閑話:二百年の水底 第2話:狂気の美学
違和感は、水だけに留まらなかった。
カワが村に馴染むにつれ、村人たちの間に「奇妙なすれ違い」が増えていった。
互いを深く思いやっていたはずの夫婦が、ほんの些細な誤解から刃物を突きつけ合い、病の母を必死に看病していた青年が、母の「ありがとう」という言葉を聞いた瞬間に発狂して川へ身を投げた。
誰かが傷つき、絶望に顔を歪めるたび、カワは村の片隅で嬉しそうにその光景を眺めていた。
「どうして……こんなことに……」
村の混乱を収められず、祈祷所で一人頭を抱えるイサナのもとへ、甘い蜜の匂いとともにカワが歩み寄ってきた。
「悲しいかい、イサナ? あんなに仲が良かった人たちが、お互いを愛しているがゆえに壊れていく。……きれいだよねぇ」
カワはうっとりと目を細め、イサナの頬に滑らかな指先を滑らせた。
「あなた……村の人たちに、何をしたの……!?」
イサナがその手を振り払う。
カワの浅い地黒の肌に、青い水滴がじわりと浮かび上がっていた。
「何もしてないよ。僕はただ、彼らの『思いの強さ』にほんの少し歪みをあげる糸を張っただけさ。ニンゲンってさ、信じているものが大きければ大きいほど、それが裏返ったときの絶望が美しいんだ」
カワの瞳から人間らしい光が完全に消失した。
漆黒の底に浮かぶのは、圧倒的な異質さと、他者の精神が破綻する瞬間を貪る狂気。
「あなたは……水神様なんかじゃない。どこからか流れてきた……化け物だわ!」
「あはは! 気づくのが遅いよ、イサナ」
カワが愛おしそうに両腕を広げた瞬間、神殿の床下からゴボゴボと不気味な気泡の音が響いた。
木床の隙間から溢れ出してきたのは、青く発光する粘り気のある水脈。そして、その水に触れた村人たちが、皮膚に真珠色の鱗を浮かせ、喉を鳴らしながら神殿へと押し寄せてきた。
「さあ、イサナ。君の愛するこの村が、僕の肉と水で書き換えられていくよ。君はどんな顔で絶望してくれるのかな?」
狂乱の叫びと異形の足音が、神殿の静寂を容赦なく踏み荒らしていった。




