思い出の中の彼女の笑顔
瞳を閉じると瞼の裏には必ず、あの頃の彼女の笑顔が思い浮かぶ。これが彼女の呪いであるのなら、なんて甘美な呪いだろうか。そう思えるほど僕は彼女がいとおしかった。まぁ、そう思っていたのは僕だけ、だろうけど。
「おい、呉井」
ぼんやりと桜の花弁が舞い踊る景色を眺めていると、ふいに名を呼ばれ、ふり返る。そこには、あきれた表情を浮かべた友人が立っていた。
「遅いじゃないか、乾」
「遅いじゃないか、じゃねぇよ。この変態野郎」
それが出会い頭に言うセリフか。
「乾に言われたくないね」
「また性懲りも無く佐倉のこと覗いてたくせに。この変態野郎」
はい、二回目。
「ほっといてくれ」
「お前も毎度毎度飽きないやつだな。佐倉と出会って、もうだいぶ経つだろ? ゾッとするよ」
そう言うと乾はまた顔をしかめて、肩を竦めた。
――佐倉 菜乃花。
この世で最も愛おしい女性の名だ。
彼女以外を愛したことのない僕にとって、比べるまでもないが、僕の気持ちをより伝えるためにあえて言おう。
彼女は世界で一番愛おしい、と。
そんな彼女に想いを伝えることは、僕にとって至極当然の行いだった。
高校時代は、2ヶ月に1度のペースで――クリスマスやバレンタインといった何かのイベントに便乗して――彼女に告白をしていた。それを3年間続けたが、彼女が首を縦に振ることは無かった。高校を卒業すると彼女は逃げるように女子大へ進学した。が、それでも懲りずに告白を続け、今に至る。
今日も彼女が通う大学の正門前で彼女を待ち伏せしていると彼女から電話がかかってきた。
「もしもし!」
『わたしだけと』
もちろん、わかっている。
「ああ、今ね」
『校門にいるんでしょ? 毎度毎度飽きずにご苦労なことで』
「今日、一緒に帰らない? 話があるんだ」
『悪いけど、その話聞く気ないから』
「そう言わずに。なんなら今からそっちにいっても僕は構わないんだけど」
『ほんっと、そういう所悪質よね。あんた』
「そんなに褒めないでくれ」
『褒めてない。……わかった。駅前のファミレスに30分後。ただし、あんた一人で来ないで』
「わかってるよ、今日は乾と一緒だからそのまま連れて行くよ」
『ええ、よろしく』
そういうと彼女は、すぐに切ってしまった。
耳にはプー、プー、プーと無機質な電子音しか届かない。
思わず、ため息をこぼす様を隣で見ていた乾が「滑稽だよ、まったく」と楽しげに話した。
「乾にも、その内わかるよ」
「ストーカーの気持ちが?」
失礼だな。
「あ、そうだ。お前にはもう少し付き合ってもらうけど」
「ああ。毎度毎度ご苦労だな。今度はどこが舞台だ?」
「駅前のファミレス」
そう答えるとまた嬉しそうに笑ってから「楽しみだ」と零した。
◆ ◆ ◆
僕たちがファミレスに着くと、どうやって追い越したのか、既に佐倉が席に座っていた。
「ごめん、遅れた」
「時間通りよ。それより、乾君はまたなんで爆笑?」
「さぁ?」
首をひねると乾は笑い声の合間に「この光景に、だよ」と苦しそうに絞り出した。
「光景? 毎度さして変わらないと思うけど」
「毎度変わらないから面白いんだよ」
苦しそうに絞り出した台詞に僕は納得がいかない。
「毎度変わらない光景とは限らないだろ」
「限るだろ。お前みたいな変態に何年もストーカーされてるのに、今更『はい、是非、お付き合い致しましょう』とはならないだろ」
浪漫のない奴はこれだから困る。
「……もしかして、乾君に話してないの?」
「なに、なに? なんのこと?」
面白うな話題だと判断したのか、乾の瞳が爛々と輝きだす。
「ああ、話してないよ。だって僕の思い出の君をなんでこんな奴に話さないといけないの?」
思い出すだけで酔いしれる。
思い出の中の彼女もいつだって愛おしい。
過去現在未来の彼女を愛すると誓おう。
「そういう所がダメなんだってば」
そんな僕を見透かすよう、彼女は苦笑しながら「実は」と話し始めた。
「私たち、中学から一緒だったんだけど、その頃付き合ってたんだよね」
「嘘だろ?!」
「ホント。しかも、私から告白して、呉井君が折れて付き合ったの」
そういえば、スタートはそうだったかもしれない。
「あの頃の私って頭ん中のネジが錆びてて、うまく考えられなかったんだよね」
彼女は照れるように少し俯いた。
「どういうこと?」
乾が混乱している中、聞き返す。
「まぁ、若かったんだと思う。今の呉井君を作り出した諸悪の根源、ってことかな?」
そう言うと佐倉は照れ臭そうに微笑んだ。
そ、その、微笑みたるや!
天使だろうか。
いや、天使よりも神々しい。
なんて素敵なんだ。
「うそ、だろ? “クレイジー”だけかと思ってたら、佐倉もかよ」
「“クレイジー”?」
佐倉が頭を少し傾げた。
「呉井 純太。略してクレイジー」
そんなあだ名があったなんて。
「言い得てるわね」
佐倉がしっかり頷いた。
「俺からしてみれば呉井も佐倉も同じくらい“クレジー”だけどな。なんで、別れたんだよ。お似合いじゃねぇか」
「あのね、乾君。私たちがそのまま付き合ってたとして、行く末はどこだと思う?」
そんなの天国に決まっている。
「……まぁ、地獄だわな」
「でしょ? 抱えきれない闇がふたり分だよ? 無理でしょ。ってことで、呉井君。無理だから」
まだ告白さえしていないのに。
「残念だった、呉井。さ、恒例行事も終わったことだし、飲みに行くか」
乾はテーブルにあった伝票を引き抜くと「先に出てて」と俺たちを外へ促す。彼女は「ご馳走してくれるの?」と言いつつ、財布からお金を取り出そうとしていたので、僕がふたり分のお金をすぐに乾へ渡す。その際小さな声で「一服してから向かうから、その間に、まぁ、頑張れよ」と一応はチャンスをくれたらしい友人に感謝を述べ、彼女を外へ連れ出す。
きっと彼女はいつもの如く、少し困った顔で、それでいて頬を少し紅く染めながら「ごめん、なさい」と消え入る声でまた僕を拒絶するんだろうな。
でも、僕は知っている。
彼女は、悲劇のヒロインに酔いしれたいんだ。
僕は彼女が求めるのであれば、なんだってする。
そんな彼女を受け入れられるのは、僕だけだ。
彼女もそれを知っているからこそ、この届きそうで届かない距離感に居てくれるのだ。
暫くは、思い出の中の彼女のあの笑顔だけを想うのだろう。
目を閉じるとそこは、中学生時代の彼女が甘い微笑みを浮かべ、僕の方へ手を伸ばしていた。その手を掴むと僕はなんだってできた。最強になれた。
彼女が、僕の全てだ。
「呉井君? どうかしたの? 目閉じて。具合、悪い?」
大学生の彼女は、少し困った顔で僕の頬へ手を伸ばした。
触れる瞬間、心臓が馬鹿みたいに暴れだした。思い出の中の彼女の笑顔と今目の前にいる彼女の笑顔が重なってみえた。
僕は、ただ、君が好きなんだ。
「いや、悪い。ぼんやりしてた」
――ただ、それだけなのに。
君はなんて残酷なんだろう。
彼女は微笑んで「そう?」と言うや、僕から少し距離を置いた。
僕が縋らなければ、他の男の所へだっていける羽根を持つ残酷な僕の天使。
思い出の中の彼女に縋りたい。
でも、目を閉じることは出来ない。
ストーカーは立派な犯罪です。呉井君は犯罪者です。クソ野郎です。こんなやつに感化されるなどありえはしませんが、念のためご忠告と暴言を。なぜ彼が捕まらないのかというと、これが小説だからです。フィクションです。なんなら伊咲の頭ん中で起きてるだけですので。みなさん。『なにをいまさら』と思われるでしょうが、お聞きください。こちらは、物語であり、現実には存在しない人物・建物・役職などが登場しております。
なんてね。




