想い人
この1ヶ月間、充実した日々を過ごしていた。最近はあれだけ飲んでいたお酒もほとんど飲まなくなった。
ただ、充実感を得ている反面、確実に疲労は溜まっていた。今まではお風呂もシャワーでさっと済ませていたが、最近はゆっくり湯船につかることが増えた。
睡眠時間は6時間ほどだが、ベッドに入り目を閉じると、すぐに朝を迎える感覚だ。
今日も充実した1日を終え、いつも通りゆっくり湯船につかり、疲れを癒した。
相馬はベッドに潜り込み、ゆっくりと目を閉じた。
「あれから、もう1ヶ月が過ぎたのか。」
偶然、阿部とあって、20年も前に紬が死んでいたこと、それを知らずに生きてきていたこと、自らの醜態を嫌悪し、人生をやり直そうとしていること。相馬はこの1ヶ月間を思い返していた。
「……紬」
誰に届くわけでもない言葉を呟き、相馬は穏やかな眠りに落ちていった。
静かな時間が過ぎていた。
ある瞬間から、相馬は遠くの方から活気のある声が聞こえ始めていた。そして、聞き慣れた曲も混ざり、懐かしい気持ちになった。
聞こえてくる曲の曲名はわからない。でも懐かしい曲だった。
そう、それは高校の放課後に生徒に帰宅を促す夕方に流れるあの曲だ。
とても心地よい、懐かしい雰囲気を感じながら、ゆっくりと目を開ける。
視界に飛び込んできたのは、西日の差し込む古い教室。そして、紺色の学生服を着た自分の若い手だった。
「あれ。この手は?俺は家で寝てたんじゃ?」
相馬が混乱していると、懐かしい声が聞こえた。
「篤史くん、おはよう。……じゃなくて、もう放課後だよ。」
鈴が転がるような、あの優しくて綺麗な声。
相馬が顔を向けると、そこには、あの頃のままの、17歳の紬が立っていた。
相馬は頭の中が真っ白になり、思考が停止した。
「つ、むぎ……」
そう言葉にするのがやっとだった。「どうしたの?」と紬は不思議そうな顔で、少しいたずらっぽく微笑んだ。
それと同時に相馬は泣きながらゆっくり立ち上がり、紬へ近づいた。そして、紬の細く華奢な手を握り締めた。その手から伝わる体温は、とても優しく、温かかった。
ーー温かい。まるで生きているみたいだ。20年もの間、俺が目を背け、無視し続けてしまった温もり。失ってしまった大切な存在が、何故か目の前にいる。
そう思うと、相馬の心が急激に熱くなった。
紬は何かを言おうとしたが、それよりも先に相馬はどうしても伝えたかった思いを言葉にした。
「ごめん、紬...」
夢でもいい。どうしても伝えたかった。
紬の大きくて綺麗な瞳が、驚きで丸くなる。
「篤史くん…」
その言葉の続きを聞く間もなく、相馬の意識は白い光の中に溶けていった。




