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幻獣と魔女の箱庭 ~愛を知った幻獣は、案外しつこい。~  作者: 彩羽やよい
第1章:新たな鼓動

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第1話:蒼角の胎動 ―魔女だけが知った秘密―

「……また、勝手に入ってきたの?」


「なんだよ、今更だろ」


 大きな戦いを終えてから、季節はひと巡りしていた。

 瑞々しい蔦が石壁に這い上がる、初夏の城。

 静寂を破ったのは、遠慮のない足音。

 そして、ノックを半分も終えないうちに開かれた扉の音だ。


 私室にて、執務机に向かっていた魔女ベルローズは、ペンを走らせる手を止めた。

 頭部に伸びた、漆黒の双角。

 その片側の一部分だけは、まるでサファイアのように蒼く結晶化し、森の光を浴びて輝きを放っていた。


「あのね。ノックくらい、最後までしたらどうなの?」


 漆黒の髪を耳へと掛けなおしながら、彼女は呆れたような声を漏らす。

 顔を上げる必要はない。

 その足音の重さと、微かに漂う冬の朝のような匂いで、誰であるかは明白だった。


「してるだけましだろ? 追い返す気もねぇくせに」


 人間の姿ながら、濃藍色の、狼を思わせる獣の耳と尾を揺らした青年。

 彼は悪びれる様子もなく部屋の奥へと進み、当然といったように窓辺の縁に腰を預けた。


 サファイアブルーの瞳で彼女を見つめる、蒼き幻獣、ルシアン。

 逆光の中に浮かび上がる、ベルローズよりも頭ひとつは高い、彼のしなやかな長身。

 その姿は、かつての荒々しさを残しつつも、どこか深く落ち着いた静けさを湛えている。

 ベルローズとの深い繋がりを示す紫の薔薇のチョーカーが、今日も彼の首元に誇らしげに咲いていた。


「……はぁ。ずいぶん行儀の悪い獣を拾ったものだわ」


「そんなに利口には(しつ)けられてねぇからな。変えるつもりもねぇよ」


「あら。それなら、今からでもきちんと躾けてほしいということかしら?」


 ベルローズは意地悪く、唇の端を持ち上げて問い返す。

 ルシアンはまっすぐに彼女の瞳を見つめると、微かに微笑んだ。


「あんたになら、構わねぇよ」


 不意打ちされた肯定に、ベルローズは言葉を詰まらせた。

 誤魔化すように、深紅の瞳を羊皮紙へと戻す。

 ルシアンはそんな彼女の姿を見つめ、満足気に尾をゆったりと振ってみせた。

 

 そこへ、丁寧なノックと共に、少年の明朗な声が響く。


「失礼いたします! ベルローズ様、ルシアンは来ていますか?」


「……ええ。いるわよ」


「やっぱり。ちょっとルシアン! またベルローズ様の部屋で油売ってるの!?」


 扉が開き、城に仕える石の精霊、ピピがなだれ込んできた。

 常に整えられているはずの銀髪は乱れ、瞳が苛立ちから鋭く尖っている。

 彼は魔力を帯びた補修用の触媒を手に、眉間に深い皺を寄せていた。


「別に油売ってるわけじゃねぇよ。休憩中だ」


「休憩が長すぎるんだよ。こっちは北側の壁三枚分を一人で繋ぎ直したんだぞ!? 少しは手伝えよ、怠け者め!」


「あぁ、うるせぇ……。後で行ってやるから喚くな」


 怒鳴り散らすピピと、耳を伏せつつ適当に受け流すルシアン。

 そのやり取りを眺めながら、ベルローズはふっと頬を緩めた。


 ピピは、内心でぼやいているに違いない。

『こんな風に他人を平気で部屋に入れるなんて、ベルローズ様なら許さなかったのに』と。


 実際、以前の彼女であれば、断りもなく入室してくる者など、即座に焼き払っていただろう。

 自らの聖域を汚す、不届き者として。 

 だが今ではこうした騒がしい日常が、壊れかけた城を繋ぎ止める何よりの(くさび)になっている。


「もう、ほんとにあとで来てよね。次は中庭の石畳の補修に行くから。君の訓練場の近くなんだから、絶対手伝ってよ!」


「わかったわかった」


 ピピが一通り愚痴を零し終えて、退室しようとするのを見送ったルシアンは、窓辺から立ち上がり、ベルローズの傍へと向かう。

 ピピはちらりとそれを視界の端に認めると、扉を閉めると見せかけて振り返る。

 そして、灰色の瞳をすっと細めてルシアンを見た。


「……絶対だよ?」


「わかってるよ、先行っとけって」


 ピピが、揶揄(やゆ)を含んだ微笑を浮かべて今度こそ去り、部屋には再び柔らかな静寂が戻る。

 ルシアンは苦笑しながら、少し冷たい指先で、ベルローズの頭上に(そび)える蒼角に触れた。


 角に刻まれた蒼い結晶は、彼女の魔力暴走を命がけで止めたルシアンの、魔力の痕跡だ。

 こうして彼の魔力を受け取ってから、ベルローズの魔力の出力は、劇的に安定した。


 それでも長時間の集中を続けると、どうしても角が過剰な熱を持つ。

 その熱を、ルシアンの蒼い氷の魔力だけが、優しく冷やしているのだった。


「無理する前に、俺を呼べって言ってるだろ?」


「平気よ。これくらい、以前の熱に比べればお遊びのようなものだわ」


「……平気そうな顔してねぇんだよ。強情なやつだな」


 触れられた場所から、吸い込まれるような清涼感が広がっていく。

 ベルローズが彼にこうして触れさせるのは、もう「必要だから」ではない。

 その指先から伝わる絶対的な肯定と安堵に、ただ甘えたいだけなのだ。

 彼女は小さく吐息をつき、視線を伏せた。


「……ありがとう」


 消え入りそうな謝辞に、ルシアンは何も答えない。

 ただ愛おしそうに、その蒼い結晶を指先でなぞり続けた。

 

 そして、仕上げといったように角に唇を寄せ、彼女の髪の香りを確かめながら離れていく。

 ルシアンにとっても、この触れ合いは、愛しい(つがい)の無事を確認する儀式のようなものだった。


 ◆


 その日の夜。

 ルシアンが寝台で深い眠りについている傍ら、ベルローズは一人、月明かりの差し込むテラスへ出ていた。

 夜の風はまだ少し冷たいが、心地よい。


 いつからだっただろうか。

 ルシアンが夜更けに音もなくベルローズの部屋を訪れ、当然のように隣で眠りにつくことを、城の誰もが咎めなくなったのは。


 ピピなど始めのうちは、ルシアンが朝ベルローズの寝室から出てくるたびに「このけだものめ」と言わんばかりの表情で睨みつけていた。


 ベルローズが望んで彼を受け入れているのは、わかっている。

 それでもピピとしては敬愛すべき、自分を生み出した主を咎めるわけにもいかず、ついルシアンを責め立てたものだ。


 ベルローズにとって、彼の低い呼吸音が隣にない夜のほうが、今では落ち着かない。

 その事実を認めるたびに、彼女は自分がいかにこの獣に(ほだ)されてしまったかを思い知り、内心で小さく溜息をつくのだった。


 ふと、頭上の蒼角が微かに脈動した。ベルローズの眉が、僅かに動く。

 自分の内側にある魔力の源泉に近い場所で、ごく微弱ながら、力強い揺らぎが起きた。

 魔力の海に、知らない波紋が混ざっている。


(……ルシアン? ……いえ、彼の魔力ではあるのだけれど、これは……?)


 それは、鼓動にも似ていた。

 あるいは、生まれたばかりの小さな生き物の、最初の呼吸にも。


 ベルローズは、自分の体内にある異質な魔力の存在を、静かに感じ取る。

 彼女自身の紅い魔力でも、ルシアンの蒼い魔力でもない。

 二つの魂が分かちがたく結びついた結果、新しく芽吹いたなにか。


 彼女は、そっと自らの腹部へ手を当てた。

 蒼角がそれに呼応するように、サファイアの光を小さく、等間隔に発光させる。


「……そう」


 誰にも聞こえない、秘め事のような呟き。

 恐怖や混乱はなかった。

 あるのは穏やかで絶対的な、ただの納得だ。


「そういうことなのね。……あなたは、そこにいるのね」


 ベルローズの唇が、柔らかな弧を描く。

 かつて孤独を愛した魔女のなかに、世界で最も不確かで、仄かな希望が宿っていた。

 彼女はルシアンの眠る寝台を振り返り、彼に慈しむような眼差しを向ける。


 新しい命の鼓動が、初夏の夜に静かに響いていた。

 寝台では、何も知らない幻獣が、穏やかな寝息を立てている。

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