↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/36

第34話『2人の傷心と殺意の波動』

1階ガレージで愛猫・蓮(レン)くんから「歩くバイオハザード」扱いを受け、本気のシャーと威嚇を叩き込まれたみどり。

3階自室で愛トカゲ・翠(みどり)さんから怒りの尻尾叩きを喰らい、流木の隙間に頭を突っ込まれて拒絶された茂。

お互いに「愛する家族が未知の重病にかかったのではないか」という激しい不安と、それ以上に「最愛の存在に拒絶された」というこの世の終わりのような傷心を抱えたふたりは、重い足取りで同時にリビングへと足を踏み入れ、ドアの前で鉢合わせた。

ふたりの顔は等しく悲惨だった。目の下には漆黒のクマが刻まれ、魂が口から半分抜け落ちたような呆然とした表情を浮かべている。

「……何よその顔。朝から不気味なんだけど」

みどりが乾いた声で眉をひそめると、茂はズルリとズレ落ちたメガネを指先で押し上げ、深々と重い溜め息を吐き出した。

「貴方こそ、まるで『この世の全てから拒絶された』ような惨めな顔をしていますよ。……愛とは時に一方的で、あまりにも残酷なものです。どれほど深く慈しみ、言葉を重ねても、決して届かない絶望の朝というものが存在する……」

(……なっ!? 何コイツ、私がガレージで蓮くんに嫌われたの気づいて煽ってんの!?)

あまりにも図星すぎる言葉を突きつけられ、心臓が爆発しそうになったみどりは、慌ててポケットから取り出したブレスケアのタブレットを奥歯でガリガリと噛み砕いた。

「ハッ! 朝から意味不明なポエム吐いてんじゃないわよ! アンタこそ、女にフラれて身ぐるみ剥がされた男みたいな哀れな面して——」

勢いよく言いかけたみどりだったが、すれ違いざまに茂の口元から漂ってきた「圧倒的な異臭」に鼻をヒクつかせ、あからさまに目を見開いてのけぞった。

「……ちょっと、待って。アンタめちゃくちゃニンニク臭いんだけど!? 胃の底から毒ガス湧き出てない!?」

「失礼な! 貴方こそ、すき家のカルビ丼にネギとニンニクを限界までブチ込んで熟成させたようなドブの悪臭がしますよ!! 僕の繊細な鼻を破壊する気ですか!?」

「はあぁ!? あんたの昨夜の極上ハラミ&カルビニンニク激臭(笑)の方が胃から上がってきてて完全に兵器レベルよ!!」

朝のリビングで醜いニンニク臭のなすりつけ合いを繰り広げるふたり。しかし、お互いに「ニンニク」「悪臭」という単語を連呼したその瞬間——。

ふたりの脳裏に、雷が落ちたような衝撃的な閃光が走った。

(……ッ!? 蓮くんが暴れて逃げ出したの、重い病気じゃなくて……私のこの激臭ニンニクブレスのせい……!?)

(……ッ!? 翠さんがデュラップを全開にして威嚇してきたのは、僕の口臭が毒ガス兵器並みだったから……!?)

己の自爆というあまりにも残酷で、しかし安堵混じりの真実に辿り着いたふたりは、一瞬で顔面を蒼白にした。

みどりは無言のまま冷蔵庫へダッシュすると、紙パックの牛乳を握り締め、ダイレクトに喉奥へガブ飲みし始めた。茂もまた、ポケットからフリスクを取り出すと、手のひらに山盛りにしてそのまま口へ放り込む。

愛するペットが病気ではなかったという安堵感と、己の愚かさによる自爆だったという凄まじい羞恥心が、同時に押し寄せてくる。

牛乳を喉に流し込み、「ふぅ……っ」と荒い息を吐いたみどりに、フリスクをボリボリと噛み砕いた茂が、いつもの調子に乗った嫌味な笑みを浮かべて寄り添ってきた。自分が自爆した事実を隠し、気まずい空気を誤魔化すための余計な一言だった。

「ふっ……どうやら邪気に侵されていたのはお互い様のようですね。それにしてもみどりさん、そんなに黒いオーラを纏って……ふふ、ついに『右手の封印』でも解くつもりですか?」

みどりの「触れられたくない黒歴史」を意気揚々と突いた瞬間——。

リビングの空気が、ズシンと重く沈み込んだ。

エアコンの送風音すら消え失せたかのような重苦しい静寂。みどりの動きがピタリと止まり、ゆっくりと首が茂の方へと向けられる。

その両眸(りょうぼう)に宿っていたのは、感情の消えた闇——ではない。

奥底でギラリと蠢く、ドブ川の水面のような濁った殺意の鈍い光だった。

逃げ場のない捕食者の目が、獲物を捉えている。

さらに茂の目には、恐ろしい景色が映り始めていた。

ゆらり……と、みどりの全身から、往年のバトル漫画でしか見たことがないような粘度の高い禍々しい「気(オーラ)」が立ち昇っているように見えたのだ。リビングの背景に太い集中線が走り、空気が物理的に歪んで見える。

(……あ、やばい。踏んじゃいけない地雷を、両足で勢いよく踏み抜いた……!?)

茂の背筋に、氷水を直接流し込まれたかのような激痛に近い寒気が走る。目の前にいるのは、いつもの身勝手で扱いやすい同居人ではない。数々の腕相撲で自分の手首を容赦なく破壊してきた「魔界の絶対的暴君」だ。

「……ねえ、茂くん」

低く、低く、地獄の最下層から網の目を抜けて這い上がってきたかのような声。

「私が解くのは『暴力の封印』だけど、いいのね?」

「へ……? あ、いや、みどりさん、これはその、ただの戯言と言いますか、場を和ませるためのユーモアで——」

みどりは茂の醜い弁明を完全に無視し、目の前にゆっくりと右手を突き出した。

みどりの右手。それは一見するとしなやかな女性の手だが、茂はその手が持つ「狂暴な現実」を誰よりも知っている。腕相撲で過去三十戦全敗。一度たりとも1センチすら動かせず、力任せにテーブルへ叩きつけられて骨がキシんだあの記憶が、茂の脳裏に走馬灯のように駆け巡る。

メキメキ……と、明らかに骨と筋肉が噛み合う不穏な音がリビングに響いた。みどりがゆっくりと、拳を握り込んでいく。

「アンタ、私に腕相撲で一度も勝ったことないけど……本当に、いいのね……?」

静かな圧。圧倒的なフィジカルの差。みどりの全身から吹き荒れる激しい「気」の圧迫感に押し潰され、茂の膝がガクガクと音を立てて震え始めた。メガネのブリッジに溜まった冷や汗が、ポタリと床に落ちる。

みどりは冷たい眼光で茂を見下ろすと、両手の指を一本ずつ、ポキ、ポキ……と重苦しい音を立てて鳴らし始めた。その音はまるで、茂の首の骨が折れるカウントダウンのように響く。

「私、何度も『そのイジりやめて』って言ったわよね? ……あれ、お願いじゃなくて命令だったんだけど。私の言い方が悪くて伝わり難かったかしら? それとも……私の言い方が優しすぎたのかしら?」

「ひっ……! い、言い方は十分すぎるほど伝わって——」

「痛くしないとわからないならそうするけど? ……どうする?」

一歩、みどりが踏み出してきた。たった一歩。しかし茂にとっては、ラスボスが間合いを詰めてきたかのような絶望感だった。

逃げ場はない。背後は壁だ。みどりの腕力が自分を容易く粉砕できるという生々しい事実が、茂のプライドも、キザな演技も、すべてを一瞬で灰に分解していく。

(死ぬ……! このままだと僕は今日、両腕の骨をへし折られてリビングの肥やしになる……!!)

「……ほんとごめなさーい!!!」

喉がちぎれんばかりの叫びとともに、茂は脱兎のごとき速さで床に両膝と額を叩きつけた。美しいまでの即死級土下座であった。

こうして、茂の「みどりへの厨二病いじり」は、物理的な暴力と完璧な言葉の圧力によって、永久に封印されたのであった。

(第34話・おわり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。