第4話『閉ざされたドアと決死の壁ドン』
「ドタバタッ! ゴトンッ!!」
昼下がり、三階にある茂の書斎から、まるで家具でもなぎ倒しているかのような激しい物音が響いてきた。
リビングのソファで寛いでコーヒーを飲んでいたみどりは、眉をひそめて天井を見上げる。
(なによ……さっきから茂くんの部屋、やけに騒がしいわね。また本棚の整理でもしてドジ踏んでるのかしら?)
その頃、三階の書斎では――茂が滝のような汗を流しながら絶望の渦中にいた。
「み、翠さんっ! そっちへ行っちゃダメです! あああっ、本棚の裏はホコリが……っ!」
第3話の深夜、鍵が緩んでいたケージからまんまと脱出した愛するグリーンイグアナ・翠さん。幸いにも部屋のドアはしっかり閉まっていたため家全体への脱走という最悪の事態は免れたものの、本棚やデスクが乱立する広大な書斎は、翠さんにとって格好のジャングルと化していた。
体長一メートル弱の巨体が素早く壁や家具の隙間を駆け回るたび、盛大な音が鳴り響く。
「頼みますから静かに……っ! 階下のみどりさんにバレたら、僕も翠さんも終わりなんです……っ! 保健所に連絡されたらどうするんですか……っ!」
メガネを何度も掛け直しながら、四つん回りになって必死に追いかける茂。……その時、デスクの上で電源が入りっぱなしになっているパソコンの画面が目に入った。
画面には、日頃の成長記録として保存している翠さんの写真フォルダが開いたままだ。
(やばい、後で作業しようと思って開けっぱなしだった……! 閉じなきゃ……っ!)
茂が焦ってデスク上のパソコンへ手を伸ばしようとした、まさにその瞬間。
ガチャリと、静かな音を立ててドアノブが回った。
「ちょっと茂くん、さっきから何バタバタ騒いで――」
「ひゃあぁぁぁっ!?」
ノックもなしにみどりが部屋へと侵入してくる。茂は裏返った悲鳴を上げながら、咄嗟に近くの床に転がっていた巨大なクッションを抱え込み、足元にいた翠さんを力ずくで覆い隠した。
あまりにも常軌を逸した動揺ぶりと、顔を真っ赤にして挙動不審になる茂。そして、部屋に入った瞬間に視界に入ったパソコンのモニタ画面。
みどりの目が「ははーん」と意地の悪い光を帯び始めた。
(なによその慌てよう……。男が休日の昼間に部屋に閉じこもって、ノックなしで入られてそこまで焦る理由なんて……ひとつしかないじゃない!)
みどりはニヤニヤとニヒルな笑みを浮かべ、腕を組んでジリジリとデスクへ距離を詰めていく。
「ふ~ん? 茂くん、何やってたのかな~? お姉さんに言ってごらん?」
「な、なんでもありませんっ! 書類の整理をしていただけで……! とにかく今すぐ出ていってくださいっ!」
「ダメ~! 怪しすぎる! どうせまた何か隠してるんでしょ? ほら、パソコン画面消そうとしてたじゃない!」
からかいながら歩を進め、みどりはデスクの上のモニタを覗き込んだ。そこに並ぶ、怪しすぎるフォルダ名の数々――
『脱ぎたて』
『入浴』
『ごちそうをおねだり』
『しっぽでおしおき』
(ッ~~~!?!? ぬ、脱ぎたて!? 入浴ぅぅぅっ!? おねだりにおしおきって、あんた一体どこでそんな危険な動画買ってきたのよーーーっ!?)
※みどりの脳内:夫が怪しいマニア向けのアダルト動画を大量にコレクションしている。
※実際の写真:翠さん(イグアナ)の脱皮直後の綺麗な皮膚の記録、たらいで気持ちよさそうに水浴びする姿、好物の葉っぱをおねだりする顔、尻尾を振った瞬間の写真。
「ふ~ん? 『脱ぎたて』ねぇ……? 茂くんって、意外とそういうマニアックな趣味があったのね。どれどれ、ちょっとお姉さんにも見せてごらん?」
みどりがニヤつきながら、右手を伸ばしてマウスをクリックしようとした――その瞬間!
(開かれたら翠さんの写真で一発アウトだーーーッ!! イグアナを飼っていることがバレる!!)
「みどりさんっ!!」
「キャッ!?」
ガバッと前に踏み出した茂は、マウスに向かっていたみどりの右手を自分の左手で強引に掴み取ると、そのまま壁へと勢いよく押し付けた!
ドカンッ!
みどりの右手を彼女の顔の横の壁にガッチリと固定するように打たれた、必死の壁ドン。逃げ場を完全に塞がれ、二人の距離が一気にゼロになる。
「……え?」
みどりは目を見開いた。
目の前には、メガネの奥の瞳をこれまでにないほど真剣に、実直に光らせた茂の顔。息がかかるほどの至近距離。手首を掴む力は驚くほど強く男らしい熱を帯びており、腕を固められた拘束感がみどもの身体を硬直させる。
(えっ……な、なに……!? ほんとに見られたくなくて……そんなに本気になっちゃったの……!?)
図星を突かれて必死に力ずくで止めてきた(としか思えない)茂の圧倒的な迫力に、みどりの顔が一瞬で熟したトマトのように真っ赤になった。ドックン、ドックンと心臓が破裂しそうなほど跳ね上がり、パニックで視線が泳ぎまくる。
(ウソ……冗談でちょっとからかっただけなのに……こんな、男の顔になっちゃって……っ)
あまりの距離の近さと茂の真剣な眼差しに頭が真っ白になりかけるみどり。
そんなみどりを見つめながら、茂はどこまでも切実に、真面目なトーンで言い放った。
「みどりさん……男には、大切な人には見られたくないものの一つや二つ、あるんです……っ!」
自分の秘密を守るためにここまで必死になり、なおかつ真っ直ぐな瞳で男らしく迫られたことで、みどりの照れと困惑は完全に限界突破した。
「わ、わかったわよ! わかったから離してっ!!」
パニックになったみどりは、空いていた左手を振りかざすと茂の頬へ、バシィィンッと快音を響かせてビンタを叩き込んだ!
「ぶはっ……!?」
「茂くんの変態! スケベ! むっつりメガネーーーッ!!」
顔を真っ赤にしたまま叫び、逃げるように部屋を飛び出していくみどり。
静まり返った書斎。
足元では、クッションの陰からそっと顔を出した翠さんが、何事もなかったかのようにのそのそと歩き出し、自らケージの中へと戻っていった。
「ふぅ……変態だと思われただろうけど、翠さんを飼っていることがバレるよりはマシか……」
赤くなった頬を撫でながら、茂は深々と胸をなでおろし、安息のため息をつくのだった。
◇
一方、階段を転げ落ちる勢いで駆け下りたみどりが直行したのは、一階のガレージだった。
重い扉を叩きつけるように閉め、鍵をかける。
「ハぁ……ハぁ……っ!」
心臓がバクバクと暴れ出し、火照った頬は一向に冷める気配がない。みどりはそのままガレージの奥へと向かい、専用のクッションで丸くなっていた愛猫・蓮くんを両手で抱き上げた。
「んみゃ?」
「蓮くーーーんっ!!」
「ふぎゃっ!?」
みどりは蓮くんを胸ぎゅっと抱きしめ、ふわふわの毛並みに顔を埋めてすりすりと激しく頬を擦りつけた。
「蓮くん聞いてよぉぉ……っ! 茂くんが……茂くんがね……っ! めっちゃくちゃカッコよかったのおぉぉぉ……っ!!」
「ニャ、ニャー……(潰れる……)」
「あんな真剣な顔、初めて見たわよ……っ! なになによもう! 意味分かんない! 迫力すごすぎでしょバカ茂……っ!」
耳まで真っ赤に染めたみどりは、蓮くんを抱えたまま床にゴロゴロと転がり、足をバタつかせて悶絶した。
「それに……それにね……っ! 私、調子に乗って自分の事『お姉さん』とか言っちゃったのよ……っ!? うわあああ恥ずかしいっ! 思い出すだけで死にそう!!」
蓮くんは「やれやれ」と言わんばかりにジト目を向けつつも、みどもの腕の中で諦めたように身を委ねている。
みどりは蓮くんの頭に顎を乗せ、天井を見上げて深々とため息をついた。
「どうしよう蓮くん……。明日から、どんな顔して茂くんと会えばいいのよー……っ!」
茂がエッチな動画を隠していたというショックよりも、目の前で突きつけられた「男の顔」の破壊力に完敗し、みどりの夜は更けていくのだった。
こうして、みどりの中に「茂=スケベな隠し事がある」という強烈な誤解と、予期せぬときめきが刻み込まれたのだった――。




