↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣と魔女の箱庭 ~愛を知った幻獣は、案外しつこい。~  作者: 彩羽やよい
第5章:祝祭の季節

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/81

第33話:芽吹きの誘い ―知らない世界を、見てみたい―

 禁忌の森に、若葉の香りが色濃く漂い始めた頃。

 エマは、ベルローズから教わった薬学の復習を兼ねて、セレスティアのもとを訪れていた。


 ベルローズの許可を得て薬室へと入り、自作してきた薬液と、家のそばで摘んできた薬草の包みを広げる。

 摘みたてで青臭く、瑞々しい薬草の香りが広がった。

 セレスティアはその香りに鼻を動かしたあと、エマが作った薬液をしげしげと眺め、感嘆の声をあげた。


「すごいね、エマ。この間お母様に教わったばかりなのに。もう一人でこんなに、綺麗な色にできるなんて」


「丁寧に教えてもらえたお陰だよ。お父さんもびっくりしてた。ベルローズさんに教わったって言ったら、腰を抜かしそうになってたし。……っていうか、ちょっと抜けてたかも?」


 エマは少し誇らしげに笑うと、机の上に広げていた薬草を束にしてまとめ始めた。

 その軽口に、セレスティアも思わず笑みを零す。

 エマは何気なく、窓の外に広がる深い森の先へと視線を向け、セレスティアに声をかけた。


「そういえばね、セレスティア。もうすぐ森の外の町で『芽吹き祭り』があるんだよ。私が住んでる集落から、ちょっと行ったところ」


「めぶき……、まつり?」


 初めて聞く響きに、セレスティアが小首を傾げる。

 獣の耳が、興味深そうにエマの方へと向けられた。


「うん。冬の終わりを祝って、これから始まる農作業とか森の恵みに感謝する、一番大きな、生活の祭なの」


 屋台が出て、焼き菓子や蜂蜜酒、香草入りの肉串、春野菜のスープなどが並ぶこと。

 たくさんの布や小さな工芸品などが売られ、夜には小さな灯りを水辺へ浮かべる習わしもあること。

 特別な神を祀るわけではないが、皆で美味しいものを食べたり、歌ったり、踊ったりすること。

 エマの語る祭りの情景は、セレスティアにとってお伽話よりも未知で、鮮やかなものだった。


「焼き菓子って、どんな味?」


「蜂蜜や木の実を使っててね、甘いんだよ。あと、焼きたては外がさくっとしてて。食べてみるのがいちばん早いんだけど」


「甘くて、さくさく……」


 セレスティアの尾が、左右に大きく揺れる。

 森の向こうに、自分たちと同じように春を喜び、誰かと笑い合う人々が無数に存在するという事実。

 それが単なる知識ではなく、確かな熱を持った生活の一部として語られる。

 セレスティアの胸の中で、小さな鼓動が速まった。


「屋台に、焼き菓子かぁ……。私、行ってみたいな」


 思わず零れた、その一言。

 セレスティアの耳が、わくわくとした期待で、細かく震える。

 それに合わせて、尾も好奇心を隠し切れずに、ぱたぱたと足を叩いた。


「いいじゃない、来たらいいよ!」


 エマは、手放しで喜んだ。

 だが、セレスティアは口にした直後、自分が何を望んだのかを理解して、微かに息を呑んだ。


 森の外縁でエマと会うのとも、エマをこうして城へ招くのとも、わけが違う。

 人々の熱気が渦巻く町へ、自分たちの足で踏み込むということ。


 自分と父が持つ、獣の耳や尾。母の頭上に聳える、誇らしい角。

 精霊であり、姿かたちは人間に似ていても、どこか浮世離れした雰囲気を放つ、ピピやアマンダ。


 人間が恐れ、忌避し、時に排除しようとする対象。

 その自覚が、セレスティアの心に冷たい不安を投げかける。

 楽しいはずの空想の隣に、拒絶されることへの怯えが、鎌首をもたげるようにして現れていた。

 けれど、己の中に生まれた渇望を抑え込むことは、もうできそうにない。


「……私、相談してみるよ。お祭りに行ってみたい、って」


 セレスティアがそう言うと、エマはぱっと顔を明るくした。


「うん! 絶対そのほうがいいよ。セレスティアが行きたいって思ったこと、伝えたほうがいいと思うな」


 その言葉を胸にしまって、セレスティアは小さく笑った。

 やがて薬学の復習を終え、エマを送る頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。


 夕食の席についたセレスティアは、口を開きかけては閉じた。

 エマに背中を押された言葉が、胸の奥で何度も形を変えている。


 けれどなんとか勇気を振り絞って「祭りに参加したい」と切り出した直後。

 大広間の食卓には、いつにも増して沈黙が流れていた。


「わざわざ人間の群れに混ざる必要が、どこにあんだ」


 ルシアンの声は抑えられているが、その奥には抜き身の刃のような、鋭利な拒絶が含まれていた。

 彼にとって人間とは、不確かで残酷な生き物だ。


 祭りとなれば、普段より人の熱も浮つき、酔った者や、不用意に近づく者もいるだろう。

 彼らの集う場所は、匂いも音も、不純な感情も、あまりに多すぎる。

 大切な娘をそんな混沌の中に晒すなど、彼の本能が許さなかった。


「危なすぎる。……浮ついた連中に、お前を近づけたくねぇ」


「でもお父様。エマが言っていたの。みんなが春を喜ぶための、温かいお祭りなんだって」


「それは、あいつらにとっての話だろ。俺たちみたいなのが紛れ込めば、どうなるかわかったもんじゃねぇ」


 ルシアンの言葉に、セレスティアは俯いた。

 父の経験に裏付けされた、言い返せない重みが、そこにはあった。

 すると、それまで黙っていたピピが、深い溜息をつきながら口を開いた。


「……ま、そうなるよね。でもルシアン、セレスティア様がこれだけ真剣なんだ。もし『行く』となった時の算段くらいは立てておかないと」


 ピピは実務的な思考へ即座に切り替え、指を折って数え始めた。

 町までの最短経路、混雑する時間を避けた帰着時刻。

 目立たない外套の用意、それから万が一の時の集合場所。


「それと、もちろん多少の現金も必要だよね。無計画で突っ込むのは論外。準備は完璧にしないと」


 ピピにとっての外界は、警戒すべき要素の集積地だ。

 管理しきれない場所を嫌う彼らしい、潔癖なまでの準備だった。


「祭り……。森の花が、一斉に開く時期に似ていますね」


 アマンダは穏やかに、琥珀色の瞳をセレスティアへ向けた。


「わたしは、町で売られる花の種や、外の畑で育つ薬草の苗を見てみたいです。きっと、ここの土とは違う歌を歌っているはずですから」


 アマンダの言葉には、他者への恐怖よりも、生命の揺らぎに対する純粋な好奇心が溢れていた。


 一同の議論を静かに聞いていたベルローズが、ゆったりと椅子に背を預けた。

 かつて王都で過ごした日々の記憶が、冷えた硝子越しの景色のように、彼女の脳裏を掠める。


 熱狂する民衆の視線。角を隠すための重苦しい飾り。

 白いドレスの、締め付けられるような窒息感。

 あの日々の人ごみは、自分を完成された道具として、見世物として展示するための舞台でしかなかった。


「……セレスティア」


 有無を言わせぬ響きに、セレスティアが顔を上げた。

 母の深紅の瞳が、こちらを見据えている。


「あなたは、ただ祭りを見たいの? それとも、人の中に立つ自分を確かめたいの?」


 セレスティアは、言葉に詰まった。

 胸の奥にある、もどかしいほどの衝動を辿る。


 なぜ、これほどまでに町へ行きたいと思うのか。

 エマの暮らす世界や、その外側を知りたいと願うのは本当だ。

 けれど、それ以上に。


「……たぶん、どっちもかな」


 自分が何者なのかを隠して生きていくだけではなく、外の人たちが何を喜び、どんな顔で明日を待っているのかを知りたい。

 そして、その中に自分が立っているところを見てみたい。


 その言葉はまだ幼く、危ういものだった。

 それでも、その瞳に宿る光は、かつてのベルローズが抱くことのなかった意志を伴っている。


 誰かに強いられた場所ではなく、自らの意志で一歩外へ踏み出そうとする、確かな勇気。

 ベルローズはしばらく沈黙し、ルシアンの厳しい視線を受け止めた後、静かに唇を開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。