第5章:凍てつく原盤 第36話:魂の継承
氷の結界が、乾いた高音とともに音を立てて砕け散った。
サクの体に溢れる真珠色の光芒とイサナの哀しき情念が弾け、周囲を包んでいた青い光の膜が光の粒子となって雲散霧消していく。
「サクッ!!」
結界が消えた瞬間、サムが巨躯を滑り込ませ、サクの倒れかける身体を強固な腕で受け止めた。
アキとマキが短剣を構えたまま左右を固め、ツカが荒い息を吐きながら弓の引き幅を緩めて駆け寄ってくる。
「大丈夫か、サク! 息はあるか!?」
「……あ……ああ……っ」
サクはサムの分厚い胸板に背を預けながら、激しい呼吸とともに目を開けた。
右目の視界を覆っていた真珠色の光膜に、いまや一筋の激しい「熱」が宿っていた。脳髄を灼き尽くすような過酷な過去のビジョン......200年前に命を辞して世界を繋ぎ止めた巫女イサナの絶望と、その血を引くカヤの先祖の姿が、いまもサクの胸の奥で激しく脈打っていた。
「……見たんだ……」
サクはかすれた声で、仲間たちを見上げた。
「イサナの記憶を……この『レコード』が生まれた理由を……。これは……世界を滅ぼすための呪いなんかじゃなかった……」
「なんだって……?」
サムが眉をひそめる。
「イサナは……世界を救うために……自分の魂と……大切な人たちの想いを、あの原盤の中に封じ込めたんだ……。だけど、あまりにも長い年月と世界中の悲しみが、その願いを歪めてしまった……。カワも……鋼嶺の化け物も……全部、イサナの破裂した悲しみの残骸だったんだ……!」
サクの言葉に、アキとマキが息を呑み、ツカが静かに目を伏せた。
カヤを奪い、自分たちの平穏を打ち砕いた怪異たち。
それらは邪悪な悪魔などではなく、世界を守ろうとして押し潰された一人の巫女の、あまりにも痛切な「悲鳴」の化身だったのだ。
「……じゃあ、あいつらは……助けてほしかったのか」
サムの呟きが、凍てつく神殿の回廊に静かに落ちた。
「奪うためじゃねえ……終わらせてほしくて、暴れてやがったのか……」
「そうだ」
サクは左手で右腕の真珠鱗を強く握りしめ、ゆっくりと自らの足で立ち上がった。
右腕の異形化は、さらに深まっていた。
真珠色の鱗と鈍銀の結晶が組み合わさった皮膚は、鎖骨を超えて首筋の半分まで達し、脈動するたびに冷たい微光を撒き散らしている。だが、そこにあるのは恐怖ではなかった。イサナの意志と、カヤの面影、そして目の前にいる仲間たちの命を繋ぐための、揺るぎない「誓い」だった。
「イサナの悲しみを引き裂く。この歪んだレコードの針を……僕たちの手で完全に止めるんだ!」
「……応よッ!!」
サムの咆哮が大広間の天井を震わせた。
ツカが力強く矢を番え直し、アキとマキが欠けた短剣の柄を固く握り直す。
五人の決意がひとつに重なったその時、神殿の最奥、回廊の突き当たりに閉ざされていた巨大な氷の扉が、地鳴りのような重低音を立ててゆっくりと開き始めた。
扉の向こうから溢れ出してきたのは、外の世界の吹雪など比較にならない、命の運動そのものを絶ち切る「漆黒と蒼の極光」。
極北の深淵に原盤が眠る最終回廊への道が、ついに拓かれた。




