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第21話『ネコ愛とネコ嫌い』

「呼び捨て協定」の大失敗から数日。お互いにしらふで名前を呼ぶタイミングを伺っていた二人に、思いもよらぬ仕事のオファーが舞い込んだ。

それは、茂が兼業している脚本家としての依頼――地上波で放送される人気動物番組の『驚きのネコ生態特集』の構成およびミニドラマのシナリオ執筆だった。

「む、無理です……っ!! 僕にネコの番組なんて絶対に書けません……っ!!」

リビングで企画書を広げた茂は、頭を抱えて絶叫していた。

何を隠そう、茂は筋金入りのネコ嫌い――というか、幼少期に近所の野良猫に威嚇されて以来、睨みつけてくる力強い目力に強い苦手意識を持っているのだ。

「プロデューサーさんには丁寧にお断りの連絡を入れます……。知識もないですし、何より苦手な動物の魅力を描くなんてネコちゃんにも失礼ですから……」

受話器を取ろうとした茂の手を、横から伸ばされた手がそっと止めた。

「待って、茂くん! 断っちゃうなんて勿体ないよ!」

みどりだった。彼女は目をキラキラと輝かせ、企画書を覗き込んでいる。

「私、お手伝いするよ! ネコちゃんのことなら……その、昔からすごく詳しくて大好きだから! 知識ならいくらでも提供できるよ!」

「え……? みどりさんが……?」

みどりの強い熱意に押し切られる形で、茂はその仕事を引き受けることになった。

◇

その夜から、居間のテーブルは「ネコ番組の企画会議室」へと変貌を遂げた。

「いい? ネコちゃんの可愛さは、なんと言っても『ツンデレな距離感』と『体幹のやわらかさ』なの! 狭い金魚鉢や箱にすっぽり収まっちゃうから『猫は液体』って言われてるくらい柔らかいんだから!

持ち上げるとつきたてのお餅みたいに伸びるのよ!

それにね、日向ぼっこした後のネコちゃんの毛並みを嗅ぐとね、お日様のあったかい『太陽の匂い』がして、もうそれだけで心が洗われるのよ!」

みどりはノートにびっしりと手書きの図解を描きながら、身を乗り出して立て板に水のごとくネコ知識を熱弁していく。

「あとね、爪とぎの後に見せる謎のドヤ顔とか、顎の下を撫でられた時の『ゴロゴロ音』! あれは人間にリラックス効果を与える周波数なの! ご飯のカリカリを食べる『カリッ、カリッ』っていう音もASMR風に作中に組み込んだら絶対視聴者は悶絶すると思うの!」

興奮が最高潮に達したみどりは、テーブルの上の消しゴムの端にそっと指先をかけた。

「それにね、テーブルの上の物をおっことす時! イチイチこっちの顔を伺いながら落っことすのよ! 『つんつん……チラッ、つんつん……チラッ』って、『落ちるよ? 落ちるよ?』って顔しながら落とすの! ほら、こうやって!」

みどりは自分の人差し指でチョンチョンと消しゴムをつつきながら、上目遣いで茂の顔をチラチラと覗き込み、最後にポトンと消しゴムをテーブルから落としてみせた。

「でね! そのくせ落とした瞬間、脱兎の如くダッシュで逃げるんだよー! あははっ!」

(……な、なんだこの知識と動きの再現度は……ッ!?)

対面でメモを取る茂の額から、タラリと冷や汗が流れた。

みどりの話すネコ知識と仕草は、単なる「本で読んだ知識」の域を完全に超えていた。実際に毎日ネコを観察し、あの日向の匂いを直接嗅ぎ、あの小悪魔的な「つんつんチラ」からの爆走離脱という実害を身をもって受けていなければ出てこないような、圧倒的な解像度とディープなネコ愛に満ち溢れていたのだ。

(みどりさんは……こんなにもネコが好きだったのか……!? 『猫は液体』なんて格言をサラッと言い放ち、『太陽の匂い』なんて実体験でしか出てこないフェチズムを語り、挙句の果てにはネコの『落ちるよ? 落ちるよ?』という顔と逃走劇まで完コピして楽しそうに笑うほどに……!!)

カチリ、と茂の脳内で最悪のピースが噛み合った。

(待てよ……? 僕が重度のネコ嫌いだから……みどりさんは『本当はネコと暮らして、毎日あのつんつんチラと無責任なダッシュの嫌がらせを喜んで受け止めたいのに、僕に気を使って我慢している』ということなんじゃないか……!?)

自責の念という名の巨大な隕石が、茂の心臓を直撃した。

(……なんてことだ。僕はなんて酷い夫なんだ……! 自分の苦手意識のせいで、妻の『ネコと一緒に暮らしたい』というささやかな夢を押し潰していたなんて……っ! 僕という存在が、みどりさんに悲しい我慢を強いていたんだ……っ!!)

◇

翌日。ガレージ奥の隠し部屋で、みどりは猫の蓮ちゃんにカリカリをあげながら、ひとり落ち込んでいた。

「蓮くん……私、調子に乗りすぎちゃったかな……」

膝を抱えたみどりの背中に、蓮ちゃんが「ニャ〜」と寄り添う。

昨夜、あれほど熱弁を振るっていた最中、茂の顔色がみるみる蒼白になり、どんどん口数が減っていったのをみどりは見逃していなかった。

(茂くん……企画の打ち合わせが進むにつれて、どんどん元気をなくしていっちゃった……。今日の朝なんて、目の下にクマを作って落ち込んでたし……)

みどりはハァと深い溜め息をついた。

(やっぱり、茂くんは私が思っている以上にネコという存在が嫌いなんだわ……。私が嬉々としてネコの話をするのすら、本当は苦痛でたまらなかったんだ……。そんなにネコが嫌いな茂くんに、ガレージで蓮くんをこっそり飼ってるなんてバレたら……絶対に嫌われちゃう……)

「ごめんね、蓮くん。私が茂くんを追い詰めちゃった……」

蓮くんの頭を撫でながら、みどりは胸を痛めて下を向くのだった。

◇

その日の夜。リビングの空気は、まるで重圧のかかった深海のようになっていた。

「……茂くん、今日の原稿……進んでる……?」

「あ、はい……みどりさんのおかげで、とても魅力的な脚本になりそうです……」

茂の返答は蚊の泣くような声だった。目の下にはくっきりと黒いクマが刻まれ、げっそりとやつれている。

(僕の存在が……みどりさんを苦しめている……。僕がネコを嫌うばかりに、みどりさんは愛するネコと暮らす喜びを奪われているんだ……。僕なんて……僕なんて……っ!)

茂の心は罪悪感でズタズタだった。

一方のみどりも、小さく縮こまってお茶をすすっている。

(私がお手伝いしたせいで、茂くんをこんなに疲れさせて……心の底からネコが嫌いなんだろうな……。蓮くんのこと、一生隠し通さなきゃ……)

みどりの心もまた、誤解による申し訳なさでズタズタだった。

「「……ハァ……」」

居間に、二人の重苦しい溜め息が重なって響く。

「おや、みどりさん……今、溜め息を……?」

「えっ、あ、ううん! 茂くんこそ、なんだかすごく辛そうだけど……」

「い、いえっ! 僕のことなんてお気になさらず……っ!」

お互いがお互いを想うがあまり、見事なまでにすれ違い、勝手に傷つき合っていく二人。重苦しい勘違いの霧が立ち込める中、ネコ番組の原稿締め切り日は着々と近づいていた。

(※注意:優しさが空回りすると、相手の言葉の裏を読みすぎて勝手に地獄へダイブすることになります)

【第21話・おわり】


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