第5章:凍てつく原盤 第34話:氷獄の門
『藍のレコード』
第5章:凍てつく原盤
第34話:氷獄の門
吹き荒れる吹雪の向こう側にそびえ立つのは、巨大な氷山をそのまま切り削って造られた古代の神殿のちに『氷獄の回廊』と呼ばれる建物。
天を突く二本の柱は、途方もない年月によって滑らかに磨かれた青黒い氷塊で出来ており、その表面にはびっしりと人知を超えた古代の星図や、うねる脈管のような幾何学模様が刻み込まれていた。門柱の足元は膨大な雪と氷の結晶に埋もれていたが、近寄るにつれて、その氷の奥底に「何か」が封じられているのが視界に飛び込んできた。
「……な……んだ、これ……!?」
アキが息を呑み、思わず短剣を握る手に力を込めた。
分厚い氷の層の向こう側に閉じ込められていたのは、かつてこの地に足を踏み入れたと思われる人々の姿だった。甲冑を纏った騎士、異国の衣を羽織った術士、そして民草。彼らは血を流すことも、絶望に顔を歪めることもなく、まるで安らかな眠りにつく直前のような、穏やかで無機質な笑みを浮かべたまま、永遠の時の中に凍結されていた。
「……死んでいるんじゃない」
サクは左手を伸ばし、門柱の冷たい表面に触れた。
「記憶も、心も、時間の進みすらも……すべてをあの『原盤』に奪われ、ただの『記録』としてここに保存されているんだ」
サクの右腕の手甲の真珠鱗が、氷の表面と触れ合った瞬間、冷たい静電気のような不快な衝撃を発した。
真珠色の斑点と鈍銀の結晶が肌の裏側で複雑に組み換わり、門柱に刻まれた幾何学模様と同調するように蒼白色の微光を放ち始める。サクの真珠色の右目には、氷の中に閉じ込められた無数の魂から伸びる「蒼い不調和の糸」が、すべて神殿の奥底へ向かって収束しているのがハッキリと見えていた。
「行こう。この奥に……すべての元凶がいる」
サムが大剣の鞘を強く握り直し、先頭を切って重厚な氷の門扉の隙間へと踏み込んだ。
神殿の内部は、外の猛吹雪が嘘のような静寂に包まれていた。
天井からは槍のように尖った巨大な氷柱が幾重にも垂れ下がり、足元の透明な氷床は五人の足音を「コツン、コツン」と不気味に反響させる。壁面全体が自らほのかに発光しており、幽玄で不吉な青い光が回廊の奥へと続いていた。
「……妙だな」
ツカが肩の弓に手をかけたまま、左右の暗がりに鋭い視線を走らせる。
「水都の時の肉芽や、鋼嶺の衛兵みたいな化け物が出てこない。静かすぎる……」
「気をつけるに越したことはねえ」
サムが腰を落とし、慎重に歩を進める。マキもまたアキの横に並び、わずかな空気の振動すら見逃すまいと全神経を研ぎ澄ませていた。
回廊を数百歩ほど進んだところで、一行は円形の広大な大広間へと出た。
その空間の中央に沈座していたのは、見慣れた異形(怪物)などではなかった。
そこに佇んでいたのは、ひとつの「氷の台座」と、その上に置かれた古びた羊皮紙の巻物、そして一輪の青い結晶の花だった。
「……これは……?」
サクが不審に思いながらも近づこうとした、その時。
カチ、と頭上で硬質な音が響いた。
台座の周囲を覆っていた空間が一瞬で歪み、透き通るような青い光の膜がサクたちの周囲を球状に包み込んだ。
「サク!!」
サムが叫び、大剣を振るって光の膜を斬り払おうとしたが、刃はぬめりとした手応えを残して弾き返された。物理的な攻撃を一切通さない、高密度の精神干渉結界。
光の膜の内側で、サクの右腕の真珠鱗が狂ったように暴れ出した。
「ぐっ……あ……ぁぁぁっ……!?」
頭蓋を直接割り開かれるような、圧倒的な「情念」の濁流がサクの脳髄へとなだれ込んでくる。
それはカワが放っていた身勝手な絶望でも、鋼嶺の無機質な停滞でもなかった。
悲哀。切痛なまでの愛おしさ。そして、世界を救うために自らのすべてを投げ打った者の、孤独な決意。
『……拒まないで……サク……』
脳裏に響いたのは、水都の地下や吹雪の中で聞いた声とは違う、どこまでも優しく、どこか懐かしい女性の声だった。
サクの右目の視界が反転し、大広間の景色が霧散していく。
代わりに立ち現れたのは、200年前の光景、かつて暗い神殿の底で、血を流しながら結界を組み、涙を拭って幼子を外界へ逃がしていた巫女「イサナ」の、哀しき記憶の断片だった。




