良かったという、直前まで茶を共にしていた第一王妃ではないのか、と疑問に思う。
「王妃殿下は妻の死を聞くとショックで倒れてしまったという。当時既に体を壊しがちであったと聞くから、無理も無いのかもしれない。王妃殿下はそのまま臥せり、儚くなってしまったからね」
「そうなのですね……」
第一王妃がとうに儚くなっているのは勿論知っているが、単に「王太子殿下が六歳の頃から徐々に体調を崩し始め、八歳の時分に亡くなられた」と言われているのみだ。時期が近いとはいえ、そこに自らの母が関係しているとは微塵も思わなかった。
「シャルル殿下は王妃殿下の状態を説明し、王宮に招いたことを深く謝罪した。そして父――国王陛下とも相談するが、と付けたうえて、リエットとの婚約を提案したのだ」
「なるほど……」
父はこれで一区切り、とばかり、コーヒーを一口啜ると、指を組んで再びリエットと、テオフィルをそれぞれ見やった。
「さて、話が大分遠回りしてしまったね。リエットが二歳…フェリシアンとの婚約が調った頃、改めて疑問に思ったのだ。『お前の母は本当に出産が原因で亡くなったのか?』と。そして多少の調べが進んだのが、テオフィルを引き取ろうと決めた頃合いだった。そんな折、国王陛下に呼び出されたのだ」
「国王陛下に?」
「ああ。陛下の提案は、『例外的にテオフィルに継承権を与える代わりに、妻の死因は出産のショックであったとすること』だった」
「それは――」
――それはつまり、「実際には出産のショックではなかった」ということだ。
「私も、調べられたことは断片的だった。当初はたとえば王家を狙う刺客の襲撃の巻き添えになったとか、そうした可能性を考えていたのだが――――」
いつの時代も王族に暗殺は付き物であるから、妥当な推測と言える。しかし、この様子を見るに違う、ということだろう。
「職を辞した侍女や医者の居場所を突き止め話を聞き、整理したことには、どうやらそうした事件性は無いらしい。お前の母は王妃殿下との交流を終え、身重だからな、帰り際に休むよう言われて休憩していたそうだ。その折、突然、ぱたりと倒れてしまったと」
「医師が駆けつけた際には既に息絶えており、子だけでも救わんと、お前を取り出したらしい。つまりは、私に見せないようにした理由は、お前を取り出すための手術創がひどいものであったからだろう」
「加えて医師から聞けたのは、これは誤診の可能性があると慎重に濁されはしたが――、おそらくお前の母の死因は失血だと」
「失血……?」
それは血が足りないことが原因で死に至るものだ。たとえ傷が小さくとも、そこから多量の血が流れ出てしまえば、人間は死んでしまう。
リエットは「リサ」の知識によって理解しているが、医学が未発達なこの世界でも、血が不足し過ぎれば死んでしまう、という程度のことは、経験則として一般に知れている。
しかし、今の話を聞くと、母が血を流すチャンスは死後にリエットを取り出した時だけだ。実はまだ生きていたというのだろうか。
「曰く、お前を取り出す際に、明らかに血が少ないと気が付いたそうだ。およそ人間の生きられる量ではないと」
つまり、母は何故か突然怪我も無く血を失い、それが故に帰らぬ人となった、ということになる。そんなことが、起こり得るのだろうか。父は困ったように首を振った。
「正直なところ、医師の誤診か、発狂を疑ったほうが楽だ。死する程多量の血を、それも突然失う病など聞いたことが無い。しかし、手掛かりがそれしかないのだからと、私は伝手で得られる限りの書物を調べ、それでも成果が得られず、王宮図書館に手を伸ばした。そんな折、国王陛下から先ほどの提案をされたのだ」
国王陛下が、狂ったように調べ続ける忠臣を案じた可能性もある。けれどそれよりは、「王家に原因があると分かっていたから、もう調べるのは辞めて欲しかった」といったほうが、よっぽど現実味がある。
「これは事実上の停止命令だった。勿論突っぱねたとて、すぐさま王家との領地戦になるとは思わないが、国の安定や領民を思えば、これ以上踏み込むことはできなかった。そうして私は、提案を受け入れ、テオフィルを跡継ぎとして育て始めた」
「……」
「……」
――テオフィルの継承権は、母の死を調べることを諦めた代償だった。
リエットも、テオフィルも、しばらく何も言うことができなかった。
母の死は、己が原因では無かったらしいということも衝撃的だが、まさかテオフィルが継承権を持つ所以が、ここまで様々な事柄に絡んでいるとは思わなかったのだ。
「――お話くださってありがとうございます、お父さま」
「ああ。――ただ、誤解しないで欲しいのは、私が王家に忠誠を誓う気持ちは変わらないし、テオフィルを跡継ぎとして受け入れることができたのは僥倖だと思っている、ということだ。勿論、後妻が居ない分、お前たちには寂しい思いをさせてしまったかと思うが――」
「いえ、そんなことはありません、義父上」
テオフィルが、しっかりとした口調で否定した。リエットも強く頷いて言葉を続ける。
「公爵家の維持は国のためにも、領民のためにも必要なこと。新しいお母さまがいらっしゃるならそれもまた必然でしょう。けれど、お母さまがいらっしゃらずとも、私もテオも、お父さまに、使用人たちに沢山の愛情を貰って、そして公爵家は存続することができる。だから、お父さまが引け目に思うことは何一つないと思うの」
今度はリエットの言葉にテオフィルが頷き、公爵も何かを噛み締めるように頷いた。




