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藍のレコード  作者: ぁずにゃん子


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第4章:虚空の残響 第24話:廃墟の巡礼者

水都(すいと)をあとにした五人の足取りは、鉛のように重かった。


背後に広がる都市のシルエットは、朝露に濡れた薄霧の中に静かにかすんでいた。カワの繰り出した悪夢から解放された街は、崩壊した地下水路を埋める作業の音や、救護を叫ぶ人々の残響を遠くかすかに響かせていた。だが、その街の復興の息吹すら、サクたちの前進する脚を軽くすることはなかった。


「……前方の視界、開けてきたぞ」


先頭を行くサムが、大剣の鞘を握り直しながら低く呟いた。


彼らが足を踏み入れたのは、かつて水都と北方の鉱山地帯を結んでいたとされる旧交易街道だった。しかし、長年の怪異の跋扈(ばっこ)と気候の荒廃によって、路面は大きな亀裂と雑草に覆われ、いまや道としての体裁を半ば失っている。左右には枯れ果てた巨大な樹木の残骸が立ち並び、まるで巡礼者を拒絶する槍の列のようだった。


「……サク。歩調、落ちてる」


後方から静かに声をかけたのは、弓を肩にかけたツカだった。


サクはハッと息を呑み、無意識のうちに緩んでいた足取りを無理やり整えた。

右腕の感覚がない。手首から肩口までを覆う真珠色の「鱗」は、カワの消滅とともに不気味な脈動こそ止めたものの、いまや冷たい石のようにサクの皮膚に固着していた。腕を動かすたびに、皮膚の裏側でガラス片が擦れ合うような鈍い痛みが走り、全神経を徐々に摩耗させていく。


「大丈夫だ。……行ける」


「強がるなよ」


アキとマキが左右から並び立ち、サクの横顔を覗き込む。

ふたりの双子は、地下水路での戦いで負った擦り傷に雑な布きれを巻きつけただけの痛々しい姿だったが、その瞳にはサクを気遣う確かな温もりが宿っていた。


「水都を出てから、一度もまともに休息を取ってない。お前の右腕……光ってはいなくても、肌の色がどんどん悪くなってる」


「……この鱗のせいじゃない。ただの疲れだ」


サクは左手で右腕の硬い表面を強く擦った。

自分を心配してくれる仲間の視線がありがたく、同時に狂おしいほどに痛かった。カヤを失った夜から、サクの心の中には小さな「穴」が開き続けている。その穴から、焦燥感と罪悪感が果てしなく漏れ出していた。自分が立ち止まれば、あの青い深淵の中で散っていったカヤの影に、完全に飲み込まれてしまう気がしてならなかったのだ。


「……止まろう」


サムが足を止め、振り返った。その表情は厳しかったが、眼差しには深い慈しみがあった。


「街道沿いに、古い見張り塔の跡がある。今日はあそこで夜を明かす。異論は認めねえ」


サムの決定に、誰も反対の声は上げなかった。サクもまた、溢れ出そうになる不服の言葉を噛み殺し、力なく頷いた。


夕闇が迫る頃、五人は風化した石造りの見張り塔へと身を寄せた。


屋根の大半は落ちていたが、分厚い壁が冷たい夜風を遮ってくれた。ツカとマキが手際よく集めてきた枯れ枝に火を点けると、橙色の小さな炎が、壁に五人の歪んだ影を大きく映し出した。


干し肉と冷えた水を口に運ぶ無言の時間が流れる。

水都での苛烈な死闘を経て、彼らが手にしたものは「勝利」などという鮮やかなものではなかった。ただ生き残り、傷を負い、かけがえのない何かを削り取られたという重苦しい実感が、焚き火の爆ぜる音とともに充満していた。


「……サク」


焚き火の向こう側から、サムが静かに問いかけた。


「ガルバが最後に言っていた言葉……覚えているか」


サクは膝を抱えたまま、ゆっくりと顔を上げた。


「……『レコード』の断片は、水都の『カワ』だけではない、と」


「そうだ」


サムは干し肉を噛み砕き、低く重い声で続けた。


「カワは倒れた。だが、あいつが放っていた『絶望を喰らう波長』は、この世界に散らばる他の怪異たちとも繋がっていたはずだ。サク、お前の腕に残ったその鱗……それがある限り、俺たちは次の『音』を引き寄せてしまう」


「……分かってる」


サクは自らの右腕を見つめた。

真珠色の鱗は、焚き火の橙色の光を冷たく反射しているだけのように見える。だが、サクには分かっていた。皮膚の底で、かすかな、あまりにもかすかな「共鳴」が始まっていることを。


カワという個体は消えた。しかし、カワを生み出し、育て上げた『世界の歪み』そのものは何一つ解決していない。むしろ、地下水源の核を破壊したことで、より深い闇の底流が蠢き始めているのを、サクの右腕は敏感に察知していたのだ。


「引き寄せるなら、受けて立つだけだ」


サクの声は不気味なほど冷ややかだった。


「僕たちが逃げても、怪異は追ってくる。カヤのような犠牲者をこれ以上出さないためには……僕が、僕のこの腕で、すべての因果を刈り取るしかない」


「サク、お前……!」


アキが身を乗り出しかけたが、ツカが静かにその肩を制した。


「……攻めることだけが、生き残る道じゃないよ、サク。でも……君がそう決めたなら、僕たちはどこまでも付き合う。僕たち五人は、あの日村を出た時から……運命を共にするって決めたんだから」


ツカの言葉に、マキも深く頷き、サムは大剣の柄を固く握り締めた。


夜が深まり、冷気が見張り塔の中に満ちていく。

仲間たちが浅い眠りに落ちていく中、サク一人だけが壁に背を預け、開け放たれた天井から覗く漆黒の夜空を見上げていた。


右腕の鱗が、不意に冷たく疼いた。


それは強い痛みではなかった。まるで遠い北の果てから、誰かが琴の糸をかすかに弾いたかのような、極小の振動。


(……来ている)


サクは漆黒の瞳を細めた。

水都の惨劇は終わりではない。それはただ、この苛烈な世界を巡る旅の、最初の章がめくられたに過ぎなかったのだ。

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