第26話『心理戦の晩餐と三重の「みどり」』
湯気が立ち上る味噌汁と香ばしい焼き魚。一見すると至って平和な夕食の風景――のはずだった。
向かい合わせに座る茂とみどり。みどりは「今日の焼き魚おいしいな〜」と呑気に箸を進めているが、その向かいで茂は箸を握りしめたまま完全に硬直していた。
(まさか……さっき廊下を移動していた翠さんの姿を、みどりさんに見られてしまったのでは……!? 巨大なイグアナが家の中に潜んでいると知られたら、パニックになって警察や保健所に通報されてしまう……っ!)
茂の心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。自分が隠して飼っているイグアナがバレたかもしれないという恐怖で、生きた心地がしない。
ふと、みどりがお茶を一口飲み、首をひねりながら思い出したように呟いた。
「そういえば茂くん、アレ……なんだっけ、名前が出てこないんだけど、緑色の、こう……長くて……」
そう言いながら、みどりは両手の指に糸を巻きつけるようなジェスチャーをし、ぴゅんぴゅんと手元で糸をしならせるような手振りをした。さらに、それを口元に当ててシーシーと歯間を通すような素振りをしてみせる。
「ほら、歯をこう……こうやってカチカチ挟んでやるやつ! さっき廊下に落ちてなかった? どこ行っちゃったのかしら」
みどりが探しているのは、愛用しているミントフレーバーの緑色のデンタルフロスであった。うっかり廊下で落としてしまったらしく、ど忘れした名前を手振りで一生懸命に伝えようとしていただけなのだが――。
「っ!?」
その言葉とジェスチャーを見た瞬間、茂の脳内で「緑色」と「廊下での目撃」が最悪の形で結びついた。
(が、ガーンッ!! やっぱり廊下でバッチリ目撃されてたんだ……! しかも手振りで『獲物の首に縄を巻きつけて絞め殺し、歯でガリガリ噛みくだいた』という惨劇を表現しているんだーーーッ!!)
パニックになった茂は、汗ばむ手をギュッと握りしめ、引きつった笑顔を浮かべながら必死に誤魔化そうと口を開いた。
「み、みどりさん……さっき1階の廊下で……その……緑色の、こう……長くて、しなやかな感じの……」
「あ、それそれ! まさにそれ! 私が探してたやつ!」
みどりは「あ、やっぱり見つけてくれたんだ」と軽やかに身を乗り出す。しかし茂の目には、それが害獣を追い詰めるハンターの食いつきに見えていた。
(うわああああっ! 物凄い食いつきだ! 完全に翠さんを目撃して『探していた』と言っている! 巨大トカゲが家の中にいると知って、駆除しようと探していたんだーーーッ!!)
自分の愛玩動物を害獣扱いされたと思い込んだ茂は、慌てて両手を振りかざした。
「い、いえ! なんでもないです! 今のは僕の聞き間違いというか、見間違いです! どうか今の言葉は忘れてくださいっ!!」
「え? なんで忘れるのよ。……ねえ茂くん、それって廊下に落ちてた?」
すっかり納得したみどりに、茂は恐怖に震える声で問いかけた。
「み、みどりさんは……『翠』のことが……その、嫌いじゃなかったんですか……!?」
「は? 何言ってるのよ。私が自分のこと嫌いなわけないでしょ! ……あ、あの『緑』のこと? あれは私のお気に入りよ! 毎日使ってるんだから!」
(みどり視点:愛用している緑色のデンタルフロスのこと)
「ま、毎日使ってる……!? え、ええっ!? つ、つまり……翠を……口に入れるって事ですか……!?」
「口に入れるに決まってるでしょ! ……まあ、奥歯の方とか噛みちぎりそうになることもあるし、たまにペロペロ舐めて味を確かめたりもするけど!」
(みどり視点:デンタルフロスを奥歯に挟むと噛みそうになるし、ミントフレーバーの味を舌で確かめるというごく普通のフロスの話)
(茂視点:な、舐めて噛みちぎりそうにぃぃぃっ!? 翠さんを素手で捕まえて、生きたまま口に入れて舐めまわして噛み砕いているのかーーーッ!? みどりさん、一体どんな怪物なんだ……ッ!?)
茂の脳内において、体長一メートル弱の巨大イグアナを素手で捕獲し、口の周りを真っ赤にして狂気的な笑みを浮かべながらベロベロと舐めまわし、鋭い奥歯でガリガリとかじり取る悪鬼羅刹のみどもの姿が爆誕した。
「と、とにかく!」
茂が抱く底知れぬ恐怖を露知らず、みどりはごちそうさまの箸を置いた。
「あの『緑』の件は私が後でちゃんと探すから! 茂くんは余計なことしないで、絶対にガレージとかウロウロしないでね!」
(みどり視点:ガレージに隠してある本命の猫(蓮くん)を見破られないよう、釘を刺しておきたい)
「(な、なんだってーッ!? 書斎にいたはずの翠さんが、いつの間にかガレージに移動させられて人質にとられている……ッ!?)」
こうして、お互いに「自分の隠し事が完全にバレた」と信じ込み、相手への恐怖と謎の勘違いを深めたまま、あまりにも恐ろしい嵐の晩餐は更けていくのだった――。
【第26話・おわり】




