第33話『臭気と純情』
翌朝。
自室の体重計に乗ったみどりは、表示された数値を二度見し、そのまま「ぐはっ……!?」と謎の衝撃波を受けたような声を上げて崩れ落ちた。
「な……ッ!? 嘘でしょ……っ! 1.5キロも増えてる……ッ!?」
脳裏にフラッシュバックするのは、昨夜帰宅したあと、リビングで獣のごとく貪り食った「カルビ丼特盛り・卵付き」と、ヤケクソで缶のまま流し込んだキンキンに冷えたビール。
さらに「一口なら実質ゼロカロリーよ……!」と自分を全力で騙しながら、茂がもらった桐箱入りの高級羊羹を口に放り込んだあの愚行。
深夜の背徳飯➕ビール&和スイーツフルコースは、容赦なく数字となって彼女の太ももとお腹に刻まれていた。
「やだやだッ! デブ……!? 私、デブになっちゃう……ッ!! 炭水化物と脂質とアルコールと糖分の四天王合体で、このままじゃ太もももお腹もパンパンで破裂しちゃうーーーっ!? 先週ポストに入ってた区の特定健診ハガキ見て予約しちゃったのに! 当日会場で看護師さんに『あ、デブはコッチです〜』って誘導されたらどうするのよーーーっ!?」
お腹を揉みしだきながら自室で頭を抱えて激しく悶絶したのも束の間、1秒後にはみどりの目がギラリと殺意の光を帯びた。
「……ううん、違うわ。私のせいじゃない。全部あのバカ茂のせいよ!!」
見事なまでの100%責任転嫁である。あいつが昼間に煽らなければ、歌舞伎町まで無料タクシー扱いしなければ、そして肉の口になった私に桐箱入りの羊羹なんて嫌がらせのように渡さなければ、こんなことにはならなかったのだ。あの羊羹、鈍器みたいに重かったし絶対カロリーの塊よ! 私を区の健康診断で恥に塗れさせようとする兵器よ!
怒りの収まらないみどりは、茂に見つからぬよう抜き足差し足で階段を降り、一階のガレージへと向かった。
ガチャリと秘密のドアを開けると、そこにはみどりの愛猫・蓮くんが、置かれたキャットタワーの上で丸くなっていた。
「はぁ……蓮くん聞いてよぉ〜。あのバカ茂がね? 本当にサイテーなのよ!」
みどりはデレデレの顔で両手を伸ばした。
「昼間っから変なカタカナ並べて私を煽ってきたと思ったらさ、夜中に呼び出しておいて自分だけハラミ堪能して『柔らかかった〜』とか言ってくるのよ!? 信じられる!? だから私、すき家で持ち帰った特盛りカルビ丼食べて、羊羹まで厚切りでつまんでヤケ酒飲むハメになって、デブまっしぐらで健康診断で別ルートに案内されそうな勢いで体重が——」
その時だった。
「ニャ……ッ!?」
いつもなら「ナーン」と甘えて擦り寄ってくる蓮くんが、まるで未知の有害ガスを感知した毒ガス検知器のような露骨な嫌悪感を顔に浮かべ、脱兎のごとくみどりの腕をすり抜けて逃げ出したのだ。
「えっ……レンくん……!?」
蓮くんは部屋の奥深く、ダンボールの陰に逃げ込むと、耳を頭にペタリと張り付ける限界突破の「イカ耳」状態で、まるで怪獣を見るかのような目でみどりを睨みつけている。
「ど、どうしたの……!? 体調悪いの……!? どこが痛いの……っ!」
青ざめたみどりは、過保護モードが限界突破してパニックを起こし、半狂乱でダンボールの奥へ手を伸ばした。
「待って蓮くん! ママに見せて! お熱があるの!? 」
「フシューーーーーッッッ!!!!(しゃあーっ!)」
「きゃああっ! 威嚇された……ッ!? ママなのに!?」
普段は温厚な蓮くんからの容赦ないシャー&本気威嚇。ショックのあまりみどりは「ガーン」と効果音が聞こえそうな勢いで硬直した。
(元気もないし、私から逃げるなんて絶対おかしい……! 重い病気だったらどうしよう……私の天使が……私の生ける希望が……っ!)
オロオロと取り乱し、涙目になりながら「蓮くん、蓮くん……っ!」と手を差し伸べるみどり。
しかし、当の蓮くんが必死に拒絶していた理由は——
(ニャんだこの人間……! 口と全身から猛烈なニンニクとネギの悪臭が噴き出してるニャ……!! 近寄るなニャ! 鼻がもげるニャー−−っ!!)
昨夜、怒りに任せてニンニクたっぷりのカルビ丼をドカ食いし、ブレスケアもせずにガレージへ突撃してきたみどりは、嗅覚が人間の数万倍ある蓮くんにとって「歩くバイオハザード」以外の何物でもなかったのである。
「蓮くん……なんで逃げるの……っ! 私のこと嫌いになっちゃったの……!?」
◇
一方その頃。2階の自室では——もう一人の「ニンニク自爆男」が誕生しようとしていた。
「ふぅ……昨夜は叙々苑の極上肉を堪能し、みどりさんからの深夜タクシー要請もすき家奢りでなんとか回避……実に完璧な夜でした」
朝の光が差し込む部屋で、茂は鏡の前でキリッとした顔を作り、メガネのブリッジを指でシュッと押し上げた。
前夜、プロデューサーの奢りでニンニクたっぷりの極上カルビやハラミを胃袋が破裂するほど流し込んだ茂は、まさに全能感に満ち溢れていた。
「さて、朝の愛の儀式と行きましょうか。僕の愛しき漆黒の姫君……翠さん」
茂は部屋の隅に置かれた大型ケージへと足取りも軽く歩み寄った。中にいるのは、彼がみどりに内緒で溺愛しているグリーンイグアナの「翠さん」だ。
茂はケージの扉をうっとりとした手つきで開けると、極上のキモスマイルを浮かべて顔を限界まで近づけた。
「おはようございます、僕の翠さん。今日も世界一美しいですね。さあ、僕の愛のモーニングキスを——」
その瞬間。
「……ッ!!?」
翠さんの瞳が「開眼」とばかりにカッと見開かれた。次の瞬間、喉元から顎にかけての皮膚——喉袋が破裂しそうなほどパツパツに全開で膨らみ上がる!
「へ……? 翠さ——」
バシィィィィンッッ!!!
「ひぎゃあぁぁぁっ!???」
疾風のごとき勢いで振り抜かれた極太の尻尾が、床を叩き割らんばかりの勢いで爆音を奏でた。
「フシューーーーーッ!! フシューーーーーッ!!!」
「な、なんですか急に!? 翠さん!? 僕ですよ!? 貴方を愛してやまない飼い主の茂ですよーーーっ!?」
取り乱した茂がさらに顔を近づけようとすると、翠さんはブチギレ状態のままケージの奥にある流木のかげへ爆速バックステップ!
そのまま茂に完全に背を向け、流木の隙間に頭を強引に突っ込んで「見たくもないし嗅ぎたくもない」と言わんばかりに拒絶の態勢に入った。
「な、なぜ……っ!? なぜ急に僕を拒絶するのですか翠さんっ!! 昨日の朝はあんなに愛らしく僕の指をペロペロと舐めてくれたのに……ッ!! 僕が何か罪を犯したとでも言うのですかーーーっ!?」
茂は膝から激しく崩れ落ち、ケージにしがみついて昼ドラの主人公ばりに絶望の悲鳴を上げた。
イグアナの鋭い嗅覚(ヤコブソン器官)にとって、ニンニク激臭タレをドカ食いして胃から謎の毒ガスを噴き出している茂は、ただの「迫り来る生体兵器」でしかなかったのだ。
◇
「……ハックション!!」
ガレージの前で、涙目になりながらブレスケアのガムを3個同時に噛んでいたみどりが不意にくしゃみをした。
「……ちくしょう。絶対あのバカ茂が部屋で私の悪口言ってるわ……」
1階ガレージでは愛猫に毒ガス扱いされて傷心のみどりが。
3階自室では愛トカゲにブチギレられて絶望する茂が。
自業自得のニンニク激臭に包まれた二人の、悲惨すぎる朝が幕を開けるのだった。
(第33話・おわり)




