第28話『嵐を呼ぶ電話と奇跡のすれ違い』
「ダメーーーーーーーッ!!!!」
ガレージの扉が開こうとした瞬間、みどりは全身の体重をかけて茂の手首に飛びついた。
「開けさせないわよ! 絶対に見せられないんだからっ!」
「くっ……離してくださいみどりさん! 僕は……僕は翠さんを救い出すんだーッ!」
みどりが茂の腕を必死で引っ張り、茂が汗だくになりながら扉の隙間に指をかけようとする。ガレージ前はまさに一触即発の極限状態――。
その時だった。
ピロリロリン♪ ピロリロリン♪ ピロリロリン♪
静まり返った深夜廊下に、あまりにも能天気で爆音の着信音が響き渡った。
茂の黒ジャージのポケットがピカピカと青白く発光している。
「「………………」」
フリーズする二人。みどりは茂の腕を固めたまま、冷ややかな視線を落とした。
「……電話、鳴ってるけど」
「え、あ……は、はい……って、こんな時間に一体誰が……っ!?」
茂は震える手でポケットからスマートフォンを取り出した。画面に浮かび上がっていたのは、最も恐ろしい四文字のディスプレイネームだった。
『鬼プロデューサー』
(お、鬼プロデューサーーーッ!? なんでこんな深夜2時に電話してくるんだーーーッ!?)
冷や汗が一気に噴き出す茂。出ないという選択肢はない。業界の恐怖の象徴である鬼プロデューサーからの着信を無視すれば、明日からの脚本家生命が断絶する。
「も、もしもしっ! 烏丸ですっ!」
『あっ、烏丸さん〜? 深夜にごめんね〜! 今大丈夫〜?』
スピーカーから漏れ出る脳天気かつ威圧感たっぷりの声。
『いやね、今度うちでやるスペシャルドラマの脚本、ぜひ烏丸さんにお願いしたくてさ〜! 超急ぎなんだけど、今からZoomで打ち合わせできる〜?』
「えっ……!? い、今からですか……!?」
『そうそう! 案が固まったら朝までに初稿上げてほしいんだよね! じゃ、5分後にURL送るからPCの前で待機しててね〜! チャオ〜!』
プツッ……ツッ……ツッ……。
「あ、あの……プロデューサーさん……!? もしもし……!?」
一方的な暴君のような命令を残し、通話は切れた。
ガレージの前で、黒ジャージにヘッドライト姿の茂が白目を剥いて固まっている。
「……なに? 仕事?」
みどりが呆れ顔で腕を組んだ。茂の脳内ではイグアナ救出作戦と鬼プロデューサーの超絶無茶振りが激しく衝突し、キャパシティが完全に崩壊していた。
「あ……あ……仕事……Zoom……朝までに初稿……っ!!」
「……よく分からないけど、急ぎなんでしょ? 早く部屋戻りなさいよ」
「す、すみませんんんっ! 申し訳ありませんでしたぁぁっ!」
パニックの極みに達した茂は、なぜしてみどりに向かって深く一礼すると、精密ドライバーを握りしめたままパタパタと惨めな足音を立てて三階へダッシュで逃げ帰っていった。
取り残されたみどりは、ぽつんとガレージ前に佇み、ガチャリと鍵をかけ直した。
「……何だったのよ一体。深夜に怪盗みたいな格好して……ほんと変な奴」
みどりは深々とため息をつき、ガレージの中でスヤスヤ眠る蓮くんの頭を撫でたのだった。
◇
「はぁ……はぁ……Zoomの準備を……いや、その前に翠さんを……っ!」
三階の自室へ転がり込んだ茂は、半泣きでPCの電源を入れると同時に、ケージの前に駆け寄った。
「翠さん……ガレージから連れ戻せなくてすみません……僕が……僕が無力なばかりに……っ!」
その時だった。
「………………?」
本棚の最奥の隙間から、にゅっと緑色の頭が覗いた。つぶらな瞳でパチパチと瞬きをしながら、翠さん(イグアナ)がのっそりとデスクの上へと登ってきたのである。
「え……?」
茂は目が点になった。
「ええええええええええっ!? 翠さんーーーーッ!??? なんで部屋にいるんですかーッ!?」
(ガレージに監禁されていたはずじゃ……!? いや待て、みどりさんが僕を油断させるために超能力的な素早さで先回りして部屋に戻したのか……!? それとも部屋に仕掛けられた怪奇現象なのか……ッ!?)
茂の頭の中で怪奇サスペンス的な思考が駆け巡るが、そのタイミングでPCからピロ〜ンとZoomの入室通知音が鳴り響いた。
『あ、烏丸さ〜ん! 聞こえる〜? じゃあ早速、今回のスペシャルのプロットなんだけどね〜!』
「ひぇっ!! は、はいっ! 聞こえております!プロデューサー!!」
茂は考えるのを完全に諦めた。
「翠さん……無事でよかった……! 後でちゃんと抱きしめますからね……っ!」
翠さんを優しくケージに戻すと、茂は涙目でキーボードを叩き始めた。
それから朝まで、鬼プロデューサーの理不尽なダメ出しと突穿作業の嵐が吹き荒れ、茂は絶叫しながら脚本を書き続けることになるのだった。
◇
翌朝、午前8時。
「ふぅ……美味しくできたわ」
一階のキッチンでは、すっかりいつもの日常に戻ったみどりが、ベーコンエッグと焼きたてのトーストとコーヒーを食卓に並べていた。ガレージの隠し猫・蓮くんも満足そうにお腹を満たし、今は静かに眠っている。
そこへ、ドロドロの雑巾のような影が階段を降りてきた。
目の下に濃厚なクマを作り、髪はボサボサ、魂が抜け出たような顔をした茂である。
「……おはよう、茂くん。……なんか凄い顔してるけど大丈夫?」
みどりがトーストをかじりながら呑気に尋ねる。
茂はフラフラと椅子に腰掛け、空ろな目でみどりを見つめた。
「……みどりさん……その……『緑』の件ですが……」
「あ、これのこと?」
みどりがポケットから取り出して茂に見せたのは、緑色の小さなケースに入ったミントフレーバーのデンタルフロスだった。
「え……? え? ふ、フロス……ですか……?」
茂がポカンと口を開けてフリーズする。
「そうよ? リビングのソファの隙間に落ちてたの。あ、『口に入れて舐める』って言ったから変に思った? 実はこれ、ミントのフレーバーがついててね。お行儀悪いんだけど、使う前にちょっと舐めるとスーッとして意外と美味しいのよ(笑)」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」
(みどり視点:ミントフレーバーのデンタルフロスを舐めて味を楽しんでいただけ)
(茂の脳内:イグアナの翠さんを素手で捕獲し、ベロベロ舐めまわしてガリガリ噛み砕いていたのではなく……ただのミント味のフロス……ッ!!)
茂の脳内で、深夜から繰り広げられていた血塗られた猟奇サスペンス映画が一瞬で崩壊し、ただの「一人で勝手に勘違いしてパニックになっていた痛い男」という真実が突きつけられた。
「……は、はい……(そ、それじゃあ……ガレージにイグアナが監禁されてたわけでも何でもなかったのか……!?)」
あまりにも平和で恥ずかしすぎる事実に、茂は顔を真っ赤にしながらガクガクと膝を震わせ、目の前のトーストを口に運ぶのだった。
(でも……じゃあなんでみどりさんは、あんなに必死にガレージを死守していたんだ……!?)
こうして、茂の「イグアナ食害事件」の誤解は無事に(恥ずかしさとともに)解消されたものの、みどりがガレージに隠している「本物の秘密(猫の蓮くん)」という新たな謎だけを残し、嵐のような夜は静かに幕を閉じたのだった——。
【28話:おわり】




