第3話『魅惑のスイーツと加速する妻』
「みどりさん! 今日の出張のお土産に、行列ができると話題の特製どら焼きを買ってきましたよ!」
夜、仕事から帰宅した茂が、ほくほく顔で紙袋をテーブルに置いた。
「また……!? ちょっと茂くん、昨日もデパ地下で高級フィナンシェ買ってきたでしょ!?」
リビングで体重計から降りたばかりのみどりが、鬼の形相で詰め寄る。
「だって、お店のポップに『甘党絶賛』と書いてあって、みどりさんの喜ぶ顔が浮かんだので……。あ、このお店、創業百年の伝統的な製法で――」
「理屈はいいの!! あんたね、先週も出張土産だってプリンとか洋梨のタルトとか大量に買ってきて……おかげで私、ちょっとふっくらしてきたじゃない!!」
「そんなことありませんよ! みどりさんはいつだって世界一可愛いです!」
「そういう問題じゃないの! これ以上あんたが甘いもの買って来たらねぇ……デブが加速するでしょーーーっ!!」
「デブのハードルはそんなに低くありません!! 僕の厳密なBMI計算と視覚的データに基づけば、みどりさんは理想的な体型を完璧に維持されています……っ!」
「うるさーい! 茂くんの難しいデータなんて聞いてない! 物理的に体が重くなってきてるの!!」
言いきるか言い終わらないかの絶妙なタイミングで、みどりはハッと目を丸くし、食い気味に紙袋へ視線を落とした。
「……ていうか、もしかしてそれって……生クリームのやつ……!?」
「あっ、はい! 先月テレビで見かけた時に『生クリームたっぷりのどら焼きが食べたい』っておっしゃっていたのを覚えていたので!」
一瞬で怒り顔から興味津々な顔へと変わり、目が輝き出す。
(うぐぐ……! 覚えてたんだ……! 生クリームどら焼きなんて絶対美味しいに決まってる……! でもダメ、今夜は絶対我慢する……!)
「ふ、ふんっ! 私はいらないからね! あんたが全部食べなさい!」
葛藤を隠すようにプンプンと肩を怒らせて三階へ上がっていくみどり。茂は困惑しながら「冷やしておいた方が美味しいかな……」と冷蔵庫にどら焼きを仕舞った。
深夜一時。
静まり返ったリビングに、忍び足で降りてくる影があった。みどりだ。
(……はぁ、お腹すいた。茂くんのバカ……あんな美味しそうなの買ってくるから……。見るだけ……見るだけだからね……!)
息を殺して冷蔵庫を開け、どら焼きを取り出す。甘い小豆と濃厚なクリームの香りが鼻腔をくすぐる。
(……一口。一口だけならセーフよね……?)
パクリ。
「〜〜〜〜っっ♡♡(頬がとろける)」
(なにこれ美味しいーーーっ!! クリーミーなのに重くなくて、小豆が上品で……最高……っ!)
夢中になって一口、また一口と食べ進め、あっという間に完食。
「ふはぁ……美味しかった……♡ やっぱり茂くんの買って来るお土産にハズレはないわね……」
満足げにお腹をさするみどり。……その時、一階のガレージの扉から『カリカリカリ……』と、蓮くんが小腹を空かせてドアを引っかく音がかすかに聞こえた。
(ヒッ……!? 蓮くん、この甘い匂いに釣られて起きちゃった!? 茂くんに気づかれたらヤバい……!)
焦るみどりの背後に、そっと忍び寄る影があった。
「……みどりさん?」
「ひゃいっ!!??(跳び上がる)」
振り返ると、喉が乾いて二階から降りてきた茂が、メガネの奥の目を丸くして立っていた。
「あ……えと……これは……その……っ!」
みどりの口元には、バッチリ白い生クリームがついている。
みどりは真っ赤になってパニックに陥り、咄嗟に両手で口元を隠して叫んだ。
「ち、違うの! これは生クリームが痛んでないか確かめたの! 茂くんはお腹が弱いんだから、私がおねえさんとして毒味してあげただけよ!!」
冷や汗をダラダラと流しながら必死に言い訳するみどりの姿に、茂の胸の奥で(可愛い……っ!!)と大爆発が起きた。
「みどりさん……っ! 僕のお腹の心配をして、深夜にわざわざ食べてくれたんですね……っ! 僕、みどりさんのそういう優しいところが本当に大好――」
「言い訳を聞けーーーっ!!」
バシィィィンッ!!
「ぶはっ……!?」
安定のフルスイング平手打ちで一回転して吹き飛ぶ茂。
「明日から絶対ダイエットだからね!!」
顔を真っ赤にして叫び、階段へ向かって走り出すみどり。しかし、階段の二段目に足をかけたところで急に足を止め、背けた顔のまま蚊の泣くような声でボソッと呟いた。
「……今度は、この店のいちご大福食べたい……」
「え?」
「なんでもないーーーっ!!」
ドタドタドタッ!と猛烈な足音を立てて二階へ駆け上がっていくみどり。
静まり返ったリビングで床に倒れたまま、茂は赤くなった頬を幸せそうに撫で下ろした。
……だが、そのふたりのドタバタ劇を聴いている影があった。
三階の書斎で夜行性のイグアナ・翠さんが静かに舌をチラチラと出し、無表情でケージの扉に手をかけた。鍵が、少しだけ開いていたのだ。




