第80話:空洞の少年 ―白銀の器―
魔導院の残党たちは、城門前へ半円状に整列している。
その背後では、歪な金属外殻を埋め込まれたキメラ兵器たちが、獣とも機械ともつかぬ低い駆動音を喉奥で鳴らしていた。
青白く脈打つ魔導回路がむき出しの肉を締め付け、冷たい真鍮のボルトが骨格に打ち込まれたその姿。
醜悪な合理性の具現、そのものであった。
ユリウスはベルローズたちを見つめ、観測していた。
その碧眼には、敵意も、驚異に直面した際の歓喜もない。
ただ眼前に広がる対象を過不足なく記録し、分類する。
そんな、固有の価値を測定しているだけの冷たさがあった。
彼を取り巻く空気だけが、周囲の湿った夏の熱から切り離され、硬く凍りついている。
ルシアンはベルローズを庇うように一歩前へ出たまま、低い唸り声を喉奥で鳴らし続けている。
蒼い瞳は野生のそれへと変貌し、ユリウスの細い首筋を見据えている。
彼の周囲の空気には、体内から溢れ出る極低温の魔力によって、白い霜が結晶となって滲み始めていた。
対するユリウスは、その剥き出しの殺気すらも、興味深い観察対象のひとつとして受け止めているようだった。
彼はルシアンの耳や尾、そして首元で微かに明滅する紫の薔薇のチョーカーを数秒見つめたあと、抑揚のない声で続ける。
「魔導院に残されていた記録では、幻獣は極めて高い攻撃性と、縄張り意識を持つとされていましたが……。実際に対面すると、想定以上に感情依存が強い個体ですね」
その瞬間、ルシアンの魔力が大きく膨らみ、足元の石畳へ向かって細い氷の亀裂が走った。
ピピは思わず、背中の小さな結晶質の羽を硬くこわばらせる。
アマンダもまた目を伏せ、城の周囲に張り巡らされた菌糸網へと意識を沈めていた。
森の植物たちが、一斉に恐怖で根を震わせているのを、肌で感じ取っていたからだ。
セレスティアだけは、ユリウスを見つめたまま動けなかった。
彼の言葉には、相手を怒らせようとする悪意も、見下そうとする傲慢も存在していない。
本当にただ、記録された情報との差異を確認し、淡々と事実を言葉に置いているだけなのだ。
そのことが、かえって異様な不気味さとなって、少女の肌を粟立たせた。
やがて魔導院残党の一人が、一歩前へ進み出た。
「恐れ多くもヴィクトル様の理論を継承した、次代の完成体……。それがユリウス様だ」
痩せ細った、中年の男だ。泥に汚れた白衣の胸元には、歯車を模した古い魔導院の紋章が、煤けた金糸で縫い付けられている。
その落ち窪んだ目には、長年王都の奥底で狂信を煮詰め続けた者特有の、濁った熱が宿っていた。
「偉大なる魔導院は、滅びてなどいない。ヴィクトル様の叡智は、この少年の中に正しく保存されているのだからな」
男は恍惚とした口調で語る。だが、当のユリウス本人は、その言葉に何の反応も示さなかった。
自らの血統を誇らしげに胸を張るでもなく、あるいは向けられた狂信を否定するでもなく。白銀の衣服を、微塵も乱さずに立っている。
自分が崇拝されているという事実そのものに、まるで価値を感じていないようだ。
その異様な空虚さに、ベルローズの背筋へ冷たいものが這い上がった。
「……保存、ですって」
ベルローズはかすれた声で呟く。
その深紅の瞳には、別種の戦慄が滲み始めていた。
「ヴィクトル様ほどの頭脳が、自らの死を想定していなかったはずがないだろう」
残党の男は、まるで自慢の芸術品を愛おしむように、歪んだ笑みを浮かべて続ける。
「極秘裏に保管されていた遺伝子情報から、肉体や魔導回路、すべてを可能な限り再現し、最適化した存在。それがユリウス様だ」
「最適化……」
ベルローズの喉が引き攣った。
その単語の響きは、かつて王都の冷たい屋敷で、繰り返し聞かされ続けたものだ。
効率化、制御、安定化、最適化。
人の心を不要なノイズとして削ぎ落とし、ただ純粋な機能だけを抽出しようとする、魔導院の冷酷な言語。
かつて自分の角を、醜い異物として真珠で覆い隠したあの男の思想が、そのまま形を取ってそこに立っている。
「ヴィクトル様が生涯をかけて到達しようとした理想の全ては、ユリウス様へ継承されている」
陶酔したように語り続ける男に、ユリウスはなおも無表情だった。
灰色の空から落ちる薄い光が、その金髪に反射している。
「ユリウス様は、魔女、幻獣、そして両者の融合成功個体であるその娘に、極めて高い関心を示しておられる」
その瞬間、セレスティアの耳が鋭く伏せられた。
融合成功個体。
その言葉の持つ徹底的な非人間性が、少女の胸へ深く突き刺さる。
自身がこれまで抱えてきた出生の苦悩も、家族との絆も、彼らにとっては単なる数値の羅列に過ぎないのだ。
ユリウスはようやく、セレスティアへ視線を向けた。
「実際、非常に興味深いですね」
穏やかな声だった。絹の上をするりと滑るような、耳に心地よい響き。
だがやはりその声には、人に向ける温度が欠落していた。
「高濃度の魔女と幻獣の安定融合など、理論上ほぼ不可能なはずです。通常なら幼少期に肉体崩壊、あるいは精神汚染を起こす」
セレスティアは息を呑む。
この少年は、自分をただ、稀少な研究対象として見ているのだ。
「しかし、あなたは十五年以上、正常な自我を維持しているのでしょう? その制御の核がどこにあるのか、僕は興味がある」
「……あなた、変だよ」
セレスティアは恐怖を堪え、思わずそう呟いていた。
彼女は首から下げた蒼い牙の護符を、無意識に強く握りしめる。
ユリウスは小さく首を傾げ、衣服の襟元に施された白銀の刺繍が、その動きに合わせて、鈍く光った。
「変、とは?」
「だって、普通じゃないよ。私たちのこと、怖くないの?」
ユリウスは数秒の間、思考を巡らせるように沈黙したあとで答えた。
「怖い、という感覚は理解しています。危険予測の一種でしょう? ですが、必要性を上回るほど強く発生したことはありません」
その返答を聞いた瞬間、セレスティアの胸が強く締め付けられた。
この少年には、本当に何かが欠けている。
怒りでも狂気でもない。もっと根本的な、生き物として当たり前に持っているはずの柔らかな部分。
それが最初から、存在していない。
褒められても嬉しくない。拒絶されても傷つかない。
誰かに、愛されたいとも思わない。
セレスティアは、どうしようもなく理解してしまった。
この少年はきっと、抱き締められて安心するという感覚、そのものを知らない。
植え付けられた目的だけが、狂いなく回る歯車のように彼を動かしている。
(この人……、誰にも甘えたことがないんだ)
どこまでも透き通った、底のない深い奈落を見るような感覚だった。
セレスティアが目を伏せたその瞬間、父の魔力が限界まで膨れ上がった。
「……もういい」
低く押し殺された声。
その短く切られた一言には、今までにセレスティアが感じたことがないほど、濃密な怒気が滲んでいた。
「ベルローズとセレスティアを、その薄気味悪ぃ目で見んじゃねぇ」
周囲の温度が、一気に下がる。
夏の生ぬるい風は掻き消え、前庭を埋め尽くす薔薇の花弁へ、白い氷が薄く張り付いていく。
ユリウスはその強烈な殺意を真正面から受けながらも、眉一つ動かさずに、ルシアンを見つめ返していた。
「ああ、なるほど」
彼は小さく呟く。
「あなたは、そうして機能しているのですね。魔女を守護するという契約に縛られ、自己の生存本能を上書きしている。実に効率的なシステムだ」
「……俺が、縛られてるだと? 笑わせんなよ」
単なる激情というより、守るべきものを単純に分類されたことに対する拒絶。
野生の本能そのものと、尊厳を含んだ咆哮だった。
だがその牙が食らいつかんとする直前、ベルローズが震える声で彼の名を呼ぶ。
「……ルシアン、待って」
彼女の静止の声だけで、ルシアンはかろうじて踏み止まり、奥歯を激しく噛み締めた。
そのまま、溢れ出ようとする蒼い魔力を強引に抑え込み、背後のベルローズを振り返る。
彼の瞳には、痛切な焦燥が揺れていた。
ベルローズは、ルシアンの背越しにユリウスを見つめている。
その深紅の瞳に宿っていたのは、目の前の少年に対する、深い哀れみだった。
ヴィクトルには、どれほど歪んでいても執着や、独占欲があった。
ベルローズを我が物にし、その力を国家のために固定したいという、醜くも人間的な欲望。
それが存在していたからこそ、彼女は彼を憎み、拒絶することができた。
目の前にいるユリウスには、それすらない。あるのは、完全なる空洞だ。
誰にも愛されず、誰かを愛することもなく。
ただ理想の残骸だけを継承するために生み出された、白銀の器。
その痛ましい事実が、ベルローズの胸へ、鉛のように重く沈んでいく。
彼女は自らの角が、悲哀の熱を帯びて疼くのを感じていた。
薔薇の茂みを揺らす風が、ぴたりと止んだ。
森そのものが、この不自然極まる空洞の出現を、本能的に拒絶している。




