09. 繰り返される求婚
それから数日あまり。リエットはベッドの住人を続けている。
知らせを聞いた侍女が気遣わし気に問いかけた。婚約者との間に何かあったのだろうと、今では屋敷中の人に知れている。
「その、お嬢様。コルベール公爵令息がいらしています」
「……今日は体調が思わしくないから、悪いけれどおかえりいただいてもらえる? 場合によっては、テオフィルに相手をさせて」
「……はい」
フェリクは、あれからほぼ毎日やってきては、それまでの態度は何だったのかと思うほど、情熱的にリエットに愛を乞うてくる。
リエットは体調を理由に、無作法にならないラインを見極めつつ、時折だけ会うようにしながら、「彼らの狙い」の調査を続けている。
しかし状況は芳しくなく、ただヴェルディエやコルベール、王家への造詣が深まったばかりだ。
そして積み上げた書籍よりもハイペースで、部屋がフェリクからの贈り物に支配されていくのもまた、小さな悩みだった。
「狙い」こそ分かっていないが、フェリクを白か黒かで言うならほぼほぼ黒と確定できるだろう。万一「狙い」がヴェルディエ公爵家を害するものならば、この婚約は解消しなければならない。その際、この贈り物達は返すことになる。
そう思うと手を付けることも出来ず、贈り物はただただ積み上がっている。
けれどひとつひとつが完璧にリエットの好みを理解していて、そんな些細な気遣いにさえ、愚かな恋心が胸を振るわせて五月蠅いのだった。
コンコン、とノックの音が響く。侍女が応じれば、メイドが困惑した様子で立ちすくんでいた。
曰く、眠っていても良いから、一目でもリエットに会いたいというのだ。
重ねて言うが、フェリクは本来穏やかで、慎み深く、幼い頃から我儘とは程遠い少年だった。こうして、無理を通さんとする姿など見たことも無い。
「前世」を取り戻してからは、「リサ」の知識によって世界が変わって見えるばかりか、実際に変わってしまったものが幾つもあるようだった。
「リエット! 会いたかった!」
「ごきげんよう、フェリクさま」
許可を出すなり、フェリクが飛び込むようにしてやってくる。初めて見る姿ばかりだ。少し遅れて、額に手を当てたテオフィルも入室してくる。引き留めることができなかったのだろう。
身体を起こそうとしたリエットを身振りで止めると、フェリクはきゅうとリエットの手を握った。この数日、来るたびに彼はそうしている。
「体調は少しは良くなっただろうか。食事は取れているかい? 今日は果物を持ってきたんだ。メイドに渡したから、食べられそうなら後で、」
「フェリクさま」
続けようとしたフェリクを、できるだけ弱弱しい声で遮った。
実はとっくに健康なのだと、今はまだ知られるわけにはいかない。明に告げられる瑕疵も無く、求婚を断ることなどできないのだから。
「毎日、ありがとうございます。ですがお忙しいのでしょう。私はきっとそのうち治りますから。どうかお仕事を優先なさって」
「仕事はきちんとしているし、リエットよりも大事なことなんて無いよ」
言外に来るなと告げてもフェリクはめげない。元々まめに訪れる方だったが、それでも仕事に多くの時間を費やしていた筈だ。常以上に時間を捻出するには、と思い視線を合わせると、黄緑の瞳が嬉しそうに柔く細められた。その下には、深く隈が刻まれている。やはり、睡眠時間を削っているのだ。
敵、いや、少なくとも容疑者、の筈である。それでもやはり、心配になってしまう。
「お疲れの御様子、どうか私に時間を割くより、しっかり休んでくださいませ。何かあればきちんとお知らせしますから」
「心配してくれるの? リエットは優しいな」
フェリクは分かりやすく喜色を表して微笑んだ。そして一度目を閉じ、真剣な様子を作ると、控えていた侍従から花束を受け取り手渡してくる。今日は菫を中心にしたそれだった。
「ねえ、リエット。私を憐れんでくれるなら。どうか私の想いに応えて欲しい。愛しているんだ」
「フェリクさま……」
いつも通りだ。彼を拒絶しきれずに部屋に招き入れてしまうと、必ず愛を囁き結婚を望んでくる。
その度に、応えられない苦しさと共に、今までの態度との差に、憎たらしくも思えてしまう。
そうして、リエットの断り文句もまた、同じだった。
「フェリクさま、お気持ちは本当に嬉しく思います。ですがどうか、お医者様から問題無いといただいてからまた聞かせてください」
けれど今日のフェリクは、少しばかり異なる様子だった。首を横に振り、再びひたむきな瞳をこちらに合わせてくる。
「良いんだ、リエット。勿論早く元気になって欲しいし、君と行きたいところが沢山ある。君との子供だってきっと可愛いだろう。でも君が生きて、私の傍で笑っていてくれるなら、それだけでもう十分なんだ。旅行なんてできなくても構わないし、子は養子を取ればいい話だ」
ベッドの傍に跪き、リエットを見上げるフェリクの眼差しは、確かに熱を帯びているようだった。
「狙い」があるにしても、彼なりに、リエットには失いたくない程度の情があるのだろうか。
そして同時に、どこか必死な色が浮かんでいるようにも見える気がした。
「そんな無茶を、」
「無茶なんかじゃないさ。私が誰の側近だと思っているの?」
フェリクが冗談めかして言う内容に、リエットは思わず目を丸くした。彼が公爵家の嫡男で、王太子の側近という確固たる立ち位置を築いているのは事実だ。けれどそれを笠に着るようなことは、今まで一度たりとも無かったのに。
この国の継承権は男系長子制――つまりは直系の男性血族のみが継承権を持つ。
フェリクは一人っ子であるから、コルベール家の跡継ぎになることは確定で、順当に考えれば、リエットはフェリクの次の跡継ぎのために男児を産む必要がある。仮にそれが出来ないと、現コルベール公爵の弟、弟が没していればさらにその子供…と、どんどん直系から遠のくことになる。それでも男児が見つからない場合、家は取り潰しになるのが通例だ。
「前世」と比べ、血が重んじられるこの世界では、養子というものは極めて稀だ。養子は継承権を持たないため、たとえば妾の子を養子に入れたとて、彼らが次代に成ることはない。有体に言ってしまえば「引き取るメリットが無い」はずだった。
しかし彼の今の発言は、「養子に継承させる」という特例を、それも王太子の威光を借りて実現すると言っている。実際、様々な物事に特例はある。彼の、そして王太子の力があるならば、可能なのだろう。
――あら……?
「リエット?」
「い、いえ。勿論、フェリクさまと王太子殿下にできぬことなどないでしょう。けれど私共公爵家は謂わば王家の藩屏。そこに嫁ぐものは、貴族令嬢としての義務を果たすべき――果たせる者であるべきだと思うのです」
一瞬割り込んできた違和感は、けれどこちらを覗き込むフェリクにすぐさま吹き飛ばされてしまった。
義務を説けば、フェリクは仕方なそうに言葉を収めてくれる。今日は引くことにしたようだった。こうして、引き際を見極め、完全な拒絶を上手に避けるのもまた、彼らしかった。
その後は、テオフィルを混ぜての雑談となる。病気を装うため控えめに反応しなければいけないが、やはりフェリクとの会話は楽しかった。
「そろそろ、お暇するよ。リエット、ゆっくり休んで。明日は、私の求婚を受けてくれると嬉しいな」
「早く元気になれるよう、頑張りますわ。フェリクさまもご自愛なさって」
リエットの頭を撫でると、フェリクは困ったように微笑んで去って行った。彼の態度は本当にリエットを心配して、愛おしいと思っているようで。リエットは罪悪感と、信じてはいけないという戒めの気持ち、そしてやはりどこかで期待してしまう胸が、そのたびにきゅうと痛むのだった。




