第1章:少年の季節 第8話:魅了の影と、山への決意
その夜、村にはひとつも明かりが灯らなかった。
いつもなら薪の火が赤々と燃え、賑やかな歌声が響くはずの広場は、不気味な暗闇と静寂に包まれていた。村人たちは自分の家にも戻らず、ただ丘の上に立ったまま、山の上の暗闇を見つめ続けている。
五人はサクの家に身を寄せ合い、小さく灯した油皿の火を囲んでいた。
「親父もお袋も、話しかけても返事もしねえ……。俺が買ってきた塩を見せても、まるで石コロを見るみたいな目で……」
サムが膝の上で固く拳を握りしめ、悔しそうに歯噛みした。
ツカも壁に背を預けたまま、いつものおちゃらけた様子もなく唇を噛み締めている。
「アキ、何かわからないのか? みんな急におかしくなっちまったんだぞ!」
ツカに詰め寄られたアキは、暗い顔で首を横に振った。
「体に傷や病気の兆候はない。でも、意識だけがどこか遠くへ奪われているみたいだ。……七日目の夕方から山からの風が止まり、鐘も鳴らなくなった。そして、みんなの視線はすべて『山頂の神殿』に向いている」
「やっぱり、あの山で何かが起きてるんだよ」
サクが静かに言った。
サクの脳裏には、旅の途中で見た川底の滑らかな粒、そして野営の夜に現れたあの「恐ろしいほど美しい少年」の姿が鮮明に焼き付いていた。
「ねえ、マキ……昼間言ってた『魅了』って、一体どういう意味なんだ?」
サクの問いかけに、部屋の隅で腕を組んでいたマキがゆっくりと視線を落とした。
「……昔の話だよ」
マキは静かな声で語り始めた。
「僕がこの村に来る前、もっと幼かった頃に住んでいた村でね。遠くからやってきた行商人がさ、焚き火のそばで大人たちに話しているのを偶然聞んだ。……遠くの古い村で、ある日突然、村中の人間が仕事を放り投げて、うっとりと空を見つめるようになったって」
「それって……今の村のみんなと同じじゃないか」
サムが身を乗り出す。マキは深く頷いた。
「行商人はそれを『魅了』って呼んでいたんだ。姿も見えない何かに心を奪われ、自分を失ってしまう怪異。……そして行商人はこう言っていた。『魅了されたニンゲンが出ると、その土地には必ず言い知れぬ恐ろしいことが起こる。村は跡形もなく滅びる』ってね」
重苦しい沈黙が部屋を支配した。
油皿の小さな火が、ゆらりと揺れて五人の青ざめた影を壁に映し出す。
「おどかすなよマキ……! 滅びるなんて、そんなわけねえだろ!」
ツカが声を荒げたが、その声はかすかに震えていた。
「噂話だと信じたかったけれど……今の村の様子を見る限り、笑い飛ばす気にはなれないよ。カヤのあの瞳も、普通じゃない」
マキが言うと、サクは胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
昼間、自分の差し出した貝殻を見ようともせず、何もない空に向かって「風が歌っている」と呟いたカヤの顔。あの温かく愛おしかった日常が、サラサラと指の隙間から零れ落ちていくような恐怖。
「……行くしかないか…」
サムがゆっくりと立ち上がり言った。
「山の上の神殿だ。あそこに何があるのか、長老たちが何を隠してるのか、俺たちの目で確かめる。みんなを元に戻す方法も、きっとそこにあるはずだ」
その大きな背中には、いつもの頼もしい熱が戻っていた。
「ああ、僕も行くよ。この村を……僕たちの家を、あんな風に壊されてたまるか」
サクも力強く頷いた。
アキとマキも静かに立ち上がり、ツカは不敵な笑みを浮かべて「へっ、最初からそのつもりだぜ」と拳を打ち鳴らした。
窓の外では、静まり返った闇の中を、うわごとを呟く村人たちの足音が静かに山へと向かって続いていた。
大人になったばかりの五人の少年たちは、自分たちの愛する日常を取り戻すため、不穏な闇が渦巻く神殿へと足を踏み出す決意を固めた。




