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幻獣と魔女の箱庭 ~愛を知った幻獣は、案外しつこい。~  作者: 彩羽やよい
第8章:寄り添う安息

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第62話:故郷を繋ぐ種 ―ここで生きるもの―

 セレスティアの、霊峰の植物を育てたいという小さな計画。

 その日の夕方には、城の管理人として、ピピまでもが巻き込まれていた。


「……はぁ? 氷属性の、魔力循環専用温室!?」


 ピピは、中庭に集まった面々を見て頭を抱えた。

 銀髪を光に反射させながら、灰色の瞳に困惑の色を浮かべている。


「ちょっとルシアン、君まで何を言い出すのさ。なんで北から帰ってきて早々、そんな面倒な設備を増やそうとするんだよ」


「俺が言い出したんじゃねぇよ。アマンダとセレスティアだ」


「それはわかってるけどさ……」


 ピピは、盛大に溜息をついた。

 彼はセレスティアから霊峰の種を見せられ、アマンダから、霊峰の魔力循環が必要だという条件を聞かされる。

 すると次第に、ピピの表情は真剣なものへと変わっていった。


「冷気を循環させる魔導管は、城の地下鉱脈から採れる結晶がいいかな……?」


 図面を描き始めた瞬間から、彼は完全に職人の目つきになっていく。


「霜結晶を利用した冷却装置を組み込んで、外気を遮断する特殊硝子で覆う。一番重要なのは、ルシアンの魔力を蓄積する魔石の配置だね」


 ぶつぶつと小言を言いながらも、彼の手は恐ろしい速度で設計を組み立てていく。

 冷気をどこから取り込み、どこへ巡らせれば効率がよいか。

 どの位置へ核となる魔石を配置し、どの程度魔力を蓄えておくか。

 植物が眠りから覚めるまで、どれほど時間を要するか。

 線を引き、図面の上に置かれた霊峰の種を見ているうちに、彼の口数は次第に減っていった。


 ベルローズは中庭のテラスで、その騒がしさを静かに眺めながら、深く淹れた紅茶を口元へ運んでいた。

 未だにルシアンの傍から離れがたく、寂しさを埋められない彼女は、彼の訓練を見守った流れで中庭に出ていたのだった。

 やがて、テラスに上がってきたセレスティアが少し不安そうに、ベルローズの隣へ歩み寄った。


「お母様。あのね、山から持ってきたもの、育ててみたいんだけど……。中庭を少し使ってもいいかな?」


 ベルローズの深紅の瞳が、娘の抱える布包みへ柔らかく落ちる。


「もちろん構わないわ。そこまでして残したいものがあるのは、悪いことではないもの」


 そこには、確かな許容があった。

 遠い昔の彼女なら、失われたものへ執着する行為など、非合理な無駄だと切り捨てていたかもしれない。

 けれど、大切な者たちが残したいと願うなら。

 その選択を尊重することが、彼女の新しい世界の在り方だった。


「上手く育つといいわね」


「うん!」


 微笑んで返すベルローズの言葉に、セレスティアの耳が嬉しそうに跳ねた。

 ベルローズは娘の姿を、黙って見つめた。

 それから、図面を引くピピの横で腕を組んで立っているルシアンへと、視線を移す。


 あの土地について語るときのルシアンは、いつも遥か遠くを見ている。

 失われたものを語る彼の声には、長い年月を超えてなお、残る痛みがある。

 彼が失ったものを、この城で守ることができるのなら。

 それはきっと、彼にとっても悪いことではないだろう。


 数日後、ピピの迅速な作業とルシアンの手助けによって、中庭の一角に小さな特殊温室が完成した。

 緻密に組まれた魔導管と、特殊硝子に囲まれた空間。

 内部には薄い冷気が満ちており、霊峰に近い白さを宿している。

 そこだけが、初夏の中に切り取られた冬の色をしていた。


 薔薇の咲く中庭に、霊峰の冷気を宿した空間が息づいている。

 異なる季節がひとつの庭に並ぶ光景に、セレスティアの胸は震えた。


「よし、ルシアン。核石に魔力を流してみて。急激に出力を上げちゃ駄目だよ。一定の循環を意識して、精密によろしく」


 ピピの指示に黙って頷くと、ルシアンは温室の制御核へ大きな手をかざした。

 彼の長い指先から、蒼氷の魔力が静かに紡ぎ出され、半透明の管を伝って内部へ広がっていく。


 じわりと室内の温度が下がり、霊峰特有の凍てつく空気の質感が再現されていく。

 アマンダが土に埋めた眠れる種が、ルシアンの冷気に触れた。

 その瞬間、種はほんのわずかに、淡く青白い光を返した。


「反応した……!」


 セレスティアは硝子に顔を近づけて、目を輝かせる。

 アマンダもその隣で、楽しそうに目を細めた。


「ちゃんと、生きていますね。ルシアンさんの冷気が、この子たちに故郷を思い出させたみたいです」


 ルシアンは腕を組みながら、その様子を複雑な顔で見下ろしていた。

 自分の魔力が、今はこうして小さな命を生かすために使われている。


 手のひらを離したあとも、彼の指先には仄かに冷気が残っている。

 この城に来る前は、触れるものを凍らせることにしか、使ってこなかった魔力。

 敵を屠るために磨き、己を守るために振るった力。


 それと同じ力で、こうして小さな種の眠りを守っている。

 そして、愛する者の熱を癒し、魔力循環を支えることすら出来ている。

 何とも、妙な話だった。


 やがてセレスティアは、持ち帰った木の実の最後の一つを取り出した。

 それを爪で半分に割ると、透明な果肉が現れる。

 あの霊峰で嗅いだ甘く澄んだ香りが、ふわりと中庭に広がった。


「お父様。この実が育ったら、これからはいつでも食べられるよ」


 その無邪気な言葉に、ルシアンは息を止めた。

 白銀の故郷は、もう戻らない。

 失われた群れも、過ぎ去った日々も、二度と同じ形では帰ってこない。

 けれど鼻腔を満たす香りは、あまりにも懐かしい。


 群れの連中と奪い合っていた実。

 腹を空かせ、雪を蹴り、誰より先に枝へ飛びついていた、遠い過去の記憶。

 同胞の牙が肩を掠めることすら当たり前だった、あの荒々しくも孤独だった日々。

 それが今は、この薔薇の咲く、暖かで安全な城の温室で育とうとしている。


 穏やかで、優しい。

 かつて死に場所としてこの地を選んだ自分には、不釣り合いなほどの幸福のようだった。


 ルシアンは視線を逸らし、短く鼻を鳴らした。


「……そんな簡単に食えるようになったら、有り難みがなくなるだろ」


「でも今度は、取り合いしなくて済むね」


 ふっと笑みを零すセレスティアに、ルシアンは答えない。

 ただ、その蒼い瞳だけが、柔らかく細められていた。


 回廊の影から、ベルローズがその光景を見守っていた。

 ルシアンがふと顔を上げると、二人の視線が真っ直ぐに交差する。

 ベルローズの深紅の瞳には、誰にも見せない微かな熱と、安息の揺らぎが宿っていた。


 彼女がそこにいて、自分を見つめている。

 それだけで、ルシアンの魂にある古い傷跡は、静かに満たされていくようだった。

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