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受け入れられない現実

43歳の相馬の意識は、その光景を冷え切った目で客観的に見つめていた。

必死に「環境のせい」「運のせい」にして、自分の無能さから目を背けている若き日の自分。その姿は、目を背けたくなるほど醜く、惨めで、哀れだった。


「やめろ……もうやめてくれ、俺……!」


離れた場所から叫んだ相馬の声は、居酒屋の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かない。

若く、傲慢で、ひたすら醜い過去の自分が、レモンサワーのジョッキを掲げて下品に笑っていた。


「勘弁してくれっ!」

そう言った瞬間、ぐにゃりと世界が歪み、冷え切った暗闇へと溶けていった。


「――っは、ぁっ!!」


激しい呼吸と共に、相馬は意識を取り戻した。

心臓が早鐘のように胸の壁を叩いている。全身が嫌な汗で濡れていた。

カーテンの隙間から、憂鬱な春の光が差し込んでいる。


「夢、か……」


枕元には、飲み干した安い焼酎の空き瓶が転がっている。相馬は両手で顔を覆った。指先が微かに震えていた。


何でこんな時にあんな夢を見るんだ。最悪だな。そう思いながら、相馬は時計を見た。

「まだ6時か」


いつもより少し早いが、起きることにした。あんな夢を見た後だからこそ、二度寝の選択肢はなかった。


昨日の夜に飲んだ酒が少し残っている気がする。食欲もない。

とりあえず、ホットのブラックコーヒーを飲みながら、朝のニュースを見ている。


「お前……本気で言ってんのか? 三浦が23歳の時に、地元の交差点で事故に遭って死んだこと、知らないわけないだろ。お前、あいつと幼馴染だろ!?」

何度も、ふとした瞬間に阿部の言葉が頭の中に響き、クズを見る阿部の目が思い出される。


「阿部の奴、余計なこと言いやがって。」

相馬はボソッとつぶやいた。


本心を言うと、相馬は仕事を休みたかった。だが一人で居たくない。幼馴染の死という事実と醜態をさらしている自分の姿を見た相馬は、一人で居ると頭がおかしくなりそうだった。


こんなにも職場に行きたいと思ったことは記憶にない。


いつもならうんざりする満員電車も今日はほとんど気にならなかった。

重い足取りでオフィスにたどり着く。


いつも通りの無機質なデスクに座り、パソコンの電源を入れた。

だが、画面に並ぶ数字も、メールの文字も、今の相馬の脳には一切入ってこなかった。


普通は無気力で、ただそこにいるだけのような状態なら、周りが心配し声の一つもかけられるが、周囲からするといつも通りの相馬と大して変わらない。

相馬が周囲から普段どう見られているか明白となった。


「相馬さん」

少し離れた席から自分を呼ぶ声に、ハッとして我に返った。


いつもの年下上司だ。要件は大体わかっている。

案の定、先日、適当に修正した資料は年下上司から突き返された。


「相馬さん、いい加減にしてください。ここは「ここ」と「この」数字をベースにして、計算してください。」

半ば諦めが込められた言葉で説明された。


「すいません。」

相馬は一言そう言って、自席に戻った。


指摘されたファイルを開き、言われた通り計算しようとしたが、途中で手が止まる。

全く考えられない。集中できない。何も手につかない。


何とか資料を修正し再提出したが、合っているかどうかはわからない。


「珍しいな。こんな時間にまだ会社にいるなんて。」

同僚たちの会話が聞こえ、時計を見ると定時を過ぎていた。


なんとなくバツが悪く、逃げるように帰宅した。


結局、夜になればあの狭い1Kのボロアパートに戻るしかない。

こんな時、誰かに相談したいが、相談することができない。もっと正確に言えば相談できる相手がいない。これが43年間生きてきた成果だ。

相馬は絶望した。大学生のころ一緒に馬鹿なことをしていた仲間はそれぞれの人生をしっかりと歩んでいた。徐々に疎遠になり、今や誰もいない。


電気も点けない暗い部屋。万年床にドサリと横たわった瞬間、日中無理やり抑え込んでいた感情のダムが、恐ろしい勢いで決壊する。

必死に朝を待ち、オフィスへ向かう。数日間、そんな日々の繰り返しだった。


土曜日の朝、相馬は黙って部屋の壁を見つめていた。


(俺の人生。どこで間違えたんだろうな……)


贅沢はできなくても、友人と酒を飲み、思い出ばなしや馬鹿な話で笑って過ごし、家庭があって、人生をともに歩んでくれる人が傍にいると思ってた。

仕事も出世できなくてもかまわない。ただ、周囲から認められる程度はできると思っていた。


でも、今は何もない。ただ孤独な人生を歩んでいる。

これが俺の現実なのか。こんな人生を、現実を受け入れるのか。そんなことできるのか。


現実を受け入れようとすると、ちっぽけな誇りが邪魔をする。

何も成し遂げていない。言い訳ばかりで生きてきた人生のどこを誇っているのか。

誇れるところなんて一つもない。


あの居酒屋で虚勢を張っていたクズが、そのまま歳をとっただけの存在。それが今の自分だ。


いつまでも続く葛藤。考えれば考えるほど、混乱し訳が分からなくなる。

紬の死と現実から、どれくらい逃げれば、この苦しみから解放されるんだろう。

俺はいつまで逃げればいいんだろうか。


俺の人生はあとどれくらい残っているんだろう。

もし、このまま逃げ続ければ、いつか忘れられる日が来るかもしれない。この苦しみから逃げきった先にあるのは何だろう。


絶望的だった。

あの時、家族や地元とのつながりを捨てた自分に残されている結末は、孤独な死だけだ。


「孤独死」。決して他人事ではない。今の自分は最短距離でこの結果に向かっている。

ただ一つ言えるのは、この結果はすべて自らの言動の結果だということだ。誰のせいでもない。


何も持たない、惨めで無様な今の自分を受け入れることから始めなければ、最悪の結末を迎える。せめて最後は笑って死にたい。


今からでもやり直そう。それしかないんだ。少しでも、まともな人生を目指そう。

相馬が気づいたとき、涙を流していた。


今の自分を受け入れ、やり直す。そして必ず自分を変えて、紬のお墓に謝りに行こう。

その涙と一緒に、20年間、相馬の心を支配していた虚勢が、ぼろぼろと崩れ落ちていく。

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