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虚勢

気がつくと、俺はかつて行き慣れた安居酒屋の、少し離れた席から「過去の自分」を眺めていた。

タバコの煙と安酒の匂いが、妙にリアルに漂ってくる。ガヤガヤとした居酒屋の喧騒が耳を突いた。


「いやあ、マジでこの会社の人事評価、終わってますよ。上の奴ら、何も分かってない」


それは20代半ばの、若い自分が発していた言葉だ。会社で仕事ができないことで有名な先輩たちとテーブルを囲み、レモンサワーのジョッキを片手に熱弁を振るっている。相馬が社会人3年目になった頃の、ある夜の景色だった。


相馬の勤務する会社は1年を4クールに分け、1クール3カ月で年4回人事評価がある。この日は相馬にとって、1年のうち4回訪れる最も苦痛な日の3回目の日の夜だった。


そうだ。この日は上司との評価面談の日だった。

今はAI頼めば評価シートの作成も一瞬で終わる。すごくいい時代だ。


ただ、このころはAIもなく、ありもしない成果をなんとか体裁を整えて、記載するのに何日も要していた。日ごろから、いい加減な仕事しかしていない相馬にとって評価はどうでもよかったが、給与や賞与だけは少しでも沢山欲しかった。


そんな邪な想いで記載した内容など評価に値しない。案の定、上司からこっぴどく説教され、今回もまた評価は最低だった。


開始早々、上司が低い声で話し始めた。

「なんだこの内容は。事実を記載しているのか?」

明らかに疑われている。


相馬の背中は一瞬で冷や汗で埋め尽くされた。

「この契約数は正しいのか?売上の目標値は何を根拠にしているんだ?」

「あと、目標に対してどれくらいの達成率なんだ!」


相馬は上司から質問されるたびに、首筋から背中にかけて汗が流れるのを感じた。

「成果は定性値ではなく、定量値でかけと指示しただろう!」

「個社別で収支を計算しているのか?」

と散々詰められたが、根拠となる数値や話は一つもない。


「赤字の客先はどうやって黒字化していくんだ?」

「あと残り3カ月どうやって挽回するつもりだ?」

「改善策はあるのか?考えているのか?」

上司はコツコツと指先で机を叩いていた。明らかにイライラしている。


「ええと、そこは……先方の担当者と今、関係構築を進めておりまして。近々、大きな案件の打診がある予定です」

口から出たのは、その場をしのぐためだけの、中身の空っぽな嘘だった。当然、そんな誤魔化しが通じる相手ではない。

何とか切り抜けるために、言い訳ばかりしていたが、最後は上司にぶち切れされていた。

そういえば、これ以降、上司はほとんど何も言わなくなった。ここで見切りをつけられたんだ。当時の評価面談を思い出した43歳の相馬はそう感じた。


相馬が上司から激怒されていたのとは対照的に、同期は褒められていた。そしてリーダーへの抜擢が見え始めているという噂が流れていた。


当時、この同期は相馬とは対照的だった。必死に自分のできることを増やし、どんな雑用でも一生懸命対応していた。得意先からの評判も良く、大きな契約もすでにいくつか成功していた。


「ありがとうございます。では明後日の14時に御社に伺います。よろしくお願いいたします。」

同期は嬉しそうに電話を切った。


「良いことでもあったの?」

暇を持て余していた相馬は同期に声をかけた。


「新しい契約の話。うちに是非お願いしたいって連絡があってね。」

同期は少し興奮気味に答えてくれた。


「そうなんだ。」

相馬は「面倒なことを押し付けられてるな」と同期を笑っていた。

――俺ってほんと馬鹿だな。これがどんな意味を持つか何もわかってない。


当時の相馬は、営業案件を一人で任されるような立場ですらなかった。地道な努力を嫌い、言い訳ばかりしている彼には、重要な仕事など最初から回ってこなかったのだ。ましてや得意先から指名で契約の話が来るなんてあり得なかった。

同期たちが大小様々な打席に立ち、次々とステップアップしているのを、彼はただ遠くから冷めた目で眺めていた。


居酒屋の若い相馬は、悔しさを誤魔化すように、机を叩いて先輩たちに同調を求めていた。

「あいつがリーダーとか、マジで笑えますよね。たまたま担当エリアの運が良かっただけなのに。結局、世の中要領と運っすよ。俺が本気出せば、あんな奴いつでも抜けるのにさ」

――やめろ。頼むからもう黙ってくれ。

離れた場所からその姿を見つめる43歳の相馬は、頭をかきむしりたかった。


本気なんて、お前は一度も出しやしなかった。そうやって「本気を出していないだけ」という薄っぺらい盾に隠れて、傷つくことから逃げていただけだ。その結果が、あの43歳の薄汚い1Kのボロアパートなんだぞ――。


「あいつがリーダーになったら、うちのチームは終わりっすよ。」


いつしか自分の元へ、同期がやってきて、淡々と「業務指示」を言い渡していく。同期が指示を出す側に回り、自分が「指示を受ける無能な兵隊」でしかないという現実を突きつけられる最悪の瞬間が訪れることをこのころの相馬はまだ知らない。


散々、会社、上司、同期の悪口を言い、いかに自分が優秀かをアピールし続けた。先輩たちの役員批判に同調し、息まいていた。


「まあ、俺はあいつらみたいに社畜になって人生終わりたくないんすよね。適当に給料もらって、プライベート楽しまなきゃ意味ないっしょ。今の時代、真面目に働いたら負けっすよ。」

上司や先輩、同期を社畜呼ばわりし、自分がいかに人生を謳歌しているかを自慢していた。


先輩の一人が「お前、地元の彼女とはどうなんだよ?」とニヤニヤしながら訊いてくる。

若い相馬は、レモンサワーの氷をカラカラと鳴らしながら、これ以上ないほど冷めた男を気取って鼻で笑った。


「彼女じゃないですよ。ただの幼馴染です。まぁ、向こうがその気ならアリですけど。」

――いい加減にしろ。黙れ!

離れた席で、43歳の相馬の魂が、血を吐くような思いで叫ぶ。


「まあ、その気になれば俺、いつでも結婚なんてできますから。男は40過ぎてからが本番っしょ」


居酒屋の若い相馬は、大物ぶって煙草の煙を天井に吹き付けた。


このころの俺は「相馬篤史物語」の主人公として生きていた。

誰も自分のことなんて見ていないのに、完全に調子に乗っていた。


その姿は、まさに「虚勢」だった。必死に、必死に虚勢を張り続けている滑稽な姿だった。

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