第5章:凍てつく原盤 第37話:原初の不協和音
氷の扉が解き放たれると同時に、溢れ出してきたのは暴風でも熱波でもなかった。
それは、存在そのものを削り取るような「圧倒的な圧力の静寂」だった。
五人が踏み込んだ最深部は、氷山の中央を巨大な球状に削り出したような果てしない空洞だった。天井も、壁面も、足元すらも深藍色の氷に覆われ、その氷層の奥深くには、無数の人々の影、歴史の表舞台から消え去った古の都市や、戦に倒れた者たちの姿が、無傷のまま氷漬けとなって眠っていた。
そして空間の中央。宙に浮遊していたのは、直系十数メートルに及ぶ巨大な真珠色と蒼黒の円盤、原盤だった。
円盤の表面には、人間の脈管を模したような幾重もの光溝が彫り込まれ、その中央には一人の少女の形をした青い結晶体が核として埋め込まれていた。
『……去りなさい……幼き歌い手たちよ……』
空間全体を覆う原盤から、空気を介さぬ波動となって声が届く。
イサナの声でありながら、幾千もの犠牲者たちの哀痛な声が重なり合った、透き通りつつも絶望的なまでに重い合成音。
『ここには……苦痛も……喪失も……絶望もない……。すべてを凍結し……無に還すことこそが……世界に与えられる唯一の平穏なのだから……』
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
原盤の中央から、極光を帯びた「虚無の波動」が同心円状に放たれた。
波動が届いた瞬間、足元の氷床から巨大な氷の槍が突如として突き出し、空中の空気が瞬時に固化して、目に見えるほどの透明な「檻」となって五人へと襲いかかる。
「生きて……引き返すって決めたんだよッ!!」
サムが叫び、大剣を両手で固く握り締めて真っ向から突き進む。
全身の血管を浮き立たせ、氷の槍を真っ向から撃ち破る。砕け散る氷晶の散弾がサムの毛皮と皮膚を切り裂き、赤い血が吹き飛んだが、サムの歩みは一歩も退かなかった。
「ツカ! アキ! マキ! 左右の脈路を叩け!」
「任せろッ!」
アキとマキが滑る氷床の上を低空で滑走し、原盤から地表へと伸びる蒼い脈管の束へ向けて肉薄する。欠けた短剣の刃に自らの血を擦り付け、原盤のエネルギー供給路へと深く刃を叩き込んだ。
ツカは氷の柱の影に身を潜め、呼吸を完全に殺して弓を引き絞る。
原盤の表面を覆う光溝の「結節点」に流れる波長が激しく乱れ、歪みを放つ一瞬のタイミングを射抜くため、真珠色に光り始めた矢先を一点へ集中させた。
「……見えたッ!」
解き放たれた矢が風を裂き、原盤の右側面へ深々と刺さる。
衝撃により、原盤が放っていた絶対的な停止の波長が、ほんの一瞬だけ狂いを見せた。
「サク!! 今だぁぁぁッ!!」
仲間たちの切り開いた僅かな隙間を突き、サクが氷床を力強く蹴った。
サクの右腕は、すでに人間の腕の形態を保っていなかった。
肘から手首、そして首筋から胸元までを覆う真珠色の鱗は、不吉な鈍銀と透明な氷の結晶と融合し、手甲の先からは空間そのものを削り取るような「巨大な真珠色の結晶刃」が形成されていた。
激痛はない。ただ、自らの肉体と命の熱が、この一撃のためだけに燃え上がっていた。
(イサナ……あなたの哀しみを……ここで終わらせる!)
サクは真珠色に染まり切った右目を射抜くように開かれ、宙に浮かぶ原盤の「核」青い少女の結晶体へと向かって、一直線に躍り出た。




