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幻獣と魔女の箱庭 ~愛を知った幻獣は、案外しつこい。~  作者: 彩羽やよい
第5章:祝祭の季節

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第37話:木彫りの狼 ―あなたに似ていたから―

「じゃあ、一刻後には中央広場の噴水前で合流ね。お互い、絶対に遅れないこと」


 祭りの雰囲気に馴染み始めた面々は、少人数に別れて散策を進めると決めた。

 ピピが念を押すように告げると、セレスティアは少し名残惜しそうにしながらも、素直に頷く。


 ルシアンは、相変わらず不機嫌そうだ。

 それでも彼は、通りすがる人々から自然に、恐れることなく声を掛けられ続けている。

 それゆえに、鋭い警戒心は、多少なりとも和らいでいるようだった。


 アマンダは既に、少し離れた通りに並ぶ、花や薬草を扱う露店の方角へ視線を向けている。

 彼女は春の緑を前に、どこか浮き立つような、瑞々しい空気を纏っていた。


「行こう、お父様。いろいろ見てみたいお店があるんだ」


「勝手に遠くへ行くなよ。人混みではぐれたら、見つけ出すのが面倒だからな。アマンダ! お前もだぞ」


 文句を言いながらも、ルシアンは娘の小さな歩幅へ合わせるように、ゆっくりと歩き出す。

 ふらふらと歩みを進めていたアマンダへ、釘を刺すことも忘れなかった。


「……あの子たちをルシアンに任せてしまって、大丈夫だったかしら」


「まぁ、あいつは案外よく見てますから。大丈夫でしょう。……恐らく」


 ピピは腰に手をやりながら、奔放なセレスティアとアマンダを見つめる。

 彼は内心「組分けを間違えたかもな」と、少々ルシアンを案じていた。


 ルシアンの幅広で大きな背中を見送りながら、ベルローズはふと、小さく息を吐く。

 ベルローズ自身、こうした人混みを心から好いているわけではない。

 本質的には、ドラクロワの静謐な闇の中にいる方が、彼女の魂は落ち着くのだ。


 けれど、すれ違う人々から視線を向けられはしても。

 その多くは純粋な驚きや、祭りの日に現れた、珍しい隣人に対する好奇心だ。

 王都の人間が浮かべていたような、暗い悪意と支配欲に満ちたものではなかった。

 誰かにその不吉な角を隠せと、強要されることもない。


「ベルローズ様?」


 隣からピピが、小さく声をかけてくる。

 ベルローズは瞬きをし、過去の残像を振り払うようにして、凛とした足取りで歩き出した。


「大丈夫よ。……行きましょう。少し歩きたいわ」


 二人は賑やかな大通りから一本外れた、職人たちの露店が並ぶ区域へ足を向けた。

 食事や酒を扱う通りほど、喧騒に満ちてはいない。

 乾いた木材の清々しい香りや、香ばしい木屑の匂いが漂う。

 細工師たちの丁寧な手仕事が並ぶ、どこか落ち着いた空気が流れていた。


 丹念に削り出された、木彫りの器。

 愛らしい小鳥を模した土笛や、繊細な蔦模様を刻んだ小箱。


 祭りの熱気の中心からわずかに外れただけで、そこには、人々の暮らしに深く根ざした営みが息づいている。

 衣服の擦れる音や、職人が木を削る刃先の微かな音が、心地よく響いていた。


 その穏やかな並びの中で、不意にベルローズの足が止まった。


 通りに面した、小さな露店。

 年季の入った粗い麻布の上へ、様々な木彫りの動物細工が並べられている。


 鹿、狐、小鳥。そして、狼。

 どれも職人の指先の癖がそのまま残るような、素朴な温もりを持った品ばかりだった。


 ベルローズの深紅の瞳が、その中の一つへ、吸い寄せられるようにして止まった。

 それは、大人の手へちょうど収まるほどの、小さな狼の置物だった。


 耳はやや大きく彫られており、尾の曲線も少し丸みを帯びている。

 鋭利で獰猛な獣というよりは、どこか不器用な愛嬌を感じさせる造形だった。

 しかし、その目元に埋め込まれた蒼い石の瞳だけは、妙に真っ直ぐだ。

 その静かで深い眼差しが、ベルローズには、ひどく見覚えのあるものに思えた。


(……彼に、少し似ている)


 そう思った瞬間。

 自分でも理由の分からない居心地の悪さと気恥ずかしさが、胸へ広がる。


 ベルローズは視線を逸らした。

 ただ、そこから足が動かない。

 視界の端にその小さな木彫りを留めたままで、その場に立ち尽くしてしまう。


 隣に立っていたピピは、その様子をしばらく何も言わずに、黙って眺めていた。

 やがて、結晶質の羽を微かに震わせ、その瞳にどこか愉快そうな光を浮かべて口を開く。


「……欲しいんですか、ベルローズ様?」


 ベルローズは、考えるよりも早く、即座にその言葉を否定した。


「別に。ただ、少し不格好な作りだと思っただけよ」


 あまりにも予想通りの、取り澄ました返答だった。

 ピピは、込み上げてくる笑いを堪えるように、口元を手で覆った。

 その、頑なな言い回し。

 それを彼は遥か昔、まだ城の空気が今よりもずっと冷たかった頃にも、聞いたことがあったからだ。


 あれは、ルシアンがドラクロワの城に住み着いて、間もない頃のこと。

 初めて二人で森の境界の交易へと出かけた際、ルシアンはある露店の前で足を止めた。


 彼の視線の先にあったのは、黒い木肌に、紅い小さな石が埋め込まれた一枚の栞(しおり)。

 ルシアンはそれをじっと見つめたまま、動かなくなった。

 ピピが「それ、欲しいの?」と尋ねると、ルシアンは露骨に顔を顰(しか)めた。


「別に。ただの木の板だろ」


 そう吐き捨てた彼は、そのまま立ち去ろうとしたのだ。

 だが、結局のところ。

 ルシアンは、自身が仕留めたキメラの希少な素材で得た対価を店主に叩きつけ、その栞を寡黙に購入した。

 そしてその夜、どうやらそれを、不器用にベルローズへと差し出したらしかった。


 翌朝、ピピがいつものように主の書斎へ、朝のお茶を淹れに行ったとき。

 その栞は、彼女が読んでいる魔導書の頁へと、そっと挟まれていたのだった。

 まるで最初から、そこが居場所であったかのように。

 そしてベルローズは、その栞を今でも変わらず、大切に愛用している。


 あの時から、この二人は何も変わっていない。

 肝心なところで、驚くほど素直になれず、それでいて不器用な情を他者に寄せる。

 本当に、似た者同士だった。

 ピピは、胸の奥から込み上げてくる可笑しさを誤魔化し、声を弾ませてみせた。


「買いましょうよ、これ。よく見ると結構かわいいじゃないですか。……あー、なんだか僕、無性に欲しくなっちゃったなぁ。僕の部屋の棚にでも飾ろっかな」


 そう言いながら、ピピはわざとらしく、財布に手を伸ばそうとする。

 するとベルローズが微かに眉を寄せ、鋭い視線を彼に向けた。


「……あなたが買うの?」


「え? ええ、まあ、僕の部屋用に」


「それなら、私が買うわ。……私の部屋に置くために。その方が城の調度品にも、……調和するでしょうし」


 どこまでも、素直じゃない。

 ピピは内心で肩を震わせたが、主人の矜持を傷つけぬよう、努めて真面目な、澄ました顔を保つ。


「そうですか? じゃあ、ベルローズ様のお部屋用、ということで。お譲りします」


「……ええ、そうしてちょうだい」


 ベルローズは淡々と返し、麻布の上から、その木彫りの狼をそっと手に取った。

 指先へ伝わる木肌の感触は、磨かれすぎていないぶん、どこかざらりとしていて温かい。


 工芸品として評価すれば、城の宝物庫に眠る高価な美術品とは比べものにならないほど、素朴で荒削りな作りだ。

 けれど、その不完全さの中に宿る静かな愛嬌と直向(ひたむ)きさが、妙に彼女の胸の奥底へ残る。


「お客さん、いい目をしてますね」


 露店の店主である日に焼けた老人は、二人のかけ合いを眺めながら、穏やかに目を細めて笑った。


「その狼はね、この地方じゃ古くから『森守り』の象徴とされているんですよ。深い霧や嵐の夜でも、決して迷わないように、旅のお守りや願掛けに置いている人が多いんです」


 森を守る狼。

 それは偶然にしてはあまりにも、娘の手を引いて歩いていった、あの男の生き様そのものだった。


「……いい風習ね。これ、いただけるかしら」


「はいよ。お待ちください、今お包みしますね」


 支払いを終え、薄い紙に包まれた、小さな木彫りを受け取る。

 その静かな横顔を見ながら、ピピはこっそりと思索を巡らせていた。


(……あいつ、城に戻ってこれを見つけたら、絶対に気付いて尻尾を揺らすだろうな)


 祭りの灯火は、さらにその密度を増していく。

 人々の笑い声は、夜の帳(とばり)が降りるのに合わせて、より深く、心地よい残響となって町に染み渡る。


 ベルローズは小さな包みを大切に抱え、遠く、光が明滅する人波の向こうへと視線を向けた。

 そこにはきっと、娘たちの歩幅に合わせて歩く、あの大きな背中があるはずだ。


 誰かの存在を頭の片隅に置きながら、小さな土産を選ぶ。

 そんな、ありふれた幸福を知ることになるとは。


 ベルローズはその心の変化に、無意識に唇を綻ばせながら、包みを胸元へとそっと抱き寄せた。

 胸の奥に灯った、確かな温もりを抱いたまま。

 魔女は、春の夜風の中を歩き続けていく。

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