第3章:蝕まれた世界 第20話:黒き底流
肉の塊の亀裂から爆発的に噴き出した黒い触手は、湿った空気を切り裂き、激しい質量を伴って石造りの壁面へと激突した。
バシィィィンッ! と重厚な破砕音が地下空洞に轟く。
無数の亀裂が壁一面に走り、砕けた巨石が激しい水飛沫を上げて青い水面へと没していった。
「ぐ、あっ……!?」
直撃を寸前で回避したサクの身体が、凄まじい衝撃波によって吹き飛ばされる。
濁った青い水面を何度も跳ね、石畳の端へと激しく打ち付けられた。口から鮮血が噴き出し、胸骨が悲鳴を上げる。右腕から首筋にかけて広がる真珠色の鱗が、黒い体液の異臭に反応するように脈打ち、焼けた鉄を押し当てられたような激痛を走らせた。
「サクっ!!」
サムが叫び、水飛沫を弾いて駆け寄ろうとするが、その前に立ちふさがったのは異形の群れではなく、暴走を始めた黒い触手の群れだった。
それは、カワの体液のような透き通る青さを持っていなかった。
どろりと濁り、光をいっさい反射しない粘質的な黒。かつて神殿の底でイサナが自らの命と引き換えに封じ込めた、異形の「原初の澱み」....
........カワという存在の母胎そのものが、サクとカワの苛烈な死闘によって目覚め、地下水脈の中枢を侵食し始めたのだ。
「……なんだ、これは……!?」
肉の塊の上で立ち尽くすカワの声から、歓喜の色が消え失せていた。
黒い触手はカワの足元へも躊躇なく襲いかかり、肉の塊から伸びる青い脈管を容赦なく食い千切っていく。ブチブチと悍ましい肉音が響き、青い液体と黒い泥のような体液が混ざり合って空洞全体を満たしていった。
「僕の……僕のステージが……僕の奏でるレコードが……ッ!」
カワの瞳に、初めて狼狽と激怒の色が宿る。
自らの完璧な戯曲、サクたちの絶望を美しく彩るはずだった舞台が、制御不能な古き暴威によって泥塗れに汚されていく。カワは腕を振るい、青い体液の刃で黒い触手を切り裂こうとするが、黒い泥は切創から溢れ出し、かえってカワの華奢な身体へとしがみついていった。
「……あいつ……自分の生み出した化け物に呑み込まれかけているのか……!?」
アキが短剣を構えたまま、絶句してその光景を見つめる。
マキがアキの背中を庇いながら、水面に蠢く黒い泥の広がりを警戒の眼差しで追う。
「サク、立つんだ! ここももう保たないぞ!」
ツカが崩れかけた石柱の陰から駆け寄り、サクの肩を抱き起こした。
サクは血を吐き出しながら、グラつく足で立ち上がった。視界の右半分は完全に真珠色と不気味な黒の混ざり合った異彩に支配されている。しかし、左目だけは、黒い泥に絡め取られながら狂乱する少年——カワの姿を射抜いていた。
「……逃げない……」
サクの掠れた声が、土砂と水音の喧騒を貫いた。
「カワだけじゃない……あんな根源の化け物まで地上へ溢れ出したら、この街だけじゃ済まない……! カヤが殺されたあの悪夢が……全部を飲み込む……!」
「サク……」
サムが前に出で、サクの血濡れた左手に自らの厚い手を重ねた。
「分かってる。俺たちも逃げるつもりなんてねえよ。村を失い、カヤを失って……ここで背を向けたら、俺たちが生きてる意味がなくなっちまう」
サムの言葉に、アキも、マキも、ツカも力強く頷いた。
五人の絆は、絶望の深淵に叩き落とされ、傷つき、削られながらも、より強固に、より研ぎ澄まされていた。
「ガルバが言っていた……地下水脈の核を撃ち抜けば、この水路全体を崩落させて怪異を閉じ込められるかもしれないって」
サクは真珠色の鱗に覆われた右腕を強く握りしめた。
右腕に宿る侵食の力、そして黒い泥が放つ狂おしいほどの波長。その両方を自らの全身の神経で感知し、中枢の位置を特定する。
「あいつの胸の奥……黒い泥が集まっている『核』がある。そこを叩く」
「よし……一気に行くぞ!!」
サムの咆哮とともに、五人の少年たちは黒い泥と青い濁流が渦巻く狂気の中心へと、最後の突撃を開始した。




