第2章:侵食の季節 第12話:少年、絶望の論理
サクはカヤと目を合わせられないまま、逃げるように一人で村の広場へと向かった。
「触らないで」という拒絶の言葉と、小さく丸まったカヤの背中が脳裏から離れない。どんな言葉をかければカヤの苦しみを救えるのか、サクには全く分からなかった。
広場に出ると、村人たちは相変わらず立ち尽くし、空を仰いでいた。
サクが近寄り、通り過ぎる村人の腕をふと見つめる。朝の光が斜めに差し込んだ瞬間、その皮膚の表面に、一見しただけでは気づかないほど薄く滑らかな「鱗」がうっすらと浮かび上がっているのが見えた。
「——やあ。村の様子を観察かい? 熱心だね」
背後から掛けられた穏やかな声に、サクの背筋が凍りついた。
弾かれたように振り返ると、広場の御神木の木陰に、「それ」が立っていた。
浅い地黒の肌。すっと通った綺麗な鼻筋。胸元を肌蹴させ、うっすらと割れた腹筋には油分で艶やかなテカリを帯びている。羽織っているのは、傍目にはただの繊細な糸細工にしか見えない、白レース。
神殿の石台に座していた、あの謎の少年だった。
サクは咄嗟に腰のナイフへ手を伸ばした。だが、少年は襲いかかってくる様子もなく、どこか親切な聞き上手のように首を少し傾けて微笑んだ。
「怖がらなくていいよ。僕はただ、君たちがどうしたいのかを知りたいだけだ。……あの女の子を連れ戻して、嬉しかったかい?」
「……カヤを……みんなを返せ!」
サクは絞り出すような声で叫んだ。
「返せ、か。面白い言葉だね」
少年は否定もせず、ふむふむと優しく頷きながらサクの言葉を促した。
サクは必死だった。仲間たちと築いてきた日常の愛おしさを、カヤと一緒に笑い合いたいという望みを、振り絞るように少年にぶつけた。少年は終始、嫌な顔ひとつせず、サクの言葉を一つ残さず親身に聞き届けてくれた。
そして——サクが言葉を言い終え、肩で息をついた、その時だった。
「……ねえ」
少年の瞳からすっと熱が失われ、冷ややかな暗闇が広がった。
「君は『元通りになりたい』と言ったけれど……あの子の心を、本当に元に戻していいのかな?」
「え……?」
「あの子はね、君に好意を持っていたからこそ、僕の魅了に抗おうとした。でも抗えなかった。……そして今、あの子の胸を占めているのは、君への愛しさではなく『君の目の前で僕に屈したという強烈な屈辱と後ろましさ』だ」
少年は一歩、サクへと足を踏み出し、逃げ場のない論理を淡々と囁いた。
「君が『元通り』を望めば望むほど、あの子は正気に戻った記憶に苦しめられ、君の顔を見るたびに自分を責めることになる。……君が救おうとすればするほど、あの子を精神的に殺すことになるんだよ? 矛盾していると思わないかい?」
「あ……ぁ……」
サクの頭の中が真っ白になった。
救おうとした手が、かえってカヤを追い詰めていたという事実。完璧な論理の破綻を突きつけられ、サクの膝ががくがくと震え、顔から一気に血の気が引いていく。絶望に打ちひしがれ、瞳から光が消えていく。
「あは……っ」
そのサクの絶望に歪む表情を見つめながら——。
少年はゾクゾクとしたように自身の肩を抱きかかえ、うっとりと身体を薄く震わせた。
「ああ……たまらないな。完璧な論理の破綻……実に美しい顔だ……」
最高の恍惚感に満たされた少年は、絶望して膝をつくサクにそれ以上一瞥もくれず、満足したように背を向けた。サクを殺すことすら、彼にとっては「どうでもいいこと」だったのだ。




